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褐色細胞腫闘病記 第20回「闘う君の歌を」

みどり先生の息が上がっている。
私を追いかけて探してくださったのだろうか。なんだか申し訳ない。

「三島さん、急に棚沢先生いなくなって驚かれましたよね。すみません先ほどは何も説明できなくて」
「みどり先生…私、あの…」咄嗟に言葉が出ない。胸が詰まる。

「事務の者から2回ほどご自宅にお電話差し上げていましたが、お爺様らしき方が出られて、伝言を頼んでおいたんですが」
「え…? そうなんですか?」全く知らないぞ。
「病院に連絡してくれるようにお伝えしておいたんですが、ご連絡がなかったので棚沢教授が直接お電話を差し上げたこともありました」
「えええっ!」そ、そんな。教授自らご連絡いただいていたの? なんてことだ。
「ご連絡がなかったので心配していました。今日はお目にかかれて安心しました」
私は狼狽、混乱する。当時、私は携帯電話をまだ持っていなかった。
そして義父は何も言っていなかった。
しかし悲しいかな、義父が電話を取り次がないのはこれが初めてではない。

「棚沢教授は最近上梓された海外向けの本が評価され、アメリカの病院に招聘されました。しばらくあちらで医療関係者にご指導なさいます」
「私が勝手に外来を延期してしまったからお会いできなかったのですね…」
「いえ、手術は4回目ですから迷われるお気持ちはごもっともです。こういうことはよくあることです。三島さんは気になさらなくて大丈夫です」

この方は本当に温かみのあるお人柄だなぁと、みどり先生のまあるい目を見ながらしみじみ思う。
連絡がつかなかったのはこちらの不手際なのに、私を責めるような口調をまったくしないばかりか、労いの言葉すらくださる。
みどり先生の優しさのおかげで、靄の中に不意に迷ってしまったような気持ちが少しずつ晴れていく。

「手術することを決意なさったんですね」
みどり先生が時計を気にしながら私に言う。
「はい…でも、北野先生という方、私の病気のことは、あの、すべてご存じなんですよね」
失礼を承知で直球の質問をしてみる。
「腕は確かな先生です」
違うがな。そんなこと聞いてないがな。
「褐色細胞腫の特徴的な症状のこととか、今までの私の経過とか、北野先生はご存じですよね」
「はい、それは大丈夫です。棚沢先生もよろしくとお願いしていましたので…」
だんだん小さくなるみどり先生の声。

「ただ、ちょっとね、とっつきにくいところもあるように見えるかと。いろいろ誤解されることも多い先生なんですけどね」
みどり先生、それ誤解じゃねぇよホントのことだよという言葉をギリギリ喉で止める。

ふと思い出して聞いてみる。
「あの、梶並先生は、今回のオペには入ってくださるのでしょうか」
「いえ、実は別のチームに移動となりまして、今回は入りません」
「え、そんな。これまで助手としてついていてくださった方は…」
「今回は私だけなんです」

ま、そうだよなあ、ここは大学病院だものなあ、人が移動するのは仕方がないことだな、と自分に言い聞かせる。
まあ、みどり先生だけでもいてくれれば御の字か。
でも、なんとなく腑に落ちない。

「ごめんなさい、今ちょっと抜けてきたのでもう戻らないと」
みどり先生が申し訳なさそうに両手を合わせる。
「あ、あのっ、棚沢先生がお戻りになられるのは…」
「2カ月後です。でも三島さん、もうこれ以上オペは延ばさないほうがいいです」
「でも私、正直、さっきの先生は嫌です」
ひー、ついに私、ただ我儘言ってるだけの患者に成り下がったな、と言ってすぐに後悔する。
「お気持ち、わかります。でも三島さん、血液検査と尿検査の値が今回は良くありません。毎日血圧は測ってますか? 一刻も早く手術しないといけません。棚沢先生もそれをずっと心配していました」
だから、そこまで心配してくださる先生に執刀してほしい。
ただそれだけなんだけど…

みどり先生がまた外来でお会いしましょうと言って去っていく。
私は今回の顛末を義父にどう伝えようかと考える。
「あなたのせいで私は」この言葉を今、ものすごく叩きつけたい。

まっすぐ帰宅する。義父はぼーっと縁側に座って花壇の花を見ている。
「ただいま帰りました」
おい、聞こえたのかよ返事くらいしろよ、とキリキリする。
私は近づいて、さりげなく聞いてみる。
「あの、お義父さん、大学病院から何回か私宛に電話がありませんでしたか?」
ゆっくりと振り向く義父。視線は私を見ていないようにも見える。

すこし時間をおいて考えてから、義父が口を開く。
「…そういえばなんか、あったな」独り言のように言う。
なんかあった?   冗談も休み休み言えや。まるで他人事かい。
義父は人が病気になるのを見るのがとても嫌いな人だ。
夫ですら風邪を引いても義父の前では元気にふるまう。
私の病気のことは全部話しているけれど、それをどこまで受け容れてくれるのかわからない。
もう無駄だな、とすぐに察してこれ以上反論するのをやめる。

仕事から帰った夫に事の顛末を話す。
「親父は自分から喋るの苦手なんだから、お前が話しかけてやらないと」
「え、電話があったかどうかわかりようもない状況よ? なんで私が…」
「また屁理屈言うなよ。手術はもう3回も成功してるんだから今回も大丈夫だろ」

はい? 今なんて言いました? もう一回言ってみろや。
「親父が悪いって言いたいんだろ?」
まあ、そうですけど。病院からの電話の取次ぎをちゃんとしてくれないと命に関わりますが。
「今度もオペが長時間かかるのをすべて知ってるあなたが平気でそんなこと言うのね」
「でも今まで大丈夫だったろ? 今回の事だってちゃんと病院に通わなかったお前がもともと悪いんだろうが」

まあそうですねわかりました私が悪うございましたもうあなたの大切なオトウサマを悪く言うようなことは金輪際しませんのであなたもいい加減パチンコやめたらどうなの愛人はまた変わったでしょ私は全部知ってるわだいだいお金はどうしてんのよそれを聞くといつも怒鳴るでしょう私はそれがいやなのとてもいやなの野乃子の前でだけエエカッコシイしてるけどあなた私のことただの家政婦だとでも思っているんでしょうくやしいくやしいくやしい

私はたくさんの言葉を心の奥の奥にぎゅっと押し込め、全力で黙る。

その時だった。
いきなり、トトトン、と脈が飛んだ。
鼓動が気持ち悪いリズムを刻む。
心臓の鼓動に下手くそなシンコペーションはやめてくれ。
うわ、気持ち悪い。胸が苦しい。
私はその場にしゃがみ込む。
苦しい。苦しい。苦しい。
これは、血圧が上がっているのか。
それとも先尖性肥大型心筋症の発作か。

私は頓服を口の中に放り込み、救急外来に自分で電話し、自分で車を飛ばして夜の救急外来まで走らせる。

「もう、限界なのかな」
思いがけず口を衝いて出た言葉に、自分でびっくりする。
早く手術しないといけないのかな、とハンドルを握り締めながら思う。
自分で車を運転してきたことを救急外来の医師と看護師にひどく叱られ、私は思わず涙する。
ねぇ、あなたたちも私を怒るの? そんなに怒らないでよ。

家を出るとき、心配して見送ってくれた野乃子の顔を思い出す。
「ママ大丈夫?  ののがついていこうか?」
こういう時、泣きたいのは野乃子のほうだろう。
でも彼女はこんな時は絶対笑顔なのだ。
泣いたら心配かけちゃうって、あなた、ずっと赤ちゃんの頃からずっとそればっかりね。
でもね、ママはずっと救われてきたよ。
本当に野乃子の笑顔で元気になれたんだよ。ごめんね。

うん、そうだ、私には野乃子がいる。
それを忘れちゃダメだ。私は母親なんだもの。
明日もちゃんと学校に行く娘を見送らなくちゃ。

点滴を投与され、私はうっすらと眠る。
どうせこの病と闘うのは私なんだ。
乗り越えるのは、私。私ひとりなんだ。
そんなことはわかっていたことじゃないか。何をいまさら泣くんだ。
こんなことで負けちゃだめだ。

明け方。私はもう大丈夫ですと言って帰宅する。
すやすや眠る野乃子の寝顔を見る。
まだあどけない寝顔。手にそっとキスをする。
この子が大人になるまで私は絶対に生きなければ。

野乃子の手のぬくもりを心と体の隅々まで充電する。
よし、私はまた頑張るぞ。

私は手術することをもう一度しっかりと決意し、もう一度野乃子の手をそっと握りしめた。  

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