ユートピアについて その8

李琴峰のインタビュー記事を読んだ。

女性のみによって構成される統治集団・ノロについて、李は次のように言う。

単に女性が宗教と政治をつかさどる地位についているという意味ではないんです。ただ単にヒエラルキーとか階級を逆転させるのではなくて、もっと根本的に、女性が一から作る共同体を想像してみたかったというのが意図ですね。

「女性が一から作る共同体」については作中で語られる部分もあるがここでは引用しない。ただ、この試みがどの程度成功しているか。何しろ紙幅が少ない。インタビューで書名が挙げられる『1984年』や、書評(https://www.nippon.com/ja/japan-topics/bg900306/)で言及される『侍女の物語』に比べると『彼岸花が咲く島』は短い。前二者が大部ではあるとしても芥川賞受賞作は中編であってそう長いものではない。作中で語られるのは、既にある〈島〉の共同体が季節の移ろいのなかで演じる日々の営みや折々の行事が主であり、その共同体が一から作られる時点については、大ノロの口から過去の歴史として語られるに留まる。

上でurlを挙げた書評(鴻巣友季子による)。文中ではこの作品がフェミニスト・ユートピアを描くものであると言われる。「『彼岸花が咲く島』は、フェミニスト・ユートピアの正統的系譜を継ぐ傑作である。」ここでユートピアと言われるとき、それはあくまで一種の理想郷である。

話しは前後するが、長さとは別の観点として、文体についての指摘がある。

世界文学の大きな流れのなかにいる作者に、一考いただきたいことがある。地の文の「声」の提示についてだ。たとえば、「宇実はこのように考えた」「見た」「思った」という心理動詞の後に、宇実には知識や概念がなさそうな(語り手の)言葉がじかに接続されていると、若干戸惑いを覚える箇所があった。/近世から近代に欧州で生まれた小説は、現代へと時代が移るなかで、ナラティヴに内面視点を導入することが多くなった。語り手が登場人物と視界や思考回路や声を共有する書き方である。でも、それとは逆に、語り手の言葉を際やかに差異化する手法もある。作者の言語力があれば、もっと語りの声を浮き彫りにする後者のスタイルで書いても、かっこよく決まる気がする。李琴峰にしか織りあげられない豊潤なテクストになるだろう。

『彼岸花が咲く島』には、特徴的な言語として、島の住民が話すニホン語とノロらが話し読み書きする女語、そして島に流れてきた宇実の話すひのもとことばの三つが登場する。ただしこの小説自体はいわゆる神の視点、三人称で書かれている。この三人称の地の文の言語は日本語である。女語とそう変わらないとはいえ、言語が特徴的な舞台装置になっているこの作品において、三者のどれでもない日本語が作品を支配する主たる書記言語として選ばれている点は、この魅力的な作中世界の惜しむべき瑕であるかもわからない。

『彼岸花が咲く島』の構想について、デンマークのコペンハーゲンにある独立自治体(?)、桃源郷に代表される東洋的な理想郷のイメージ、トマスモア卿の空想文学『ユートピア』のユートピア島……が混淆し、これらを現代~近未来の日本に落とし込むとどうなるかといった観点から構成された、と言われる。

また、『彼岸花が咲く島』後半の展開についての李の所見が他の記事に比べて詳細に述べられている。〈島〉の統治集団であるノロは女性で占められている。これは「現実の社会が男性優位でジェンダー不平等な状況とは、対照的」とインタビュアーによって言われる。

起点として、ユートピア的な世界を描きたいという思いがあり、その設定を作っているなかで、自分が「こうなるといいな」と思う部分をいくつか盛り込んでいます。

李は一種の理想社会を描こうとして『彼岸花が咲く島』におけるノロ階級を、試みに、女性のみによって占めることとした、と言う。ただし彼女は、、現実の社会と対照的であるような〈島〉の社会構造が、まったく理想的な、完全なものではない点にも注意を促している。

とはいえ、ユートピア、理想郷というものはそもそもあり得ない。本作で描いている<島>の現状も、完璧だとは思っていません。\なぜなら、誰かにとってのユートピアは、他の人にとっては必ずしも理想ではない状況があるからです。理想に近づけようとした社会のなかでもほころびが出て、疎外されると感じる人間がいる。拓慈(タツ)という登場人物の存在が証明している通り、ユートピアと思われる世界も、誰かを犠牲にし、排除することによって築かれているので、「それでいいのか」という問いかけにもなっているかなと思っています。

ノロ=女性により統治される島という構想は、その根底に「女性によってつくられる共同体」という理念を持つとはいえ、ジェンダーに基づくヒエラルキーの逆転として表出されるうらみが無いではない。拓慈……女語を習得し、ノロになろうとする少年……の姿が繰り返し描かれる『彼岸花が咲く島』は、その逆転した位階秩序には、歴史を知ろうとする拓慈を阻む堅い「天井」があることを読者にまざまざと示している。

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