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【俳句】【短歌】の記事

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俳句・短歌関係の記事をまとめました。
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#感想文

【随筆】令和四年・宮中歌会始の鑑賞

 歌会始は毎年、新年一月におこなわれる宮中行事である。宮内庁の資料によれば、歌会始の起源は明らかではないそうだが、題詠に沿って詠みあう歌会自体は、奈良時代、万葉集の頃からおこなわれていたと考えられている。  歌会始では、皇族のみならず一般の方々も歌を詠進する。詠進とは、自身の歌を宮中へ贈ることである。私自身は詠進した経験はないのだが、毎年、どのような歌が発表されるのか楽しみにしている。今年も美しい歌ばかりであった。今年の題詠は「窓」である。歌のなかに「窓」の一語をいれるのが

【随筆】石田波郷俳句大会句の鑑賞

 今回は、角川『俳句』令和三年二月号・特別レポート「第十三回 石田波郷俳句大会」より、一般の部に属する句をいくつかご紹介したい。当大会は昨年八月頃までに募集された句から選考されている。  俳人・石田波郷は戦後まもなく結核により東京の清瀬にある病院に入所した。その後も病と共に句作を続け、五十半ばの若さで亡くなっている。その事実から、石田波郷の句の背景に「病」を見出すことは俳句の鑑賞として不適切かもしれないが、くしくも病を思わせる句が大賞となった。病は誰にでも起こりうることであ

【俳句】新年詠の鑑賞

 新年、開口よい言葉で始めたい。親戚が集う、旧友と会う。仕事のかたもいるかもしれない。去年と今年の境目は、自然科学の目でみれば、連続したひとつの点だが、何か特別な瞬間をみいだすのが文化である。文学である。  俳人の虚子(正岡子規の弟子)は、「去年今年貫く棒の如きもの」と詠んだ。棒は時間軸の意のみならず、伝統文化の本義、その地で生き続けてきた人々の志を表しているように思えてならない。宮中の歌会始もそのひとつだろう。  言葉は情報の単なる伝達手段に過ぎないだろうか。万葉時代の歌

【随筆】なぜ俳句の感想文を書くのか

 俳句が五七五で表現する文芸である点を知っていても、切れだとか、詩情だとか、深くまで知っている人は、私の周囲にほとんどいない。それは全く問題のない至極当然の事実である。  好きなことは誰かに勧めたい。自分から主張しては、お節介極まりないが、聞かれたのであれば、俳句は面白いよ、と偉人らの名句をみせる。  堂崩れ麦秋の天藍たゞよふ 水原秋桜子  芥子咲けばまぬがれがたく病みにけり 松本たかし  芋の露連山影を正しうす 飯田蛇笏  ほとんどの人が「どういう意味?」という。他、