幽霊に叱られる

【山の手線の電車に跳飛ばされて怪我をした】

かの有名な、志賀直哉「城崎にて」の冒頭文だ。
初っ端からパンチが効いていて、読むたびに毎度笑ってしまうのだが、似たようなことが我が身にも起きたのは中学3年生のことだった。

そこそこなスピードの、赤いスポーツカーに跳ね飛ばされたのである。

当時私は、自転車で20分ほどの私塾に通っていた。授業が終わるのは午後9時半で、のんきにひとり、自転車で帰路についていた。(※時代がまだのんきだったので、ね)
半分ほど進んだところで、帽子を忘れて帰ったことに気付く。

今思えば、帽子1つ程度忘れたところでなんてことないし、2日後にはまた行くのだから、そのとき持って帰ればよい話だ。なのに、なぜか私はひどく動揺した。
私塾はご夫婦二人ぼっちで経営されており、21時半の授業が終われば2人は隣町のご自宅に帰ってしまう。
塾が閉まるまで時間がない、急いで引き返さねば・・・・・・・・

さっき渡った横断歩道は、赤信号になっていた。片道3車線、合計6車線のまっすぐな道は、夜の地方都市らしく車通りは皆無だった。

15歳の私は、帽子のためだけに、信号無視を敢行した。はっきりいって、バカである。

最初の3車線をすぎ、中央分離帯にさしかかったあたりで、後ろから怒鳴り声が聞こえた。

「こらあああああ!!!!!」

まわりに人は誰もいない。よって、明らかに怒鳴られたのは、私だ。もちろん怒鳴られるようなことをしている自覚も、盛り盛りにありありだ。

反射的に一度振り返った。白い半袖下着と、白いステテコをはいた爺さんが、銀行の前で拳をあげているのが見えた。
かまってる暇はない。すぐに前を向いてペダルを踏んだ。その瞬間、私の体は宙を舞った。


とっさのときに浮かぶ「走馬灯」はなかったが、すべての風景がスローモーションになった。そのとき考えたのは「受け身とらねば!」であった。どこから着地しよう。頭は危ない、肘からじゃ骨折する。そうだ、肩からいこう。
それは、信号無視をする大バカの割には賢い選択で、私は右の肩~二の腕から、アスファルトの路上に着地成功し、2回転した。
思ったほど体は痛くない。薄手のコートと2回転が幸いし、怪我もしていない。頭も打たずに済んだ。ほっとした瞬間、時間差で自分の自転車が左半身に降ってきたほうが痛かった。

起き上がった私は、横断歩道から数m離れた場所にいた。
元いた横断歩道上には、真っ赤なかっこいいスポーツカーが停まっていて、そんな車に乗っている割には人の好さそうなお兄さんが駆け寄ってきた。
お兄さんは悪くない・・・・帽子、帽子取りに行かなきゃ。

妄執にとりつかれたバカは始末におえない。
私ことバカ饅頭はこの期に及んでも、まだ帽子を取りに行く気まんまんだった。

ただ、そうは問屋がおろさない。真っ赤なスポーツカーの真後ろに、本当にたまたま、パトカーが通りかかったのだった。

逃げなくては!!!-バカ饅頭は本気でそう思った。法令違反(※信号無視)をして、はねられたのは自業自得、捕まってしまう!

轢き逃げならぬ、まさかの「轢かれ逃げ」を試みるバカに、警察官は心底あきれた様子で、「とまりなさーい!」と追いかけてきた。アドレナリンドバドバで痛みを感じていなかったが、さすがにちょっと体に・・・ではなく、自転車本体はダメージを受けており、バカはあっさり捕獲された。

なんせバカなので救急車も拒否した。頭も打ってないし、なんなら逃走をはかったくらいだ。お願いだからこのまま帽子を取りに行かせてくれと懇願した。
スポーツカーのお兄さんは悪くない。私のほうの信号が赤でした。なんなら証人もいます。あそこ、銀行のとこにお爺さんが・・・・

「おじいさんなんていませんよ」

嘘だ。あのタイミングなら間違いなくあのステテコ爺さんは私の愚行と事故の瞬間を目撃している。
どこへ行ったあのジジイ、あんたがいないとスポーツカー兄さんがかわいそうなことになるじゃないか。

「そんなはずないです!白い下着に、白いステテコはいたお爺さんが、そこに立ってて、私、後ろから怒鳴られたんです。信号無視して」

警察官はふたりして、「?」という顔をした。そして私にこう言った。


「あんな、今11月よ。いくら大分がぬくいからって、そんなかっこうでうろうろする人は、この時期の夜に、おらんよ」


冷静に考えればその通りだった。この寒空に、ステテコ爺がいるはずない。
あたりは見通しもよく、例え爺さんが歩き去ったとしてもこの短時間で姿が見えなくなるほど遠くに行くわけもない。
だとしたら、あの爺さんは、何者なのか?


「ああああああああああ!!!やっぱりあんただったのね!!!!」

金切り声がして、振り返ると、母がいた。なかなか帰ってこない娘を案じて、迎えに行ってみたら赤色灯が見える。、まさかと思ったらしい。
そのまさかだ。あんたの娘は命より帽子をとる、大馬鹿だ。

なお、事故による損傷は以下のとおり。

赤いスポーツカー→右ランプ・バンパー破損
自転車→右タイヤ変形
運転手のお兄さん→違反切符きられた。車も傷ついた。今回最大の被害者。かわいそう。ごめんなさい。
そして
私→右の二の腕に打ち身程度のあざ。バカは体が丈夫で困る。


救急車も呼ばずにすみ(※これは今ならありえないと思うが)、損傷した自転車を押しながらの帰路、母は「そのおじいさんはeriの守護霊かもしれんね!」と言った。

だいたいこの母は、戦中生まれだというのに丹波哲郎の「大霊界2~死んだらおどろいた!!」を映画館にわざわざ観に行くほどのオカルト好きなのだ。おばけだ守護霊だ水晶ドクロだは、母の大好物なのだ。ちょっと不思議なことは、すぐにオカルトにしがちである。あまり真に受けてはいけない。

ただ、今回はちょっと違う。かもしれない。

気の毒な赤いスポーツカーは、中央分離帯で一瞬姿が隠れてしまった私を視認できず衝突したのだが(もちろんあちら側の信号は青なので、仕方ない)、正確には「私の自転車の前輪」と衝突していた。おかげで私本体は車と直接接触しておらず、大事故になっていない。
ほんの一瞬でも、一漕ぎでも前進していたらどうなっていたか。前述のとおり、その一瞬前、私は爺さんに怒鳴られて、後ろを振り返っている。絶妙のタイミングで怒鳴られていたのだ。
一瞬見てステテコ爺さんと判断したが、全身白だったから案外幽霊の定番ファッション=死に装束かもしれない。

生霊だか地縛霊だか知らぬが、助けていただきその節はありがとうございました。花でも手向けたかったが、銀行の前に花を手向けるなど、風評被害に営業妨害も甚だしいのでやめておいたのだった。

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