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思い出してしまいました。

 先日、こちらの企画に参加させていただきました。

音の一枚 69 第17回あんこはるかの寄せ書きRADIO|あこはるか #note #週末プロジェクト


 たくさんの方々が『わがやの治療法』について書かれた記事が紹介されています。

 そのことですごく、いろんなことを思い出しました。

 目の前のことに必死になりすぎて何も考えられなくなっていたので、良いきっかけをいただけてありがたかったです。


 音声の配信はまだ聞けていないので、そのことについては何も書けないのですが、お二人の息の合った楽しいお話をぜひ、たくさんの方に聞いていただきたいと思い、記事にしてみました。




 今朝久しぶりに遅い時間に目が覚めて愕然としました。

 なんだかよくわからないけれど、気持ちが張り詰めていて、長い時間眠れない日が何ヶ月も続いていました。

 とりとめもなくいろいろなことを考えてしまって、何もできないまま時間が過ぎてしまっています。

 本当に恐ろしく、どうしたらいいのか全くわかりませんでした。


 そんな時、この企画に出会って、自分が幼かった頃のことをたくさん思い出しました。


 私が子どもだった頃、母は毎日、朝早くから夜遅くまで働いていて、会える時間はほとんどありませんでした。

 幼かった私は、ただ母に会いたい、そういう気持ちしか全くなく、そのことが私を仕事よりも子育てを大切にしたいと言う考え方にさせたのかもしれないと思いました。

 たまに会う母はいつもものすごく怒っていて怖くて何も話すことができませんでした。

 でも私が高熱を出し寝込んでいる時だけはとても優しかった、そうして私だけのことを母考えてくれる、そういう時間が欲しくて無意識のうちに具合が悪くなっていたようなそんな気がするようになりました。

 だから私は子供を産んだ時、子供が丈夫だったことが本当にありがたいと思いました。

 私は毎月のように高熱を出し、夜中でも母の背中におぶわれて病院に運ばれるような子供だったからです。

 だいたいいつでもいきなり40度以上の熱が出て、ひきつけこそは起こさなかったものの、何日も寝込むような子供でした。

 寝ているとき以外はほとんど働かされていた母にとって、そういう私の存在はとても重たく大きな悩みの種だったようです。

 人に聞いたり本を読んだりして、様々なものを飲ませたり食べさせたりしていました。

 大体はとても嫌な味がして私はそれがとても苦痛でした。

 時間にもお金にも全く余裕のなかった若かった頃の母にとって私は本当に困った存在でしかなかったような気がします。

 そういうことが私の考え方や性格に大きな影響与えていると、あらためて振り返ってみて考えました。
 どうしようもなかったんだなぁと思いました。


 大体どうしようもないことで何もかもが出来上がっています。


 だけど自分の意思で自分を運んで楽しいことを見つけることもできるはずです。

 私はそれを選びたいです。



 って、なんだか全然違うことを書いてしまいました。

 ごめんなさい💦💦💦


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