漫画が癒す死の形

父を喪った。

抗がん剤に体のほうが耐えられなくなっているから、と治療をやめ、対症療法に移ってからたった2ヶ月で逝ってしまった。
新型ウイルスの感染対策で、入院していても父には会えない。
父本人たっての希望で、実家での終末ケアとなった。

ただ、この「終末期患者」はおよそ死を連想させない日々を過ごした。
食事は満足にとれなくなっていたが(胃癌ルーツの多重転移なので致し方ない)、カロリーメイトゼリーのリンゴ味を気に入って1日1本飲んでいた。
終末ケア専門の訪問医師&看護師からは「経口でとれてるし栄養もとれてるからよし!」とほめられたし、医師からOKが出たから近所なら車だって運転した。
母に一切の介護をさせず、排せつも入浴も意識を失うまで自力でやり遂げた。
「だってあんた、ノリさん5日前まで歩いて、車も運転しよったの見たで・・・?」と、父の死はご近所を別の意味でざわつかせた。

医師からは「お父さんはある朝急変するタイプです」と言われていたが、まさにの急転直下だった。
木曜の夕方に電話したとき、多少呂律がまわらなくなっていたが、金曜の朝、意識不明に。
子どもの学校やらチケットの手配やらで私が実家に戻った土曜の朝には、父は生きてはいたが、白目が黄目になり、涙まで黄色く、ただ呼吸する状態だった。
時々「目を覚ます」が、もう意識はない。
私の声も息子の声も夫の声も届いてはいるが、理解できていない・・・・

そこからなんだかんだで日曜の夕方、父の「呼吸の最終段階」を私と息子で確認。
M-1敗者復活戦「金属バット」のおもろい漫才をBGMに、父は「最後の呼吸」を3度して、逝った。

母は箱入り娘だから、式の手配も打ち合わせも仕切りもすべて私が行った。
父は「女」がでしゃばるのを嫌う男だったのだが、娘だけは例外だったようで、長男仕事もすべて仕込んでくれていた。
頭の中には、結婚式のおしまいに花束を渡すときに、私をまっすぐ見た父が「泣くな」と言ったのがこだましていて、なんとしても泣くまいと我慢した。
意識不明のときから、父にかける言葉は「大丈夫、大丈夫やけん」しかなく、それは火葬場の最期の対面でも。
まわりから見たら、けっこう薄情な娘と映ったかもしれない。

ただ、悲しくはあったが辛くはなかった。
その理由は、【知識があったから】だった。

息子と私は、「鬼灯の冷徹」という漫画が好きだ。
ざっとあらすじを言えば、「死後の世界に勤務する鬼=公務員」の話。
仏教・神道ベースの死後の世界(国際親善でエジプト・欧米の死後の世界もあり)の解釈で、死後の人間がたどるとされる道程もおもしろおかしく解説されている。

例えば。
死後、体がかたくなり傷んでいく父の姿は「お迎え三連星」と名付けられた奪魂鬼・奪精鬼・縛魄鬼が来たからだ、仕事してるね~と息子と微笑みあえた。
例えば。
徳のある人は、荼吉尼天が楽隊つれた特別仕様でお迎えに来てくれるから、じいちゃんは間違いなく連れてってもらえるし、むしろ楽隊に入る勢いだよね、と笑った。
例えば。
座敷いっぱいが線香くさくなっても、「香り=ごちそう」な死後の世界で腹いっぱいになれるからいいよね、とじゃんじゃん焚いた。

焼き場で父を骨にするための、最後の点火ボタンを押すのも、私は迷いなかった。
「はい、いってらっしゃい!」とボスッッと勢いよく押した。
父は今生の体ではもうしんどいのだ。
腰痛も加齢黄斑変性も癌もない、自由な体で過ごすほうが断然よいに決まっている。
昔から我が一族御用達の菩提寺さんからは、「法徳院釋正道」なんていう、極楽直行便待ったなしなよい法名もいただいた。
ハーレーに憧れた父のために、ハーレー直売店に行き、カタログとブランケットを買って納棺したから、三途の川も奪衣婆も怖くなかろう。
賄賂の六文銭だって用意した。水陸両用ハーレーで爆走するがよい。あるかどうか知らんけど。

お経は倍音がすごく、耳心地がよすぎて、本気で数分、私はトリップした。
通夜・葬儀・初七日と全部トリップしたので、住職の本気に感じ入った。

ああ。
宗教というのは、死んだ後残された家族が快く送り出してやるための口実でもあるのだなと思う。
うちは仏教浄土真宗方式で見送ったが、その人、その家の信じるルートで見送ることで、故人の死後の幸いを確信できるなら、それこそが「救済」とも思う。


小6の息子も、この死生観を「鬼灯の冷徹」で身に着けていた、父の遺骸も葬儀も骨上げも何の抵抗も抱かなかったという。
「なんなら爺ちゃんは、字がきれいで几帳面だから、【記録課】にスカウトされるよ!」と確信してすらいる。

※記録課とは?
「鬼灯の冷徹」の世界観の中では、地獄内の一部署。
亡者の人生のすべてを手書きで漏れなく記載し、巻物にして閻魔庁等の各省庁に渡している、超重要部署のひとつ。常に人手不足。

お寺さんに渡すお布施をどの袋にどう書くのか思案していたところ、不祝儀袋の一番上に、父の書いた見本がおいてあった。
「お前にこれを教えそびれていたから、見本置いとくわ」とでも言わんばかりに。

なるほど、勤勉、几帳面、美文字。
記録課、手ぐすねひいて待ってるであろう。
父の死後は、安泰だ。

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