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近い未来でありますように

「新型コロナウイルス」という言葉を初めて目にしたのは、長女が産まれて半年ほど経つ頃だった。

長女を連れてどこへ行こうか。年に一度くらいは県外へ行こう。たまには海外にも行ってみたいね。妻とそんなことを話したのを覚えている。

長女が1歳になった頃、県内にある家族風呂付きの温泉旅館へ行った。長女自身がどこまで理解していたかは分からないが、家族3人が笑顔だったのは間違いない。ただ、食事は部屋で済ませ、周囲のお店などを回ることは控えた。「世間が大変な中、こんな風に遊んでいてもいいのだろうか」「万が一感染したらどうしよう」という思いが頭から離れずにいた。

その後、長女を連れての旅行はできないままだ。


先月、新たに長男が家族に加わった。

二度のワクチン接種を終えても、未だ収束の兆しは見えない。長男が初めての家族旅行に行けるのはいつになるのか。どのような状況になれば、どのような場所であれば、許されるようになるのか。まだ見ぬ長男の笑顔を想像しながら考える。


旅行以上にハードルが高いのが、他者との交流だ。僕は仕事で、娘は保育園で、多少の人付き合いがあるものの、趣味や娯楽で他者と交流することは憚られる。出産後で休業中の妻や、生まれたばかりの長男は、近しい親族くらいしか会うことができない。地域には高齢者も多く、近所付き合いすら十分にできない。これはきっと、子ども達の成長にも良くない。

「気軽に交流したい」という欲求を「不謹慎」の蓋で抑えていると、以前のように交流したい、いや、より積極的に交流したい、という気持ちになってきた。テレビ会議システムなどの普及により、ネット上での交流は気軽にできるようになったが、対面で話したい・触れ合いたいことも沢山ある。

傷付いた方々への配慮を欠いてはならないが、この反動を否定する必要もない。


僕が「未来のまち」に望むのは、何の気兼ねもすることなく、家族や他者との交流を深められる場所と時間が守られること。

全部が終わったら、そとで踊ろう。みんなで踊ろう。

#暮らしたい未来のまち

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