大切な人の死を受け止めきれない

パパが死んでもうすぐ2ヶ月。いろんな処理で同じ事を何度も何度も連絡したりかなり手こずった。世間の人もこんななんだろうけど。もうすぐ大きな問題、定期預金の凍結を溶いてもらうため行政書士さんに頼んでいるけどこれが住めば後は引越しの準備に取り掛かれる。本とCDはひばりちゃんが捌いてくれる。どうなるかわからないけどMAC関係はネットで見つけた所に送った。ただ処理ができず戻ってくるかも。5月14日はまた東京に行きお寺の行事に参加。納骨の時も思ったけど
しょせん儀式でしかない。

毎日、特に家に帰ってきてドアを開けた時がきつい。働いている時は今体力がなく精一杯なので人にどう思われるのも気にならない。ただバックヤードで急に涙が出てくる。梅田にもほとんどいかなくなった。楽しそうにしている人達を見るのが辛い。
毎日家に帰ってきてただいまと言ってひとしきり泣いてパパのお骨に話しかける。今日は柏餅を食べてもらった。
話かけて落ち着く時もあるし、やっぱりいないんだ、二度と会えないだと涙が止まらなくなる。人が死ぬという事がわからない。
今まで身近な人が死んでもこんな事思ったことなかった。母や父の時もこんな事考えなかった。できたら半年前に戻ってやり直したい。もっとお金を使って色んな治療を試したかった。大病院だけどどちらの先生も最初から諦めていた。

今願っているのは、このままでは生きるのが辛い。パパのいない生活を構築しなくては毎日本当に苦しい。自分で命を断つ事はできない。偶然の事故は期待できない。もし癌だとしても治療はしない。早く死んでパパに会いたい。会えるかどうかわからないけど。何か楽しい事はあるのか。アントラーズが勝つことは心にとっても力をあててくれる。今の状況では関西の試合も行けないけど。ひばりちゃん達が毎週木曜日に飲み会をしていて、2回混ぜてもらったけどとても楽しかった。

本屋のくせに慰める本も考えられない。少しずつ整理して前に出なくて横にでも動かなくちゃ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?