見出し画像

真夏の夜の小冒険

夏が来た。
蒸し暑い夜が来ると、毎年、私は18歳の夜に帰る。

18歳、高校3年の夏の夜、私は、校舎の中にいた。

当時、私は高校3年生。放送部員として、最後のNHK杯(※高校放送コンテストの最高峰)に臨んでいた。
私が挑んだのはテレビ番組部門だった。アナウンス・朗読に才がなく、部内でも求心力のない自分が一匹狼でも挑める唯一の部門だった。
とはいえ、強豪校と違い細々とした同好会的扱いの放送部には、2畳の放送室しか与えられていなかった。据え置きの学校用放送設備と、なけなしの予算で顧問が買ってくれた「タイトラー」(※字幕つけマシーン。写真参照)、家庭用でもけっこうレベルが低い8ミリビデオカメラのみ。

いわゆるテレビ局みたいなでっかいカメラも、きらびやかな編集設備もないうちの部に求められるのはソフト力-アナウンスや朗読の技術、と言われていた。実際、先輩方にはこのソフト力で全国に連れて行ってもらっていた。自分はやろうと決めた番組に出来るのは?企画力と、ど根性しかなかった。

必死で企画を組んだ。高校では、毎年生物履修生に天然記念物のオオイタサンショウウオの幼生の飼育が義務付けられている。私も愛情もって育てた。公立の普通科で生き物の飼育はなかなかない、しかも天然記念物。そこにターゲットを絞った。
企画・立案・脚本・絵コンテ・撮影・インタビュアー・編集・ナレーション・・・・・・すべてをひとりでする必要があった。企画に賛同してくれた男子部員Gくんがサポートについてくれたが、彼も自分の朗読部門の練習があるので、甘えるわけにはいかなかった。必死に撮影し、生物の先生にインタビューする。進学校なので、毎週土日は模試、大学入試の勉強もあるが、知ったこっちゃないと授業中はひたすら絵コンテ作りに費やした。

素材があらかたそろい、編集作業に入るころには、締め切りが1週間前に迫っていた。
防音装置?何それおいしいの?な放送室において、録音と編集に必要な「無音」を確保するのは難しい。慣れないタイトラーを、映像に挟み込む必要もある。さぁ・・・・どうする??

ふたり、導き出したのは、「学校に居残る」ことだった。
私は顧問にも内緒の居残りを決行することにする。
教頭が学校中をめぐり、鍵を閉めるのが午後7時。これまでに気配を消しておかねばならない。
事前リサーチの結果、職員用トイレの掃除用具入れが最適とわかった。自分の荷物は放送室の奥に隠し、トイレで息をひそめる。

どたん・・・・どた・・・・どたん・・・・・少し足が不自由な教頭の大きな足音が聞こえる。呼吸ひとつ漏らしてはならぬと、息を殺す。
がっちゃん・・・・と鍵が閉まった音がして

学校は無音となった。

窓から影ひとつ漏らすまいと、ふたりはほぼ匍匐前進で放送室へ向かった。窓がない部屋だが、換気扇から光は漏れる。電気はつけられない。
奥の部屋で、小型のブラウン管テレビとタイトラーと一緒に、ふたり、光漏れ防止のために毛布をかぶった。
まずはタイトラーで映像編集。1秒単位で一時停止ボタンを押しながらの作業。
カッコイイ放送機材などないので、こうするしかない。Gくんとふたり、家庭用8ミリビデオカメラのボタンを何度も押し、編集を続ける。

夜10時をすぎて、誰もいないと確信してからナレーション録音。
電車通学のGくんは、終電があるのでこの時点で帰宅してもらう。リサーチ済のルート(1階1年生の教室の中庭に出る扉から)出てもらう。
さぁ。ひとりになった。使う映像の取捨選択。ナレーションの再録。脚本の清書。

すべてが終わったのは、朝5時だった。なぜかちっとも眠くないが、夏の夜に毛布をかぶった私は汗だくだ。

Gくんが出たルートをたどり、学校を出る。
用務員が学校に来るのは午前7時、それまでに痕跡を消さなければ。

明け方の街を、私は自転車で疾走した。家の鍵をあけ、シャワーをあびる。
母親が用意してくれていた朝のおにぎり、昼用の弁当を持ち、アイロンをかけた替えの夏服に着替えた。
-事前に計画を伝えたとき、母は「自分の好きなように悔いのないようにやりな」と言ってくれた。年頃の娘が一晩家に帰らないことを、許してくれた母には感謝だ。
また坂道をかけのぼり、朝6時半、学校着。
1年生の教室に中庭からそっと入り、鍵を閉め、放送室で仮眠を取った。

がちゃん!!!!!

鉄の扉の鍵が開く音が校内に響き渡った。やがて、教員たちの出勤の足音も聞こえてくる。
がやがや、とうるさくなったころ、私は素知らぬ顔をして、自分の教室へ向かった。
Gくんも、眠そうな顔で登校しているが、目もあわせなかった。
我々の、秘密の、夜が終わった。


そうやって作った番組は、県で「最優秀賞該当なしの優秀賞」に選ばれた。機材、人員、何もかも乏しい中で勝ち取った全国大会!!!!!「機材がなくても心意気とアイデアを最大の評価点とする」高校部活の醍醐味がここにあった。

テレビ番組部門からは、5人を派遣できる。私は、先輩がしてくれたように、後輩を東京へ連れて行ってあげることができた。

全国では箸にも棒にもひっかからなかったが、私は誇らしかった。小さな冒険を成し遂げたことも、うれしかった。
後日こっそり顧問に打ち明けたときには、「やめてくれやあああああ」とお小言をもらったが。


20年以上前の話だ。
セキュリティが強化された現代では絶対無理な所業だろう。
でも、
場所がなくても、
人がいなくても、
機材がなくても、
なんとかなるぞ!!!!!!という、私の定番の「お説教ネタ」である。

え?
男女が二人で毛布かぶってひとつの作業してロマンスがなかったかって?

ねえよ!!!!!!!!!!!!皆無だったよ!!!!!!!!!!!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?