兄妹ごっこ

私には、12歳離れた兄(仮)がいる。

とはいえ、私は「ひとりっこ」でもある。

父(マーちゃん)と母(トッコ)は初婚どうし、戸籍上も私は第一子で。
だから、兄には「(仮)」がつく。


はじまりは50年以上前になる。

当時、二人は子をなすことを諦めて生活していた。
母は重度の不育症で、5年の間に少なくとも4人の子が育たなかった。
ホルモン治療をしたものの、体重が20kg増えただけで、いっこうによくなることはなかった。
そんな二人のところに、ある日天使が現れる。

それが、近所に引っ越してきた4人家族の次男坊2歳のKくんだった。
手のかかる長男坊に対して、まったく手のかからない次男坊は、なぜか二人によくなついた。
家の者に叱られればお気に入りのタオルケットを持って「家出」し、二人の家の玄関先で寝ている。
二人の間にはさまって寝て、ちっとも帰りたがらない。

もちろんKくんの実母とトッコがきわめて良好な友人関係(Kくん実母が亡くなるまで続く)を築けていたこと、長男坊があまりにも手がかかり、次男まで手がまわらなかった現実もあり、Kくんは、8歳で転勤により引っ越すまで、マーちゃんとトッコの愛情を存分に受けて育った。

そして、その後小6まで、長期休暇のすべてを二人のところで過ごした。

子のない夫婦と、率先して自分を慕う次男坊-「養子縁組」の言葉が出てくるのは、ごく自然なことだろう。

小6の夏、二人はKくんに養子になってくれないか、と正式に伝えた。(※K母の了承は事前に得たうえで)
小学校の途中までこちらで過ごしたこともあり、夏休みのたびに遊ぶ友人たちもいた。
中学に入るタイミングで、どうだろう?と。

家族で正式に話し合う、といって、夏休みの終わり、Kくんは帰っていった。
うまくいけば、3月には「長男」になる・・・・・はずだったのだけど。


はい、ここで最初に戻ります。
私と、兄-Kくんは、【12歳差】。
そう、まさかまさかの、トッコご懐妊。
一切治療も対策もなく出来た胎児は、ことのほかしぶとく、きっちり臨月を迎え、しかも予定日を超えて居座り、夫婦は女の子を授かり、私は4月に爆誕した。
二人に子がない一部始終を知っていたK母は泣いて喜んでくれ、あれこれ世話をやいてくれたという。

必然的に養子縁組どころではなくなってしまい、Kくんは地元の中学に進学、部活のこともあり、なかなかこちらへ来れなくなってしまった。

そして私がKくんこと「K兄」にはじめて会えたのは、7年後。
これがとんでもないオトコマエで、しかもとんでもなく優しかった。
大学生のお兄ちゃんが、小1女児をあれこれ案内してくれて、ずっと一緒に遊んでくれたのが嬉しかった。
7歳のときからK兄は、「私の大好きなお兄ちゃん」になった。

子どものうちはわからなかったけれど、K兄は、戸籍上でつながれなくても、私の兄のつもりでずっといてくれていた。
私が県外の大学進学できたのも、K母とK兄が住む場所で、二人が「保護者」として名乗り出てくれたから。

教育実習のときには下宿先になってくれた。
仕事でトラブルに巻き込まれたときは、相手先に乗り込んでくれた。
結婚祝いには冷蔵庫を買ってくれた。
出産したときには駆けつけてくれて、大きめの洗濯機をプレゼントしてくれた。
「俺はおまえの兄ちゃんだから」と、祝い返し等一切受け付けてくれない。

K兄母の葬儀にも、私は、(戸籍上はアカの他人なのに)、「親族席に座れ」と厳命され、骨も拾った。

昨年はK兄の兄(※長男坊くん)が夭折したのだが、私は「Kの妹」としてあれこれ動き回った。


傍から見たら、不思議で仕方ないだろう。
血縁でもない男女が、「兄」だ「妹」だと、きょうだいごっこをしているように見えるだろうか。
あまりの不思議さに、私の夫は状況を完全に飲み込むのに数年を要した。そりゃそうだ。
息子は、「親戚のおっちゃん」程度に思ってるだろう。

でも、コロナでマスク不足と訊けば友人ネットワークを介して私の両親や私家族の分のマスク確保に駆けずり回ってくれたり、何かあってもなくても後ろに仁王立ちして立ってくれてるのは、間違いなく、「私のおにいちゃん」だ。

兄妹ごっこは、たぶんずっと続く。
いいとこどりの、ファンタジーな関係だとしても、ずーっと仮だとしても。


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