ユートピアについて その15

 モアやベーコン等の「ルネサンス的ユートピア」以後の理想社会を描いた文芸作品についてはどのような特徴があると言えるか。菊池はルネサンス的ユートピアへのプラトンの影響を指摘する。時代が下って18世紀以降の「近代的ユートピア」については、啓蒙主義の影響が強まることで、未来における理想社会の実現という進歩主義的・楽天主義的ヴィジョンが共有されるとする。
 18世紀のユートピア作品=「近代的ユートピア」においては、モアのユートピア島が地理的に隔たっていたのに対して、理想社会は時間的に隔たっている。菊池はルイス・S・メルシエの『2440年』(1771)を例示しているが、これはタイトルが示すように遥かな未来の理想国家を描いている。菊池はこのような変化の原因を啓蒙主義に見ているが、川端香男里は『ユートピアの幻想』においてまた別の要因を挙げている。モアの存命中すなわち大航海時代における種々の地理的発見は、ヨーロッパとは異なる、ともすればより優れた社会への想像力を刺激した(その最たる例としてアステカ帝国、インカ帝国との接触がある。両帝国はギリシア・ローマの古典文明とは全く隔絶していながら巨大な統治機構を持っていた……ジル・ラプージュ『ユートピアと文明』参照)。しかし全球的な探索が進み地理上の「発見」が尽きると、現在時の別地点にある理想国家という想像力は各地からの情報によって否定されることになる。すると想像力は地理的なそれから時間的なそれへと転換したのだ、と言われる。
 ここで時間的な隔たりが想像されるとき過去ではなく未来へと「理想国家」のヴィジョンが投影されるのは、同時代の啓蒙主義・楽天主義の影響と言えるだろう。別の原因と書いたが、地理上の発見による想像力の阻害と啓蒙主義とは必ずしも排他的に競合するものではない。より細かく腑分けすれば、前者は「啓蒙主義的ユートピア」の始動因(の一つ)、後者はその形相因であると言うことができる。
 19世紀に入ると実践としてのユートピア運動、ひいては一連の「ユートピア」を批判した社会主義運動が登場し、文芸の分野以外での「理想国家」的想像力の成長がみられる。ただし、これらの運動も歴史意識を持つ場合には啓蒙主義的な楽天主義・進歩史観は共通しており、社会主義的ユートピア文芸作品も記されている。菊池は社会主義的ユートピア作品の例としてベラミー『かえりみれば』(1888)とモリス『ユートピアだより』(1890)を挙げている。
 20世紀には反ユートピア、いわゆるディストピアを描いた作品が多く発表された。ロシア革命を経験したエヴゲニー・ザミャーチンによる『われら』(1921)に始まり、フォーディズム的大量生産と画一化を人間の再生産に援用したオルダス・ハクスリー『すばらしい新世界』(1932)、ナツゾツ・ドイツの人種理論に覆われた未来世界を描くキャサリン・バーデキン、『鉤十字の夜』(1937)、極端な中央集権化と言語の破壊による人間性の危機を告発するジョージ・オーウェル『1984年』(1948)、近年になって続編が刊行され話題になった、宗教極右の独裁体制下のある女性の独白体で進行するマーガレッド・アトウッド『侍女の物語』(1985)……等々、枚挙に暇がない。
 こうした反ユートピア作品の隆盛の背景には、進歩主義や楽天主義への懐疑、個人の自由を抑圧する「ユートピア社会」に対する批判があると言われる。19世紀末までは西欧に広く共有されていた進歩史観が第一次大戦を経て打撃を受け、未来と進歩を結びつける想像力が減退した。また革命の結果誕生したソヴィエト連邦がとりわけスターリンによる独裁体制下で非人間的と言うべき抑圧を多くの人民に強いたことで、理想国家という構想が持つ人間に対して極めて攻撃的な側面が露になった。
 川端はユートピア文芸に共通する姿勢から反ユートピアへの転回を説明しようとする。ユートピアとはモア(ないしプラトン)以来理想的な国家体制を志向するものであり、その姿勢は少なくともハクスリーまでは変わらない(ムスタファ・モンドは、野人ジョンおよび読者にとってはどれほど受け入れがたいものであれ、フォード紀元の未来社会が「すばらしい新世界」でありうることを論じる)。ただし、共同体と個人という二つの観念について、モアの時代と20世紀以降とでは大きな違いがある。
 モアの時代には構想の対象となったのはもっぱら国家であり、そこに住まう住民は国家の構成部品の一つ以上の価値を持つものではなかった。もちろんモアは同時代の囲い込みによる資本主義の暴威を批判し、貧民の盗みに対する厳罰という威嚇的な対症療法ではなく、そもそも貧民が発生しないための原因療法として資本主義的社会への掣肘の必要性を説く。しかしながら彼が貧民、囲い込みにより発生した流民に同情を示すのは彼らが真の主権者であると認めるからではなく、より良い国家・社会のためにそうすべきであるからという理由による。
 国家の構成要素の第一のものとして個人が据えられるのは、国民主権ないし人民主権を認める議論の登場を待たねばならず、これは早くとも17世紀に属する。そして君主主権を否定し人民主権を確立したフランス革命は18世紀末のことであり、モアの生きた時代からは遠く隔たっている。
 ともあれ19世紀を通じて人民主権ひいては個人の尊厳という近代ヒューマニズム的観念が浸透していくにつれて、モアの時代に規定された人民の視点を欠いた理想社会という想像力はこれと齟齬を来たすこととなった。理想の共同体を描くユートピア文芸の中にはその理想の枠に収まらない不運な個人が必ずや現出する。『すばらしい新世界』のバーナード・マルクスはその典型である。単一の不可疑の理想によって統御された世界は、しかし現実におけるあらゆる偶然的事象の発生を抑えることができない。そして現実の一切を巧妙に統御する「見えざる手」が実現しないかぎり、理想国家のヴィジョンは失敗し、構成員の誰かにとっての牢獄、悪しき社会dystopia/kakotopiaとして存立するだろう。

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