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きっかけの言葉

「いい天気ですね」

天気に関する文言は今日初めて会った人とでも会話が成り立っていく魔法の言葉だって何かの一文で読んだ。だからさほどお互いを知り得ない人と二人きりになったときには天気の話題を出すようにしている。僕も知らない人にそう声をかけられたとき、嫌な気持ちにはならなかったっていう実経験もあって。


「いい天気って、なんですか?」

天気の話題を出してこんな疑問が返ってきたのは初めてだ。僕は自分でも驚くほど冷や汗をかいた。

僕があからさまに動揺していると

「あなたは、今の天気が好きなんですね」

と彼女は続けた。

雲一つない青空、ではなく、今日みたいに立体感のある雲が青い空に映えている様が、僕の好きな天気だ。

「ええ、はい」

と間抜けな返事しかできなかった。彼女は続ける。


「私にとっての《いい天気》は雨なんです。ザーザー降りじゃなくて、霧雨みたいな優しい雨。」

いい天気の中に雨が入ることがあるのかと、僕は《いい天気》の概念を勝手に固定していたことを恥じた。


彼女は「変わってるって言われますけどね。《いい天気》が晴れじゃないこと。他のことでも言われるけど」と青空に視線をやりながら呟いた。


「固定概念に囚われてなくて、素敵だと思います」

うまく言えたかわからないけど、想いを伝えた。


彼女は驚いた顔をしてこちらに視線をやり

「お母さんと同じ」と言った。

また青空に視線をやってポツリと話し始める。


「お母さんは、『変わってるって言われるかもしれないけど、とても素敵なことよ。これからもあなたの感性を大事にしなさい』って言ってくれた。言葉を理解できたのは、少し経ってからだったけど」

彼女は続けた。

「唯一の味方。私のお母さん素敵でしょ。急に会いたくなっちゃったの。だから久しぶりに会いに行こうと思って。びっくりしちゃうかな」

彼女は初めて笑顔を見せた。でもどこか、悲しみを纏っているようにも見えた。


僕は少し考えてから答える。

「びっくりはすると思います。少なくとも僕だったら『早すぎる』、って」

「やっぱり、そうだよね。怒られたくはないんだけどな」

今度の笑顔は、涙を纏っていた。



「僕も同じだった」

気づけば、そう口から出ていた。

「辛くて、苦しくて、もう終わりにしたくてここに来た。でもそんな僕に声をかけてくれた人がいた。「いい天気ですね」って」

彼女は視線を落としたままだった。それでも僕は、声がひっくり返りそうになりながらも続ける。


「真っ向から戦うだけが正しいわけじゃない。逃げることも、正しいんだ。今の環境が自分にとって辛くて苦しいなら、逃げてもいいんだ。少し目線を変えれば、手を貸してくれる人たちがたくさんいることに気づけるんだ。」

「だから、お母さんに会いに行くのはもう少し、先延ばしにしてほしい」

気づけば、僕も泣いていた。


彼女は下を向いたまま、到底見えない地面に滴をこぼしながら

「私の話、聞いてくれる?」

そう小さく呟いた。

「もちろん。ファミレスでパフェでも食べながら、なんてどう?」

「私甘いの好きじゃない。でもファミレスのハンバーグは好き」

そう言って笑う彼女が足を踏み外さないように、僕は手を差し伸べた。でも、バランス感覚がいいみたいで、僕の手は行き場をなくした。彼女は揃えて置いてあった靴を履き、行き場をなくした僕の手をポンポンっと叩いて、歩き始めた。


街は何事もなかったかのように進んでいく。









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