真っ直ぐに、くさい台詞を交わす時間
カウンセリングを受けた、お初は、はるか昔30年以上前、中学生の頃、家庭が荒れ、精神がまいって、対人恐怖や不安神経症という診断名をもらって、家庭からのガス抜きを望んでいた頃だ。
臨床心理士の真面目な桃井かおり風の先生に、不安を語ったり、箱庭療法をしたり、、よくなる出口がわからないまま、不安のガス抜きに通うだけだった。
さて、50歳を超えて、カウンセリングやセラピーを、たくさん受け続け、昔の不安神経症や対人恐怖は。時々かかる風邪程度の生き方の癖というおまけになっている。
世渡りするには、芸術家でもないかぎり、ストレートな物言いを避け、世間体の空気を読んだ言動をすることも、スキルとして使う。
しかし、何か、自分の真実から外れているような、上滑りな感じが、気持ち悪くなったりする。
そんな時、長年の生きづらさ解消のため、カウンセリングやセラピー、ちまたに溢れる有料や無料のサポート資源や相談援助の中から、今の自分に合ったものをセレクトして活用することで身につけた、空間を自分のために、用意してやる。
時に、カウンセリング、時に表現講座、時に映画やサイクリング、、、
そこでは、世間のための私ではなく、まっすぐで真剣な、あるいは、何も考えず無心に自転車のペダルを漕ぐだけの生き物になる。
あとで、思い出して、恥ずかしいけれど、自画自賛で感動するのは、
私って、こんな、真っ直ぐに、くさい台詞を言う人だったんだ、、、と、振り返る時。
普段の世間の世渡り屋さんの私が、思わず、あんた、どこぞの文学作品の映画のつもりかい?と、ツッコミ入れたくなるような、恥ずかしい台詞を、真剣に言っていたりする。
絶対嫌です。
卵からかえったひなが、最初に見たものを母と思って真似するように、初めて殻から出てみた感動が、どんなに世間からずれていても、真似したくなる、、、、
などなど、
特殊な場だから、言える台詞なのか、
それが本来のまっすぐな私なのか、
でも、まっすぐなままでは、世間を生きにくいから、仮面をつけて日常を生きているのか、、
とにかく、そんな真っ直ぐな自分を表現する場がないと、世間の常識のプールの中で溜まってしまったガス抜きが出来ない私なんだな、、と、気づいた50代半ば。
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