コミ障という言葉から創るを楽しむ
私はコミュニケーションが苦手と思ったとき
その言葉「コミュニケーション」がさしているものの
本質は何でしょうか?
コミ障だと多くの場合、学校や会社で回りの人とうまくいかなくなって
その集団の中で孤立してしまい、自分に自信が持てなくなってしまうんじゃないでしょうか?
その結果鬱や自殺に至るケースもあり、かなり深刻な状況が発生します。
しかし、よく考えてみるとこれってスキルなのか?
もっと詳しく言うと「スキル」だけ高めればうまくいくのか?ということ。
数年前、ある若者に「私は、初対面の方とお話しするのが苦手なんです。
何を話せばいいのかわからなくなるのです」
という話をした時に、その若者にこう言われたことがあって「ハッ」となりました。
その若者は看護師をされているらしく、障害のある方に接する機会も多いようでした。
曰く「どんな方でも、その方の興味のある話題だと饒舌になってお話なさいますよ」
とのことでした。
なるほど、自身のコミュニケーション能力に自信がなくいつも浮いてしまう体験から
話すことに、心が小さく、固くなっていた私でしたが、能力だけの問題でなく
「話題」が関係することにその時気が付きました。
確かに、想像してもわかります。どんなにコミュニケーションがうまいと思っている人
でも、その話題に門外漢的な立ち位置の場合、黙るしかないか?となりますよね?
そこだけ切り取って、その人を見たら「もしかして、陰キャら?」とか
「おとなしい人」のレッテル貼りにあうかもしれませんね。
じゃ、「スキル」と「話題」だけか?という話になるとそうでもなくて
「関係性」や「意志」「状況」も大きな要素になってくるでしょうね。
例えば、人間関係にもやっぱり、優先順位がありますよね。
上司と部下だったら、上司を立てる、目上を立てるとか。
自分にとっての大事さ、影響力、力関係を考えたとき
そっちが先、って話になりますよね。
そいつと話すと、距離が近くなる、関わると良いことがありそう
得しそう、興味あるとなると、相手から合わせてくれるでしょ。
逆も同じ発想で、関わるとやばそうと思われたら、いくら話題を考えて
近寄ってみたところで、うまくかわされ逃げられてしまいますよね。
あと、家族が大変な状況にあるときとか、地震や災害、緊急時に
礼儀とかそんなもん言ってられないでしょ。
早く逃げな、命が先だから・・・。笑。
「ディスコミュニケーション」という言葉を知ったとき、
「あ、それもコミュニケーションだったのね?」と自分の中でのコミュニケーションの
概念が変わった経験があります。
本音でものを言い合うというか、対話や議論的なというか、対等な物言い?
欧米的コミュニケーション?「yes、noをはっきり言う」みたいなやつ。
上下関係に仕切られた、「忖度、庇護見返り」みたいな
サイレントマジョリティーを創る、ある意味表面的な予定調和コミュニケーション
じゃないやつ。
あ、逆にコミュニケーションのスタイルから、その社会の「関係性」を推し量れることに
今気が付きましたわ。
日本社会は縦軸の上下関係からできているから、物言わぬ忖度コミュニケーション
力の弱い下々の者が、上の者に合わしてやる、負けてやる関係。
面従腹背の可能性も大いにある。
納得できない不条理に、それが人間性を磨く修行みたいな側面がある。
日本社会における、「成長」や「人間性」「大人になる」という意味は
その道の行きつく先に見えてくる。
ボケて老人になって、「キレる人」が増えるのはよっぽど若い時に我慢したんかな?
または、周りに合わしてくれる人ばっかりいたとか?笑。
森元首相の問題発言みたいな感じ。
旧型社会の育ちの人間に、対話や議論が通じるのか?
早く離れたほうがいい。そして、そろそろみんなはっきり言ったほうがいい。
「商業主義のオリンピックはもういらない」
「あんたらの都合で振り回されるのもういやや!」
「そのお金、コロナ対策に回せ!」
「金を刷れ!皆に配れ!財源は国債!」
「池上彰にがっかりだ!」笑。
欧米社会は、横軸の対等関係からできている、議論型コミュニケーション
神の下、何人も人として対等だから、対話や議論でAでもないBでもない
お互いに納得出来るCという着地点を見つけようぜ見たいな関係に見える。
誰もババくじ引きたくないからね、誰もババくじ引かないように。
なるほどな。どちらがいいとかじゃなくて、どちらもその社会で生き残るには
最適な戦略だったんだろうなと・・・。
そして今、静かに緩やかにだけど関係性の地殻変動が起きていると
縦軸関係から横軸の関係性へ弱者がどんどん移住している感じがする
しかも閉じこもり、引きこもり、旧型社会を拒絶して切り離す。
よく考えたら、不登校もコミュニケーションじゃないか?
縦型社会から、横軸社会への過渡期にある今。
物言わず、旧型社会からそっと身を引く、ある意味俗世間から出家。
そして、新しい生き方の模索は、そういう脱出者が最先端。
孤独のトンネルの先に、輝かしい未来が待ってると知っていたら、勇気がわいてこないか?
タブーを口にして、コミュニティーから排除される、一見孤独の恐怖にみまわれる。
しかしその先に、輝かしい自分を生きられる未来が待っているとしたら
そこに勇気がわいてきませんか?
「コミ障」なんて他者の評価、もういらないよね。
いい加減に手放そうよ。
参考ハッシュタグ
#金を刷れ皆に配れ
#消費税廃止
#山本太郎
#共同体を守れ
#三橋貴明
#お金配り
#前澤友作
#大西つねき
#こころの自由
#政府通貨発行
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