仲間内でルールを作るときの、残念な気持ち
おはようございます!ヤンです。
西野くんとの出会いについてひと段落したので、そのとき思うことを、フリースタイルで書いていこうと思います。
今日は、ルールを設定するときの残念な気持ちについて言語化してみました。
仲間内でルールを作るときの、残念な気持ち
成熟したプロ同士であれば、結果によって全てが判断されて当たり前だし、その評価とか報酬で折り合いがつかないのであれば、そこで取引が終わって当然です。
それについてグダグダ言うのは自由だし、どんな人も「自分の言い分」はあったりするけど、「相手を本当の意味で喜ばせたか、満足させられたか」「相手との関係性でどう判断されたか」が全てである以上、そこでの「グダグダ」は寝言みたいなものだなーっと思っています。(そもそも、「関係性」である以上、一方的なものはあり得ず、「お互いさま」の相互作用の結果でしかない。)
その価値観を共有している、その域に達してる人とだけ仕事をすれば済むなら本当にラクなんだけど、そうもいかないのがツラいところで、
特に、組織や集団として継続していくことを考えると、常に新しい人を迎え入れ続ける必要がある以上、ルールを作らざるを得ず、それは避けられません。いろんな背景やいろんな能力の人がいるだろうし、そういう人たちとうまくやっていくには、ルールを設定せざるを得ません。
以前自分がいた常識から抜け出せない人もいるだろうし、シンプルに「なんでこういう仕組みやルールになっているのだろう」ということに思いを馳せたり、それを理解するのが難しい人(平たくいうとアホ)もいるはずで。
僕としては、仲間内の中でのルールはあんまり増やしたくないのだけど、「なぜその仕組みになっているのか」の意図をパッと理解できない人がいるのが当然な以上、ルールを設定しないとうまく回らないのがなんとももどかしい。
仲間内でのルールで一番大事なのは、
「ルールそのもの」を文字通りそのままで受け取ることではなく、
「なぜそのルールになっているのか」という意図を理解することであるはずなのだけど、そこが伝わらなくて当然、という事実がなんとも残念な気持ちになる。
感覚としては・・
テレパシーで全てがお互いに伝わる神人だけが住む理想郷にいたのに、
伝えられる情報量がとても少ない「コトバ」という不自由な道具を使ってやりとりしなきゃいけない野蛮な人間世界に転落してきたような感覚なのです。
#伝わるかどうかわからないけど
「ルールの設定」は、ある種の理想郷からの転落というか、敗北宣言という側面があるので、そこが残念というか・・、
ルールの設定は「これは当然、わかるでしょ」がないところからのスタートだから、そもそも難しいし、全員がまっさらなアホだという前提で作らないといけないから、そこが残念な気持ちになるのです。
・・って、急にnoteの文体変えすぎたかも。笑
ま、いっか!
それでは、今日も素敵な一日をー!
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