ユートピアについて その14

 菊池理夫は「ユートピアの終焉?:ユートピアの再定義に向けて」においていわゆる「理想社会」の類型を「未来/過去」「禁欲/快楽」「平和/暴力」等の五つの評価軸から分類し、トマス・モアの著作に代表されるルネサンス的ユートピアを、これら全ての軸の中間点に属するものであると規定した。具体的には、ユートピアはアルカディアや千年王国のように過去や未来にあるのではなく、欲望の極端な規制・解放に傾かず中庸であり、戦争を全く放棄しているわけではないが好戦的ではない。
 加えて、ルネサンス的ユートピアは「理想社会/理想郷」の名で想像されるアルカディアや千年王国と比べて、より制度的・より現実的であるという特徴を持つ。「理想社会」と呼ばれるルネサンス的ユートピアは、より厳密に言えば理想国家である。国家である以上は法律をはじめとする諸制度が整備されており、都市計画に沿って建築・土木事業は進められ、更には構成員の生活サイクルさえも詳細に規定されている。ユートピアはあたかもわれわれの住む世界の同時代に存在する一つの国家であるかのように規定される、そして事実トマス・モアの著作において主題となるユートピア島は語り手たるラファエル・ヒスロディが航海の中で現に滞在した同時代の国家である。
 今一つのユートピアの特徴は、その叙述がすぐれて全体的かつ具体的であるという点にある。国土の構造、都市の景観から人間の生活にいたるまで、国家の全体を具体的に想像させる叙述は、楽園・理想郷の曖昧なイメージと比べて、より強い程度に読者の想像力に訴求する。
 最後に菊池が強調するのは、ルネサンス的ユートピアが虚構空間における思考実験であること、すなわち形式的には隔絶した空間に置かれ、その社会の現実的な実現過程に関する記述を欠いていることである。ユートピアは既に出来上がっており、外部からの旅行者の目には完成した・千篇一律に作動する閉じた系のようなかたちで「理想国家」が与えられる。理想国家成立以前の状態から国家が成立する動的なプロセスへの言及は、歴史叙述のかたちで回顧的になされることもあるが、欠如している。諸作品は、完成した理想国家のヴィジョンを与えるだけで、具体的にどのようにしてそれを立ち上げればいいのか道筋を付けはしない。これは一見すると欠点である。しかし菊池はこの虚構性に高い価値を見出す。

「ユートピア」という言葉は、eu-topos、つまり「良い‐場所」の掛け言葉にもなっている。「どこにもない場所」だが「良い場所」を具体的に考えることは逃避的なことではない。それは現実を否定し、現実との別の可能性を考えることによって、新しい可能性に人々を導く効果がある。(菊池理夫「ユートピアの終焉?:ユートピアの再定義に向けて」、慶応義塾大学法学研究会『法學研究:法律・政治・社会』vol. 67., No. 12.(1994. 12.), p. 187.)

 たといそれが今現在はどこにもないものであろうと、より良い社会の姿を想像することはできる……こうしたユートピア観は「空想的社会主義」と呼ばれるときの「空想的」と軌を一にするものである。

 菊池は同稿においてルネサンス的ユートピアに続いて社会実践としてのユートピアについてもふれている。後日要約する。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?