良い子の生詩「なまうた」第65話 素直な良い子

https://youtu.be/3oUCiYFNtXw

素直な良い子は、我慢して自分の欲求を抑圧しているため、あからさまな反抗や反発を示さず
「期待を裏切ったり」「約束を守らない」といった、受動的な攻撃性を示す。
がしかし、その許容量をオーバーしたとき、突然残虐で、凶悪な非行少年になる

犯罪を犯すことによって、親や教師に自分のネガティブな面を見せつけることによって
わかってほしかった、理解されたかった、善も悪も含めた本当の自分を受容してほしかった。
本音を受け止めてほしかった。そのような心理なのだと思う。

かつての非行集団は、ピラミッド型の組織の中で、序列に応じた役割があったが、
1983年の非行傾向の転換点以降の集団は、自他未分化のまま群れた集団になっていて、
役割とか序列がない、アメーバ状集団。したがって、関係性も希薄で集団内の他者に煽られやすい。
「赤信号、みんなで渡れば怖くない」的なノリ。

親や教師に従順に従い「良い子」として生き続けてきた人々。
「良い子」の部分でしか生きることができなかった人が、万引きなどの犯罪を繰り返すことによって
「悪い子」としての部分を取り戻し、人格の全体的統合を図ろうとしている。
いい面も悪い面も人間は持っている、だから両方の自分を理解して受け入れる必要がある
→人格の統合つまり自愛。そして、その自分をカミングアウトして、共認しあえる存在に出会った時。
その目の前に現れた人物こそ、本当の自分だ。これを自己実現という。子宮に戻る。魂の目的。
地上天国。

受動攻撃性とは、受動性と攻撃性が共存しており、攻撃性は受け身の形で表現される
この行動は明確に表現されない敵意の反映であり、その個人が過度に依存している相手や機関との
関係に十分な満足ができないときにおこる「怒り」の表現である。

受動攻撃性の具体例(面従腹背)
普段おとなしい良い子がいきなり切れて、重大事件を起こしたりする現代型非行の例
①強者に向って、潜在的には攻撃的な気持ちを持ちながら受け身の依存的な態度を示す。
②強者に向って自己主張すると、報復を受ける恐れから抑圧してしまう
③強者に向って怒りや攻撃的感情を直接表現できない
④強者が期待する良い子のイメージを先取りする

暴力の定義
殴る、蹴る、傷つけるも含む、表面的にわかるもの以外に
ソフト面では、法的には触れる、撫でる、突っつくも含む。
された側が、嫌だ、怖い、痛い、といった嫌悪感情を抱いた時(その行為を承諾しない時)
その行為は暴力となる

安富先生:自分を自分じゃない者にしようとするあらゆる行為は「暴力」
つまり、他者への過干渉、指示、コントロール、管理、支配はすべて暴力。
※親が子供に躾や教育と勘違いして「良かれと思って」やったとて、子供の受け取りがネガティブだった場合。
それは、やはり「教育」に便乗した「暴力」でしかない。
ここが究極にややこしい点。多くの親子関係でミスるところ。

家族療法
「家族」とは、一つの生き物のようで、家族メンバー、一人ひとりを足しても全体としての家族になりません。
全体としての家族をとらえるには、家族を一人の人間のように理解する必要がある。
※共同体感覚や集合的無意識、人格、ホロン的人生。法人格。

理解の2つの方法
①個人にフォーカスする、「問題=個人」、責任を明確化でき、厳罰化できる。司法の考え方。
デメリットは、立ち直りのためのケアや問題解決につながらない。
②その個人を取り巻く関係性にフォーカスする問題の理解では、家族、学校、社会との関係の歪みが
その問題を起こした「個人の問題」として表れているだけという理解の仕方。
これだと関係性の歪みを修復することで、問題解決やケアにつながる。
本人のケアや問題解決には「親子関係」に元ずく理解と、親へのアドバイスなどできるが
そもそもその解決のための資源としての家族関係や親子関係が破綻していては、解決は一層難しくなる。

問題解決のための円環的認識
「原因→結果」という、因果論から出て、悪者探しをやめて、「原因=結果」という見方に変える。
卵が先か?ニワトリが先か?相手がこうだから私がこうなったという他律的視点(被害者感覚)をやめる。
相手が悪い、私が正しい。という感覚ではなくて、自分を振り返り客観視して自分をまず変えていく。

家族という人格は、一人ひとりが役割を果たし、しっかりとつながっていく「ホロン的」生き方。
個人個人が物事の見方捉え方を変えることによって、全体が変わっていく。
例えば、缶ジュースを縦においてみると長方形見えるけれども、横に置いてみると底の部分が丸く見える。
このように、物事を見る角度を変えると意味付けが変わってくる。
一人ひとりの性格は、その人に備わっているものではなく家族関係や友人関係などの様々な産物であり
その関係の中で、ネガティブにもポジティブにも意味付け、価値つけされている。

例えば、日米関係でいえば、japanというのは米国から見た我々出会って、私たちの視点に立てば
「我々は日本人です」って言っていいわけなんですよ。日本の視点を本音で主張してはじめて対等なんですよ。

家族構造のアプローチ
子供世代の上に位置する、親世代は子供の依存甘えを受け止める保護機能ではあるが
がちがちに固まったものではなく、子供の年齢、状態、親の仕事などの事情に応じて、親が子供と
同じレベルで遊んだり、祖父母が一定期間親の役割を代行するなど柔軟性も必要になる。
夫婦関係がしっかりしていれば問題は起きない
原家族の親子間で生じた未解決の問題を、新しい夫婦関係に持ち越すと厄介。
配偶者どちらかの原家族で、母子癒着やDV問題などが原因で、新しい夫婦が離婚にいたる原因にもなる。

家族の形態が多様化している今日「脱家族化」と称して、旧い家族の概念を脱却して新しい家族の在り方で
生きていくのも、「家族自体」を救うかもわかりません。

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