ユートピアについて その22

 ここ最近「ユートピアについて」が月1更新になっていてよろしくない。せめて隔週更新でやっていきたいところ。

 フランシス・ベーコンの未完のルネサンス・ユートピア作品『ニュー・アトランティス』は、太平洋某所に浮かぶ都市国家ベンサレムに漂着した船員の記録の体裁をとる。モアの『ユートピア』がモアを含む三人の対話に始まり(第一部)、続いてヒスロディの物語からユートピア島の政体を概観する(第二部)という枠物語的な体裁をとっているのに対して、本作は全体が一貫して船員の記録のみによって構成されている。
 モアのユートピアは、『デカメロン』や『カンタベリー物語』あるいは本邦の『大鏡』等と類似の様式をとり、ユートピア島という突拍子もない国家像を読者に提示するにあたって自ら前庭を造成している。また、ヒスロディが見聞したユートピア島の叙述は、イギリスのモアの筆による間接的なものである。
 ベーコンのベンサレムは、前置き無しにすぐさま問題の理想国家の叙述に向かうのだが、この記録は実際にベンサレムに上陸した船員(モアの作品ではヒスロディの位置にあたる人物)の手によるものであり、上陸するまでの問答や日々の経過、目にする文物や住民との会話が活き活きと描かれている。ベンサレムの住民による語りによって進行する節さえある。菊池理夫の定義するようにユートピアが現実化された理想であるとすれば、理想的な国家を現実に存在するかのように肉付けするにあたって、モアは理想国家を知る航海者を仲介として立て、彼の人格をよく描き出したのに対して、ベーコンは直接に理想国家を活写することで、理想国家に現実味を与えようとしたと言うことができる。

 アトランティスについては先日『ティマイオス・クリティアス』を購入して、日曜日に届くので、早めに目を通しておきたい。

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