ユートピアについて その3

年末に巌谷國士『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫版)を読み、昨日沼野充義『ユートピア文学論』を借りた。後者はロシア語圏のユートピア(・「ディストピア」)文学や「いま・ここ」からの離脱の夢想を見ていくもので、欧州全体に視野を広げるものではない模様。露文は詳しくないが、この沼野充義という名前はナボコフの小説の翻訳者として見た覚えがあるような気がする。

巌谷國士は例によってユートピアと楽園・アルカディアを明確に区別している。前者のユートピア、およびそれを描いたユートピア文学は、「この世に存在しない理想の国家像を描くという」文学形式であり、「古いギリシア以来の伝統」である。対蹠的なものとして中国の桃源郷が挙げられる。「自然そのものが夢の世界」である桃源郷のイメージに対して、「ユートピアとは理想国家であり、ちゃんと法律があって、きちんとした都市の形態をとっている」(以上いずれもp. 197.)。

プラトンの『国家』からルネサンス期のモアとカンパネッラ(『ユートピア』『太陽の都』)、18世紀の『ガリヴァー旅行記』とルイ・セバスティアン・メルシエの『2440年』、1800年前後のサドとフーリエ、19世紀のウィリアム・モリス『無可有郷だより』にエドワード・ベラミーの『かえりみれば』、20世紀のエヴゲニー・イワノヴィチ・ザミャーチン『われら』にオルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』、エルンスト・ユンガー『ヘリオーポリス』、ジョージ・オーウェル『1984年』……とヨーロッパのユートピア文学を羅列して、巌谷は、このユートピア文学に描かれる理想都市は共通の特徴を持つ、と言う。

まず空間的には周囲から隔絶している(「ユートピア国の隣りに東京や横浜があるなんていう話は聞いたことがない」p. 209.)。町の構造は直線ないしは円、換言すれば幾何学的な線を主体とする。「自然の曲線にみちみちた桃源郷なんかとはちがって、ユートピアは、つねに直行線や円のような図形でなりたっている幾何学的構造をもった都市です」(pp. 209-10.)。川や森などはまるごと植樹したり、護岸工事を施したりして、幾何学的構造に合わせてこれを矯正する。

時間的には、歴史を持たない、と言われる。「なぜかというと、理想の社会ができあがってしまえば、もうそのなかでは葛藤はおこらないと考えられている。第一なにごとも規則的であり、町がこのような形をしているとすれば、変更する必要がない」(pp. 213-4.)。時間もまた幾何学的に構成されている、換言すればいつ何をするという一定の時間割が定められており、理想的なそれにのみ従って住民は生きている。この時間割は変化しないので、住民のすることも変わらず、すると住民を囲う環境の変化も生じない。「歴史につきものの変化・生成はとまってしまい、非歴史的な空間になる」(p. 214.)。

1200字以上書いてしまった。最後に『シュルレアリスムとは何か』の中で挙げられている文献の一部を抜き書きする。

巌谷國士『ヨーロッパ 一〇〇の庭園』『イタリア 庭園の旅』 平凡社 コロナブックス、『フランスの不思議な町』筑摩書房

エルンスト・ローベルト・クルティウス『ヨーロッパ文学とラテン中世』1948年、邦訳せりか書房

エウへニオ・ドールス『バロック論』1935年

ヴォルフガング・シヴェルプシュ『闇をひらく光』法政大学出版局:パリ・コミューンにおける街灯破壊事件について。

ジャン・リュシアン・モノー『偶然と必然』1970年、みすず書房。分子生物学者。

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