解放のあとで 六週目 α

2020年7月12日

 まずは松原さん書簡の方ありがとうございます、読ませていただきました。この書簡というのは先週といっても3日ですからもう9日前、二つ前の金曜日のものになります。だから本当は私も一つ前の金曜日の10日に書簡をアップロードするのが筋というものだったのでしょうが前回自分が書簡をアップロードしたのが月曜日だったものだから同じ月曜日に投げようとしていて、今こうして書いて日曜日にアップロードしようとしている。これを読んでいる人は誰でも7月12日、7月3日から数えて二回目の日曜日、以降にアップロードされたこれを読んでいることになります。
 松原さんはわざわざ政治の話はいないでいてくれたのに政治の話をします。結局都知事選では小池百合子(現職)が圧勝ということになり、日本第一党の桜井誠が18万票を獲得しました。首都人口の1パーセントが人種ないし民族の別に基づく行政上の冷遇、ひいては災害時の虐殺を支持しているとしてツイッター上で「これは許されない」云々とポストがありました。この「許してはならない」は多分に「戦う民主主義」的な視点です、市民の契約上の理念的な「条文」として許容できない行為を「差別」その他として登記し、禁止する。というか、もしその「許されなさ」を「戦う民主主義」的な視点から解釈しないならば、自然すなわち存在のうちに当為が刻み込まれているということになる。信仰としてはそれで構わないでしょうが、自然から当為を引き出すというのはたとえば骨相学だとか人種論だとかと構造上は同じ手付きであり、桜井誠の支持者は「日本人と朝鮮人の平等など自然において許されない」「志那人や不逞鮮人は本性的に日本人に劣っている」と言うこともできる。自然の事物の内に人間社会の利害や理想と合致した何物かを見出すのは勝手ですが恐らくいい加減やめた方が良い。色々立場があるでしょうが自分はあくまで(理念的であれ)契約として諸々の当為が成立すると見做したいところです(もちろんこうした契約は個人レベルで見れば積極的に交わしたものではなく、内容に不満が出ることは大いに考えられる。そうした不満を背景に契約の更改を求める運動が、例えば同性婚を擁護する法整備を求める運動であったりする。)
 最近は小説もろくろく読めずにいます、これは前回の書簡ともしかすると変わっていないかもしれない、覚えていない、今パッと思い出せる範囲だとここ二週間くらいで保坂和志(小説家。1990年代にデビューし2020年現在も活動中。非常な猫好きで知られる。『プレーンソング』『未明の闘争』他多数)の『朝露通信』(初版2014年、中央公論新社)のあとがき……これは新聞に連載されたものの書籍化です……だけを読んだのですが、その中で保坂は新聞小説という媒体の性格に寄せて「新聞小説というものはあまり真面目に読まれるものではない、数日間読まれないでまた読むのを再開されたりすることもある、だからとくべつ記憶が歯抜けになるのだが、この歯抜けになって連続性のない断片的な記憶の一つ一つが不意に浮かんでくるその感じの鮮やかさが良い」と概ねそのようなことを言っています。とくべつ歯抜けになるというのは普通どんな小説を読んでいても、一語一句抜け漏れなしに記憶し、なおかつその全てを想起しながら読んでいる人などいない。同時に記憶一般の性質に鑑みても、生まれてから今までのすべてを判明に記憶して抜け漏れなしに想起できる人はいない。必ず抜けがあり、むしろ抜けているものの方が多く、覚えている記憶も前後とのつながりがはっきりしていないことも多い。新聞小説は記憶のそうした自然本性との協働が可能だ。そう言っていたのだったかちょっと覚えていませんが、そう考えることもできることを彼は書いていました。
 ここ三か月の生活および現在の興味関心ということになると川崎の住宅街の実家に鎖し込められているという感じがかなりしました。だから今一つ暮らしぶりを書いても面白くない。以前書簡に書きましたがああいうつまらない住宅街です。一種の身体論についてぼんやり思いを巡らせてもいますがこれは人に話せるものになっていないので後日お披露目するとして、一応三か月のあいだで読んだ本のリストは付けています。全て引用しても冗長なので比較的最近に読んだものをピックアップすると以下のようになります。
 ……ティム・インゴルド『人類学とは何か』亜紀書房(冒頭二章ほど西欧社会における広義の人類学についての講釈あり)、渡辺考『戦場で書く 火野葦平のふたつの戦場』朝日新聞出版(「戦中」「戦後」ふたつの戦場ということらしいが、中国戦線における従軍小説家、南洋における宣撫工作家、そして戦後の小説家の、三つの顔があるのではないかとも思われた)、大江健三郎『小説の経験』朝日新聞社(講演録と時評の集成。古井由吉の小説・随筆に関する短評その他)、西洋古典叢書『ヘシオドス 全作品』京都大学学術出版会……。
 直近の話題では、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト(20世紀前半のアメリカの小説家。早くからアマチュア・ジャーナリズムに関係すると共に怪奇作家らとも交流を持った。 『宇宙からの色』『ピックマンのモデル』他多数)のごく短い紀行文を翻訳するためにヘーシオドスの『仕事と日』『神統記』を読んでいました。「黄金時代(our) Golden Age」という語頭大文字の語に注釈を入れるべく、文学作品としては最古とみなしてよいヘーシオドスにあたろうという意図なのですが、ヘーシオドス自身は人間の種族を規定して最初のかつ最良のものを「黄金の種族」と名付けている。これが時代区分へ変化し、「黄金時代」と称されるにはローマの擡頭を待たねばならない。いずれにせよラヴクラフトは早くから古典を読みこなす早熟な人物であり、紀行文の端々からも、うんざりするほど頻用される「古代ancient」や上のような「黄金時代Golden Age」といった、西欧の自己認識における祖先を賛美する語が多く並んでいる。自己認識としてはニューイングランド人にとっての父祖はギリシア人でありましょう。しかし当の、二千五百年前のギリシア人にとって、遥か未来のバルバロイにどれほどの親しみがあったか。またギリシア人が美徳として持ち合わせていたとされるエウクセニアーΕυξενια、異国からの客人に対する歓迎と厚遇の精神を、けったいな人種論をこねくり回した西ヨーロッパ人が、そして虐殺の再来の阻止を今だに掲げていない現代日本の我々が一体どれほど持ち合わせているものであるか。
 三か月のつまらない生活と最近の興味関心という論題についてはひとまず以上のようにお答えできたかと思います。歌猫さんは以前の書簡では漫画と映画をよく話題に出されていました。自分は藤本タツキ『ファイアパンチ』『チェンソーマン』をとくべつ読んでいます。シナリオの構成と、とりわけ後者ではクリーチャーデザインに注目しています。無数の腕を編むように組み合わせた蛇の悪魔のデザインが好きです。とはいえ自分はとくべつ専門的な漫画読みというわけでもありません。だから蛇の悪魔と類似したデザインがすでに漫画の歴史の中でさえ数多く存在するかもしれないが、あったとしてもそれは私にはわからない。ちくま文庫から出ている前衛漫画アンソロジーなどにも手を伸ばしてみるべき頃合か。この辺りでキーボードを叩くのもしまいにさせていただきます。東京都の感染拡大を見るにいつまで人と人との疎隔が続くかわかりませんが、皆さん共々に、ご自愛を。

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