情報リテラシー入門(健康・医療情報)
久しぶりにまとまった文章を書きたいと思い立ったので書いてみることにした。今回は情報リテラシーについて、とりわけ健康・医療情報のリテラシーについて扱っていこうと思う。
というのも、自分自身
「『医師が教える〜』ってタイトルで書かれた本やダイヤモンドオンライン、東洋経済の記事をよく見かけるけど、あれって信用して良いの?」
「最近サウナが流行ってるけど効果あるの?」
「グルテンフリーって本当に効果あるの?」
「サプリメントって何を飲めば良いの?てか効果あるの?」
「1日3食と1日1~2食ってどっちが良いの?」
「慢性的な腹痛だから病院に行ったけど結局整腸剤をもらっただけで症状が改善しなかったんだよな。どうすればいいんだろう」
「本屋に行くと『医者が教える~』とか『シリコンバレー式~』とか色々な本があるけど、あれって読む価値あるの?」
「どういうやり方が一番運動効果が高いの?」
「運動にはどんな健康効果があるの?」
「どうやって寝るのが一番熟睡できるの?」
「結局短時間睡眠ってやらない方が良いの?」
「瞑想って本当に効果あるの?」
「洗顔料と化粧水と乳液ってどれが良いの?」
「スキンケアをするにはどの製品を使えば良い?」
「肌のために水2Lを飲むと良いって言ってたけど本当?」
「サウナや有酸素運動に美肌効果があるのは本当?」
「髪のケアって何をすれば良いの?」
といった疑問点がたくさん浮かんできて、結局どの情報が正しいのかわからなかった経験があるからだ。健康・医療情報は無限に湧いてくるものの、実践するとなるとお金や時間がかかるため一つ一つ試して効果を測定するわけにもいかない。では、実践せずに効果を予測するにはどうしたら良いだろうか?
それが気になって健康・医療情報のリサーチ方法を調べ、今回noteでまとめるに至った。このような疑問を持ったことがある人、つまり健康・医療情報に振り回されて何を信じたら良いか分からない人は読む価値があるだろう。
「医療関係者でもないのにそんな記事を書いても大丈夫なの?」と思う方もいるかもしれないが、本noteは医療関係者2名からチェックされて誤情報がないことを確認済みである。
誤解を招かないように最初に言っておくが、このnoteは健康になるための方法を提示したnoteではない。あくまでリサーチのやり方を提示したnoteだ。
まずは目次を見てもらいたい。このnoteは前半と後半に分けてある。
前半は「なぜテーマを情報リテラシーに設定したか」~「バイアスや誤謬のパターン」までだ。前半では健康・医療情報に限らず使える情報の真偽判断をするための頭の使い方を書いている。一方、後半は「探す」~「リサーチスピードを上げるには」だ。後半では健康・医療情報に的を絞って検索のコツを書いてある。健康・医療情報の検索のコツだけを知りたい人は後半だけ読むと良いだろう。
なぜテーマを情報リテラシーに設定したか
なぜテーマを情報リテラシーに設定したか。それは単に、自分が情報の真偽判断や公開情報からの推測を得意としているからである。
例を挙げよう。自分は気になったテーマについては何かしら仮説を立てたがる性分なので、ニュースで気になった記事があるとそれについての予測を立てている。これまでに立てた予測は、鬼滅の刃に関するものと米大統領選挙に関するものと大阪都構想に関するものである。それについての予測がどの程度当たったのかを明記しておこう。
①鬼滅の刃の映画(無限列車編)の興行収入が公開から何日で300億を超えるか→60日と予測して59日目で300億を超えた
②鬼滅の刃の映画(無限列車編)の興行収入が何億でストップするか→396~398億と予測して401億でストップ(厳密にはまだ上映はしているのでストップではないが、401~2億でほぼ確定だろう)
③2020年11月に行われた米大統領選挙でバイデンとトランプのどちらが当選するか→バイデンと予測して的中
④大阪都構想が可決になるか否決になるか→否決と予測して的中
このように、インターネットで検索できる公開情報からの推測で神がかった精度を発揮することを得意としている。そんなこともあって友人からエスパーだとか占い師と呼ばれたこともある(得意としていると言っても今まで的中しただけで今後も的中し続けるとは限らない。100%当てることなどできないのだから)。
もちろん勘や当てずっぽうではない。与えられた情報から筋道立てて推測して当てている。これがいかに難しい知的操作であるかは次のダイヤモンド・オンラインの記事を読めば分かるだろう(記事のリンクを貼り付けておくので興味がある方は読んで欲しい)。
上の画像は2016年の大統領選挙のものなので2020のものとは違うが、予測の難しさを説明する上では問題ないだろう。
この画像を見れば分かる通り巧妙な統計学者でも予測を外す。
いや、学者「でも」という言い方は不適切だ。というのも、この表現には「専門家や権威のある人なら予測を当てる」という認知バイアスが含まれているからだ。現実としては、経済や政治の予測は専門家でも当たらず、逆に素人でも当てることができるものだ。一般的には学者は賢いと思われているのだろう。確かに専門分野に関する知識は多い。しかし、専門外の分野には疎かったり、未知の問題にうまく対応できず愚かな発言をしたり、専門分野でも雑なモデルを作って予測を外したりしている(ただし、基本的には専門家の言うことは正しいことを頭に入れておきたい。あくまで基本的にだが。素人の方が正しい判断ができると思い上がってはいけない)。
知識の多寡のみが予測の精度に影響を与えるわけではない。詳しくは下の記事を読んでもらえれば良い。
正直に打ち明けると自分は政治に関する知識は全くと言って良いほどない。それでも筋道立てて考えて当てることができた。ここから言えることとして、予測において重要度の高い要因は知識の多寡ではなく推測力であろう。本noteではどのような頭の使い方をすれば情報の真偽判断や精度の高い推測が可能になるかを書いていく。
ここまで読んで、「予測が当たることは分かったけど情報リテラシーや情報の真偽判断とはどう関係あるの?」と思った方もいるだろう。当然と言えば当然ではあるが、予測を当てるには参照する公開情報が信頼に足るものでなければならない。その情報が間違っていればその後の仮説も全てズレていくのだから。ここから分かるように、予測を出すまでの過程で情報の真偽判断は避けて通れないものである以上、情報リテラシーを語る上ではその最終段階である仮説構築や実行段階で精度が高いことを示すことができれば十分と言えるだろう。
情報リテラシーの定義
これから情報リテラシーを高めるための頭の使い方を説明していくが、その前に情報リテラシーという単語を定義しておく必要がある。
このnoteでは、情報リテラシーを「情報を探し、評価し、仮説構築や実行をしていくための能力」と定義する。それゆえ、探す、評価する、仮説構築や実行をするの3つのパートに分けて説明していくこととなる。と言いたいところだが、3つのステップ全てに共通する考え方と信頼性の高い情報を探すのに必要な考え方の2つで、評価すると仮説構築や実行をするの2つまでカバーできてしまうため、本noteで提示する考え方は大きく分けて2つしかない。懐疑と絞り込みだ(細かく分けると演繹と帰納も入るので4つ)。前半では懐疑について説明し、後半では絞り込みについて説明していく。これが本noteの全体像だ。
まずは探す、評価する、仮説構築や実行をするの3つのステップ全てに共通する要素として、「懐疑」というものを説明していく。
常に懐疑的であれ
端的に言って、情報リテラシーを高める上で核となるものは批判的態度及び懐疑的精神である(このnoteでは今後懐疑的精神で統一する)。
懐疑的精神とは、ある物事や事柄、見解、情報に対して疑おうとする姿勢のことである。
たとえば、何か情報を見聞きした時に「それって本当なの?」「この場合だったらどうなの?」と疑問を持ったり、自分が結論を出した時に「でもこの部分を突っ込まれたらうまく説明できなくない?」「反対者の立場で考えても自分の意見が本当に正しいと言える?」と疑問を持つことである。そして、疑問を疑問のままで終わらせず、改めて調べ直したり結論を再構築するのである。
要するに、情報を見聞きする→結論を出す→懐疑する→結論を再構築する→懐疑する→結論を再構築するという手続きを繰り返し行えば良いということである。その地道な繰り返しこそが精度の高い判断を行うための最大の肝だと言って良く、それ以外の方法は有効ではあるものの肝と言うには不十分であり、枝葉末節に過ぎない。懐疑が身についているのであればこのnoteの50%は理解できたと言っても過言ではない(残り50%は信頼性の高い情報の探し方、つまり絞り込み)。
一般的には学者の予測や判断は当てになると思われているだろう。しかし、冷静に分析してみると案外短絡的に結論を導いていたり、反論ポイントを容易に探し出せるようなことを言っていたりするものである。そして、そのような学者は大抵予測を外している。つまり、懐疑が不足しているがゆえに予測を外していると言える。過去や現在のことなら知識の多寡で差がつくが、未来のこととなると知識が多い専門家でも予測を外すものであり、推測力で差がつくと言える。これに関しては、「地頭力を鍛える」という本でも言及されているのでその本から一部抜粋して引用しよう。
この引用文に書かれているように、これからの時代は知識の多寡ではなく思考能力の差で判断力や知的生産能力に大きく差がつく時代になると言えるだろう。現代は情報が生産・消費されるスピードがあまりにも速すぎる。とてもインプットばかりしていて間に合うようなスピードではない。であるからして、専門外の分野や未知の分野の問題に直面しても即座に適応して論理的・体系的な判断を下せるような思考力が求められていると言える。
また、このこと(=知識の多寡ではなく推測力で差がつくこと)はコロナ禍になって顕在化したのではないだろうか。コロナ禍で、社会階層が高い人間から低い人間まで愚かな発言をする人がよく目につく。
たとえば、コロナ禍に際して様々な数理モデルが使われたが、数理モデルは現実の大胆な近似に過ぎず常に有効だとは言い難い。アインシュタインが言ったように、物事はできるだけ単純にすべきだが単純すぎてはいけないのである。現実は複雑な様相を呈しているため、こちらも正確さを期するなら複雑に考える方が判断の精度は上がりやすい。
先程の選挙予測を外した統計学者にしてもそうだ。統計学は万能ではない(正確には統計学そのものが万能ではないというよりは使う側に問題があることが多いが、統計に基づいて判断すれば100%予測を当てられるわけではないのでやはり万能ではない)。このこと(=統計学が万能ではないこと)は福島第一原発事故を振り返れば容易に理解できるだろう。
福島第一原発事故では、原発の事故の原因となるような災害は極めて低い確率でしか起こらないとされていた。しかし現実には起きてしまった。なぜこのようなことが起きたのだろうか。それは、1つには頻度主義の確率を採用していたことが挙げられる。
ここで確率の種類について補足説明を加えておく。確率には大きく分けて客観確率と主観確率の2種類が存在し、客観確率はさらに数学的確率と頻度主義の確率に分かれ、主観確率はベイズ確率と呼ぶことができる。
数学的確率:これは数学で使われる確率であり、たとえばサイコロの目はどの目も1/6の確率で出現することが該当する。しかし、数学で登場するサイコロは高度に理想化されているため、現実のサイコロと完全一致することはない。現実のサイコロは綺麗な正六面体ではないし、重心のズレがあるし、風向きや空気抵抗、地面との衝突の影響もあるため、どの目も1/6の確率で出現するとは言い難い(無限回試行しないとそう言えない)。ゆえに、数学的確率を現実の問題に適用しようとすると判断ミスをおかすことがある。
頻度主義の確率:頻度主義の確率とは統計に基づいた確率のことである。たとえば、ある30人のクラスで数学のテストが行われたとしよう。そして、得点の幅を0~20点、21~40点、41~60点、61~80点、81~100点の5つに分類し、それぞれ5人、6人、8人、6人、5人だったとしよう。この場合、それぞれの出現率は1/6、1/5、4/15、1/5、1/6である。これが頻度主義の確率である。福島第一原発事故ではこの頻度主義の確率が採用されており、原発事故を引き起こすような災害は過去数十年のデータに基づけば極めて低い確率でしか起こらないとされていた。しかし、実際には起きてしまった。頻度主義の確率は一定期間での統計情報をもとにしたものでしかない以上、判断ミスをおかしてしまうことがあるのだ。
主観確率(ベイズ確率):近年脚光を浴びているのが主観確率(ベイズ確率)である。詳しい説明はしないが、端的に言うと人間の気持ちや思いを確率に反映したものである。たとえば、「就活で志望企業から内定を取れそうな確率ってどれくらい?」「60%くらいだと思います」というのが主観確率である。客観確率に比べれば客観性に乏しいものの、マイクロソフトやGoogleを筆頭とした主要企業がベイズ確率に着目しており、ビル・ゲイツが「自社が競争上優位にあるのはベイズ統計によるものだ」と発言したことが話題になっている。
宝くじを見てみよう。宝くじは客観確率の立場に立って考えれば期待値が低いので購入することは愚かと言える。胴元が儲かるだけだと言う人もいるだろう。しかし、主観確率の立場に立てば必ずしも愚かだとは言えない。このように、確率の算出方法や前提が変わるだけで結論も変わるのである。ベイズについて気になった人は下の本を読むと良いだろう。初学者でも分かるように噛み砕いて解説されている。
以上見てきたように、「統計に基づいてるから安心だよね」とは言えないのである。統計はある一定期間のものでしかないから、予想外の出来事が現実に起こることは不思議ではない。であるから、統計「だけ」を根拠にするのはやめにしよう。懐疑をしてもう一歩踏み込んで結論を構築しよう。
とは言え、「どのように懐疑をすれば良いのか?」と疑問に思う方もいるだろう。そこで、人間がしばしば陥りやすいバイアスや誤謬のパターンを列挙することにした。
バイアスや誤謬のパターン
バイアスや誤謬のパターンは何十種類もあるため、全てを書くわけにはいかない。このnoteではよく陥りやすい代表的なバイアス・誤謬のパターンを挙げて説明を試みる。このバイアスを回避することは、探す、評価する、仮説構築したり実行するの全てのステップで有効なものであることを頭に入れておこう。
東大生や京大生、学者、超高IQなど、知的に権威のある社会階層の人間でもバイアスにまみれた判断を下していることはよくあるので(わざわざ指摘せずに静観しているがあまりに多すぎて「誰が言っているか」で判断するのがいかに愚かなことかを身にしみて理解している)、以下に紹介するバイアスや誤謬のパターンを全て頭に入れておき彼らの発言も批判的に検討できるようにしておこう。
ただし、相手のバイアスやロジックの穴に気付いても攻撃しないように。ネット上の見知らぬ他者なら構わないが、仲が良い人にいちいち攻撃してたら人間関係にヒビが入ることは補足しておこう。
①権威バイアス
専門家や結果を出した人、権威がある人の言うことを信じ込んでしまいやすいバイアス。これはよく見られるバイアスである。
「医者が言っている医療情報だから正しいのだろう」
「経験者が言っていることだから正しいんだろう」
「経済学者が言っているから正しいんだろう」
「超高学歴・超高IQの人だから正しい判断ができるのだろう」
とツイートしている人がツイッターではよく見られるが、誰が言っているかに関わらず疑う姿勢を持って欲しい。
人間は「何を言っているか」ではなく「誰が言っているか」で判断する癖があるが、それは諸刃の剣と言える。つまり、メリット・デメリットの両面が存在するということだ。
まずメリットとして、自分で調べたり考える手間を省けるのでその権威者が正しいことを言っていた場合は受け売りをするだけで何かしらの成果に結びつくということである。その成果とは、望んだ結果が出ることかもしれないし予測が当たることかもしれない。
一方で、権威者が商業的な目的でポジショントークをしている場合はその発言を鵜呑みにしても何ら望ましい成果は得られない可能性が浮上する。実はこのような例は数多くあり、医者が反ワクチンや水素水、血液クレンジングのセミナーを開いて金儲けするためにあえてこれらを推奨するような発言をすることがあるなど、一見すると信頼できそうな個人や組織や団体が実はフェイクを流しているような例は枚挙に暇がない。
さらに、自分の体験談のみを話している場合もある。「グルテンフリーダイエットをしたら痩せた」などの個人的な体験談を一般化するような文章がしばしば見られるが、サンプル数を増やすとグルテンフリーダイエットは有効性に乏しく、グルテンフリーと痩せることの因果関係は見て取れない。健康・医療情報を精査する場合には個人的な体験談や動物実験ではなく、(可能であれば)ガイドラインであったり、メタアナリシス、系統的レビュー、ランダム化比較実験等の論文を参照して情報の真偽判定をする癖をつけよう。これらのエビデンスの評価の仕方については後述する。
同様に、ノウハウ本や自己啓発書の場合は著者個人の成功談や体験談が記載されているため、その内容が自分にも当てはまるとは限らない。
分からない人は読み飛ばしてもいいが、少し難しい表現をすれば、目的変数をYとして説明変数をXとすると、Y=a1X1+a2X2+a3X3+...+anXnという回帰方程式が与えられるが、各変数の値がその権威者と自分とでは違うため、出力されるYも異なるということだ。たとえば、恋愛面で望ましい成果を出すためにモテる人を参考にして脱非モテを試みたとする。この時、成果に影響を与える変数としては顔、声、スタイル、服装、筋肉、身長、スタイル、外向性、財力、学歴、誠実性、会話力などがあり、そのどれもがモテる人のそれ(=説明変数X1~Xnの値)と自分とでは大きく異なる。にも関わらず、モテる人が発信する「モテるトーク術」を参考にして実践しようとしても、会話力以外の変数の値が大きく異なるため、出力される結果Yがモテる人のそれとは異なる。これが自己啓発書や結果を出した人のノウハウを真似しても多くの人が結果に繋がらない原理である。X1~Xnの値が情報発信者と近いのであれば目的変数Yの値も近くなるのだが、それは「真似したらその人と同程度の成果を残せた」の数理的な言い換えである。
また、「超高学歴、超高IQ、超頭が良い人が言っているのだから間違いないだろう」といったバイアスもしばしば見られる。しかし、先程も言ったようにこれらの人たちは案外バイアスにまみれまくってる(=主張や根拠に穴が多い)ので、話を聞いていて「あてにならねえな」と思うことが多い。このことはコロナ禍で特に顕著だ。人間は「何を言っているか」ではなく「誰が言っているか」で判断する傾向にあるため、知的に権威のある社会階層の人間の言うことは誤情報だったとしても賛同を得やすく、SNSで拡散されやすい。そして、賛同や拡散を得ているからこそ発信者もそれを見た人も「間違った情報ではない」と思い込んでしまう。一応言っておくが、コロナに関して愚かで短絡的なツイートをしてる学者やエリートサラリーマンはよく見かける。社会階層が高く知的に権威があるからと言って専門外の分野や未知の問題に適応できるとは限らないのはこれまで言ってきた通りだ(というかそんなことは歴史上で何度も繰り返されてきたのでわざわざあえて言及するほどでもないのだが)。
以上のことを顧みて、結果を出した人が言っているからと言って自分にも真似できるとは限らないこと、そして権威のある個人や組織の情報でも信頼できるかどうかを精査することが必要とされる。何かしらの判断を下す時、自分が権威バイアスに陥っていないか自覚的になることが重要である。
権威バイアスの逆パターンとして「結果を出してない人や専門家ではない人、頭が悪い人、胡散臭い人が言っているのだから間違っているのだろう、信じるに値しない」といった考えもあるが、これもバイアスである。一見すると正しそうだが論理的には正しい判断ではないのでよく注意してもらいたい。「誰が言っているか」ではなく「何を言っているか」で判断するのがバイアスを取り除くための重要事項であることは繰り返し言っておきたい。
※補足
関係ない話なので読み飛ばしてもいいが、「誰が言っているか」と「何を言っているか」は独立した要素ではないのでは?という仮説が自分の中に存在する。どういうことか。
一般的には、言語の意味内容を決定づける要素は単語の組み合わせだと思われている。たとえば、「優しい人が好き」という一文があった時、その一文の意味内容は「優しい」「人」「が」「好き」の組み合わせによって決まるということだ。この時、それぞれの単語の辞書的な語義が5つ、2つ、3つ、3つあると仮定しよう。そうすると、「優しい人が好き」の意味の解釈可能性は5×2×3×3=90通り存在することになる。
しかし、単語の組み合わせだけでなく、形式とコンテクストと発言者の3点も意味内容を決定づける要素としてカウントされるのではないか?と自分は考えている。形式とは英語で言う文型のことだ。SVOやSVOCのこと。日本語だと主語、述語、目的語などだ。コンテクストとは背景情報や文脈のことだ。同じ一文でも、背景や前後の文脈が変われば一文の意味内容も変わるだろう。
そして、発言者も意味内容に影響を与えるのではないか。一般的には「何を言うか」と「誰が言うか」は独立した事象として捉えられているが、「男性は女性に奢るべきだ」という一文を考えた時、これを男性が言うのか女性が言うのかで意味内容が変わってくる。男性が言った場合は「(社会通念上としてダサいからor男らしさを発揮するために)男性は女性に奢るべきだ」と捉えられるが、女性が言った場合は、社会通念上としてダサいからor男らしさを発揮するためにという隠れた前提以外にも、自分にとって都合が良いからorお金を払わずに美味しいご飯を食べたいからという前提も隠れているかもしれない。
このように考えていくと、誰が言うかは意味内容、特に隠れた前提に影響を与える要素の1つとしてカウントされるのでは?と考えることができないだろうか。もしそうである場合、「誰が言うか」と「何を言うか」は独立した要素ではなく、包含関係にあるのではないか。つまり、何を言うか⊃誰が言うかという関係である。
以上の話は本筋と全く関係がないし妄言かもしれないので話半分程度に聞いておけば良いが、この話の是非については言語学や機械学習の立場から考えることもできて、興味深い話題だとは思っている。
ちなみに、言語学的な立場に立つと自分はチョムスキーの普遍文法説を推している。人工知能の分野で権威のある松尾豊教授(東京大学大学院工学系研究科人工物工学研究センター/技術経営戦略学専攻の教授。日本ディープラーニング協会理事長、ソフトバンクグループ社外取締役)も普遍文法説も推している。受け売りをしているわけではなく、自分が普遍文法説を推していたから気になって調べたら松尾豊教授も同じ考えだったという話に過ぎない。松尾豊教授は人工知能の権威だから、機械学習の立場から考えて普遍文法説を推しているのだろう。となると、上述の自分の仮説も機械学習の立場から考察することができるかもしれない。
②バンドワゴン効果
流行しているものを好意的に捉えることをバンドワゴン効果と呼ぶ。「みんながやっている/言っているから」「今大人気だから」「常識だから」などの表現が使われたらバンドワゴン効果に陥っていると判断して良い。冷静に考えてみれば分かるが、「みんながやっているから正しい」というのではロジックが飛躍しているだろう。何世紀も前では天動説が正しいとされていた時代もあったようだが、今では地動説が普遍的に信じられている学説である。みんながやっている/言っていることは時代や地域、文化によって変わるものであり、そこに普遍性はない。
さらに言えば、今の時代では既得権益層や為政者、広告代理店を筆頭とした大企業たちのプロパガンダが数多く存在しており、メディアを通じて流れてくる情報の98%(数字は適当)は商業目的の情報なんじゃないかと思わされる次第である。そのような時代であることを考慮すれば、みんながやっている/言っていることというのは常識や世論を作る側の人間によって意図的にもたらされた恣意的な思想である可能性もある。「みんながやっている/言っているからこそ怪しい」という視点を持って情報を評価してもらいたい。
バンドワゴン効果に陥らないための考え方としては、上述した「みんながやっている/言っているからこそ怪しい」という考え方の他に、「川を上り海を渡れ」という考え方がある。川とは時代(歴史)のことであり、海とは海外のことだ。つまり、歴史的事例と海外事例を調べろという意味になる。この考え方を採用することによってある主張が時間的・空間的にどの程度普遍性を持つか審理できる。たとえば、年功序列制度は「みんなが採用している企業制度」に思われるかもしれないが、歴史的事例を調べるとごく最近できた制度であることが分かるし、最近年功序列を否定する動きも見られる。つまりそこに普遍性はなく、最近できてもうすぐ終わるかもしれないごく短期間のうちに有効な制度だったと言える。このように、「この主張の適用範囲はどこからどこまでか?」「みんながやっているとは言え自分の周りの人の話でしかないから一般化はできないよな」といった判断を下し、普遍性の度合いを調べることが正しい判断をする上での肝である。
もちろん普遍性のみが情報の価値ではないが、全体観を養う上で上記の考え方は有効であろう。視野の狭い考え方に囚われずに済む。
③前後即因果の誤謬
前後即因果の誤謬とは、ある事象が別の事象の後に起きたことを捉えて、前の事象が原因となって後の事象が起きたと判断する誤謬である。前後関係と因果関係の混同。
グルテンフリーダイエットが良い例だが、炭水化物の摂取を減らすことと痩せることの因果関係はない。「炭水化物を減らしたら体重が減った」と聞くと炭水化物を減らしたことが原因であるかのように錯覚してしまうが、炭水化物を減らす以外のことをしていてそれが原因になった可能性も排除できないし、たまたま炭水化物を減らしたら痩せる体質であった可能性も排除できない。それに、一言に炭水化物と言っても健康な炭水化物と不健康な炭水化物があるかもしれない。
健康・医療情報では「Aをしたら状況が改善した」構文が多いのだが、個人的な体験談だと本当にAが原因となって改善したかどうかは怪しいところがあるので多くのサンプルを扱って実験した資料に目を通すようにしよう。
④確証バイアス
自説に対して都合の悪い情報を遮断し、都合の良い情報を支持するバイアスのこと。これはツイッターでよく見られる。自分の商材に誘導するにあたって都合の良い情報だけを流したり、レスバトルや口論で勝つために自説の裏付けに都合が悪い情報は聞き流したり論点すり替えを行うくせに、都合の良い情報は無批判的に受け入れる。
当然ではあるが、自説の裏付けに都合が良い情報だけを受け入れることは権威付けには有効であるが、正しい判断をする上では足かせとなることが多い。このバイアスを避けるためのコツは、「1つの反証は複数の確証に勝る」と考えることである。
反証とは、「仮説や仮定的事実や証拠が真実でないことを立証すること。そのための証拠」である。たとえば、「新型コロナワクチンを打った方が良いのか打たない方が良いのか」という論点に対して、「打った方が良い」という仮説を立てていたとしよう。その根拠として医学誌に掲載された論文や医療従事者の発言、コロナワクチンでの死亡率、ワクチンの接種状況、感染状況の推移を例示できるとしよう。しかし、この仮説には本当に反証となる事実はないのだろうか?少し調べれば、ワクチンの開発者やファイザー社がmRNAワクチンの危険性、正確に言えば治験を十分に終えていないことと長期的な安全性や有効性に関しては未知であることを警鐘している。にも関わらず、確証バイアスに陥ると自説の裏付けに都合が悪い情報を無視して都合が良い情報ばかり集めてしまうので、こういった反証の材料となる情報を頑なに受け入れないようになってしまい、ワクチン肯定派に拘るようになってしまう。
人間は愚かなもので、ある一つの仮説を立てるとそこから離れることができなくなってしまう(これをアンカリングバイアスと呼ぶ)。仮説には仮説棄却可能性があるのだ。今ではワクチン肯定派も否定派も自説に固執するばかりで宗教じみているが、両者の立場を受け入れて総合的に判断するのが賢明な対応である。繰り返しにはなるが、判断の精度を上げるコツは確証となる情報を収集することではなく反証となる情報を収集することである。反証を集めて少しずつ仮説を深堀りしていき、もう反証が出ないというところまで掘り下げられたら、つまり仮説の棄却可能性を自分で判断し得る限りで最小にすることができたら、最初に比べて判断の精度は格段に上がっているだろう。
とは言っても反証を探すのは難しい。ここではシンプルに考えて、反対者の立場に立って調べてみることを推奨する。たとえば、ワクチンの有効性を示すデータが見つかったらワクチンの有効性を示さないデータがないか検索してみよう。もし見つかった場合、2つのデータの間でどのような違いがあるかを分析してみる。それだけで確証バイアスに陥ることを防ぎやすくなる。
⑤ハッスルバイアス
肉体的・精神的に楽に処理する思考に引っかかるバイアス。「誰でも簡単に」「必ず効果が出る」などの表現に引っかかりそうになったらこのバイアスに陥っていると見て良い。このような発言をする個人・組織のことは信用しなくて良い。以下に、この2つの発言に対する解釈と対応を記載しておく。
・誰でも簡単に→これは様々な解釈が考えられる。発言者にとっては簡単だから他の人でも同様に当てはまるだろうという意図、本当は簡単には成果は出ないけど情弱はハッスルバイアスに引っかかりやすいからとりあえずこの言葉で情弱狩りをしようという意図、最初は苦労したけど今では楽にこなせるようになったという意図などだ。確かに簡単に望んだものが手に入るルートは存在する。食事のみのパパ活や親からお小遣いを数十万以上も貰うのが良い例だろう。しかし、それをできている人間の発言が自分にも当てはまるとは限らない。「簡単に」という部分が真であったとしても「誰でも」が真とは限らない。「誰でも」が真であるならその発言者は統計データを持っているはずだから、「ではデータを見せて下さい」と言えば事足りる話だ。仮に統計的にサンプル全員が「簡単に」成果を出していた場合でも、分母が少なければ(=サンプル数が少なければ)それは信用に値しない。情報商材の販売ページでは体験者の声が貼られているが、分母を確認する癖をつけよう。健康・医療情報でも同様である。一見すると信用できそうな個人や組織の発言でもきちんとデータを問い合わせよう。
必ず効果が出る→同上ではあるが、必ず効果が出るということは統計的に有効性100%ということである。もしその発言者が誠実な人であれば統計データを持っているはずだから、「ではデータを見せて下さい」と言えば済む話だ。データを見せられないのに「必ず効果が出る」と言っていた場合、嘘をついているか愚かすぎて本気で信じているかサンプル数が極端に少ないかのどれかだろうが、いずれの場合でも信用には値しない。ちなみに、何事においても正の面と負の面が存在するものであり医薬品もそうである。効果だけでなく副作用や危険性もセットで考えよう。効果・効能のみを記載する情報源は信用ならない。
⑥リスクに引っ張られてしまうバイアス
リスクがあるから正しい判断とは言えないと考えるバイアスである。しかし、リスクは確率で算出しないと意味をなさない。簡単な話だが、ある薬を飲んで副作用が起こる確率が0.01%なのと30%なのとでは危険性が大きく異なるだろう。メディアを見ているとやたらと不安を煽るような表現が目につくが、リスクや危険性といった言葉は発生確率とセットで考えるようにすればより客観的な判断が可能になるし必要以上に恐れることもなくなる。
コロナワクチンにしても、死亡者数や副反応が起きた人の数、副反応が起きた場合の症状ばかり見て不安になる人が多いようだが、死亡率や副反応が起きた人の割合を確認しないと話にならない。厚生労働省のデータを参照すれば分かるが死亡率は極めて低い。さらに、どのような人が死亡しているかも調べると70代~90代の年寄りや基礎疾患ありの人が死亡しているため、(厚生労働省のデータが正しいと仮定すれば)体が健康な人はワクチンを打って死ぬことはまずないと結論づけることができる。
他に、厚生労働省のデータを参照するとコロナの感染率は日本人全体の0.6%とかなり低いことが分かり、99.4%の日本人は感染していない。自粛警察の人たちのように過度に不安になることはないのだ。だからと言ってマスクや手洗いうがい、ソーシャルディスタンス、ワクチンなどの感染予防をしなくて良い理由にはならないのだが、このように割合(分母)を見ることによって全体観を獲得して判断の精度が上がることは頭に入れておこう。
⑦連続性の虚偽
同じことの連続は同じ結果をもたらすと考えてしまう誤謬である。たとえば、「砂山から砂粒を一つ取り出しても、砂山のままである。さらにもう一粒取り出しても砂山である。したがって砂山からいくら砂粒を取り出しても砂山は砂山である」「ランニングをすると健康になる。だからランニングを何十年も続ければさらに健康になる」といったものが挙げられる。短期的には同じことの繰り返しが効果ありだったとしても、長期的な視点で考えれば別の結果を引き起こす可能性があることを考慮に入れておきたい。ランニングはアスファルトを走ると膝を痛めることがあるので、長期的にはアスファルトでのランニングは健康に害を及ぼすことがある。
⑧ウィンザー効果
経験談や体験談の方が一次情報よりも与える影響が大きいと感じるバイアス。しかし、サンプル数1の見解よりも公的な機関や研究組織が複数サンプルを取り扱って結論を出した情報の方が信憑性はあるだろう。
⑨ルールバイアス
一般的に正しいとされているルールを盲目に信じ込んでしまうバイアス。
例を挙げよう。心理学で正しいとされている学説にダブルバインドがある。これは選択肢を2つ与えられると無意識のうちに第3の選択肢を考えずにその2つのうちのどちらかを選択してしまうというテクニックである。たとえば、女性をデートに誘う際に「今度ご飯に行こう」と言うのではなく「ご飯と映画だったらどっちが良い?」と質問することでデート成功率を上げるのがダブルバインドを使った会話術と言える。しかし当然ではあるが、ダブルバインドは常に有効なわけではない。「いや行く気ないから」と言われてしまうこともあるだろう。にも関わらず、ダブルバインドが心理学で有効とされているからという理由でいつまでも考えを改めることなくそれに固執するのは愚かだ。
このように、一般的に正しいとされているルールや学説が状況の改善や解決に役立たないことがある以上、盲目的に信じ込むべきではない。健康の情報においても「本やブログで読んだ情報を正しいと思っていたのに効果がなかった」「ちゃんと論文を読んだのに自分には効果がなかった」といった例はあるので、ルールに合わせて解釈を捻じ曲げるのではなく現実に立脚してルールの真偽判断(というより自分に合っているかどうか)をしていこう。
⑩分割の誤謬
全体に当てはまることが部分にも当てはまると勘違いしてしまう誤謬である。たとえばコロナワクチンを考えてみよう。日本全体の視点で考えれば、感染抑制のためにコロナワクチンを打つのは賢明な判断かもしれない。しかし、だからと言ってそこから「全ての日本人がコロナワクチンを打つべきだ」「あなたはコロナワクチンを打つべきだ」という結論を導くことはできない。なぜなら分割の誤謬に陥る可能性があるからである。以下の話は全体の話ではなく個人の話として捉えて欲しいが、深刻な副反応を引き起こすリスクがある人やワクチンの有効性・安全性を疑問視しているために様子見をしたい人もいるだろう。そのような人は打たない/様子見という選択もアリだ。というのも、単に自分の感染防止を目的とする場合、ゲーム理論的な考え方をすれば自分の周りの人が打てばその分自分が感染するリスクを減らすことができる(かもしれない)からだ。下図参照。自分がワクチンを打たないかつ他人がワクチンを打つのマスは感染予防効果ありという仮説を立てられる。
さらに、変異株の存在も考慮すれば果たしてワクチンを打つことが自分の感染防止に効果的なのかという考えも出てくる。
それを考えれば、ワクチン接種による効果と危険性を天秤にかけてみて、「コロナはそもそも感染率や重症化率、死亡率が極めて低いから感染防止の観点からは打っても打たなくても変わらないだろうし、その上変異株に対してはさほど感染防止効果がないかもしれない。つまり、以上2点をまとめればワクチン接種の効用を大して得られないかもしれない。なのに、副反応及び長期的に見た場合の未知のリスクがあるので打たない方がトータルでの利得を大きくできるかもしれない」という結論が出てくるのは無理がない。
ちなみに、自分自身はワクチン接種推奨派であるし既に接種を済ませている。上記はあくまでワクチン否定派の言い分も受け入れることを示しているに過ぎない。ワクチン接種を盲目的に肯定している人はもう少し柔軟に考えてみよう。
⑪合成の誤謬
合成の誤謬は分割の誤謬の逆パターンであり、部分に当てはまることが全体にも当てはまると勘違いしてしまう誤謬である。還元主義的アプローチの欠陥とも言える。経済学でよく使われる用語ではあるが、ミクロ経済学(=個人や家計や企業の経済活動に焦点を当てる経済学)で成立する命題がマクロ経済学(=国や地域全体の経済活動に焦点を当てる経済学)でも成立するとは限らない。部分の総和=全体ではないということだ。
健康・医療情報における例を出してみると、食事の組み合わせが良い例だろう。一つ一つの食事は健康にそれほどの影響を与えなかったとしても、組み合わせることによって大きな健康効果を発揮することもあれば逆に不健康に導くこともある。このように、部分に当てはまることが全体にも当てはまるとは限らない。
合成の誤謬はいわゆる相互作用によって引き起こされるものである。各要素はそれぞれが互いに関連し合っているため、要素を足せば足した分と同等の結果を引き起こすとは限らない。1つ1つの知識は役に立たなくても、それらが結びつくことによって新しいアイデアを着想するようなものである。
⑫早まった一般化
少ないサンプルを一般化してしまう誤謬である。たとえば、「私はこのやり方で成功した。だからあなたたちも私に続けば成功する」といった発言や「身の回りにいる健康な人はランニングをしている。だからランニングをすれば健康になれる」といった考えのことである。しかし、ランニングはアスファルトの場合には膝を痛める危険性があるため、長期的には健康を損なう危険性も伴うことは頭に入れておきたい。もちろんこれはランニングを否定するものではなく健康効果があること自体は非常に多くの裏付けがあるので、危険性も考慮に入れつつランニングをしようという意図だ。
上記のように具体的な事例から一般的な見解を導くことは帰納法と呼ばれる推論規則であるが、実は帰納法には論理的な飛躍が生じる。たとえば、1,2,3,4,5,6...という数字が並んでいたとして、次に来る数字が7である保証はあるだろうか?ひょっとするとこの数列は連続する数字を6つカウントしたらその次は2飛ぶ数列かもしれない。つまり、1,2,3,4,5,6,8,9,10,11,12,13,15...かもしれない。帰納的な推論はこのような飛躍を生む。サンプル数が多ければ多いほどそれだけ飛躍は減るのだが、少ないサンプルで早まった一般化をしてしまう人が頻繁に見受けられるので注意したいところだ。早まった一般化に陥らないコツは反証を探すことである。上記の例で言えば、ランニングをしても健康にならなかった人を探せば良い。
⑬誤った二分法
結論の選択肢をAかBかの2択で考えてしまう誤謬である。
コロナワクチンにしても、打つか打たないかの2択ではなく様子見という選択肢もあるのだが、バイアスがかかってしまいこの2つのうちのどちらかにしなければならないと考えている人が多いようである。数学や古典論理学と違って現実は複雑なので、2値の枠組みに囚われないようにしよう。現実の問題ではグレーゾーンが存在するものである。
典型的に見られる二分法は、「成功するには量より質か、質より量か」「遺伝か環境か」といったものがある。結果に影響を与える要素を無意識のうちに2つに分けてしまい、他の要素を考えられなくなってしまう誤謬である。結果に影響を与える要素は通常複数存在するものであり、さらにそれぞれ影響度が異なる。質も量もどちらも大事だし、それ以外の要因も存在する。
こういった視点を持てば誤った二分法に囚われることはなくなるだろう。ツイッターでは「AvsB」型の論争が散見されるが、バイアスに自覚的になればその多くは取るに足らない愚かな議論だということが分かるだろう。
⑭道徳主義の誤謬
「~であるべき」から「~である」を導く誤謬である。つまり、「AであるべきだからBだ」という構文であり、構造としては規範文から事実文を導いているものである。以下に例文を示しておく。
・「人類はみな平等であるべきだ。だから遺伝によって能力が変わるという学説は間違っている」
→これは個人的な思想によって現実を歪めている例であり、このような推論(=現実より思想や理論に立脚して考えること)はしばしば見られるが、基本的には事実や数字に即して考える方が正解を当てやすい。
思想や理論よりも現実に立脚して考えることは唯物論的であったり即物的であるなどの批判がなされることがあり、確かにそれも一理あるのだが、唯物論的世界観が科学や世界を著しく発展させたこと、そして今後もそうあり続けることを顧みれば、多くの場合においては間違っていないと言える。
ただし、科学による環境破壊や人間中心主義への批判などもあるため、唯物論的世界観の負の側面があることは頭に入れておきたい。このことに関してはレイチェル・カーソンが著した「沈黙の春」(英語版は"Silent Spring")を読むと良いだろう。
・「男性と女性は公平な機会が与えられるべきだ。 だから男性と女性は何でも同等に行う能力がある」
→だからの前後で分けてみよう。だからの前については3つの反論がある。
1つ目は、「男性と女性は公平な機会を与えられるべきだ」という規範文を導くためには何においての公平さなのかを定義する必要があること。参政権としての公平さなのか、雇用機会においての公平さなのか、社内での出世や給与面での公平さなのか、家庭内での公平さなのか、教育の公平さなのか、性的役割としての公平さなのか。その定義次第で見解は分岐する。
2つ目は、公平な機会を与えられることによって何かしらの社会的な利得がある場合、単なる希望的観測で利得があると説得するのではなく、統計やシミュレーション等によって利得を得られることを示す必要がある。
3つ目は、男性の方が優遇されているという前提で言うなら本当に男性は優遇されているのか、本当に女性は不遇な扱いを受けているのかということ。たとえば、相手が優遇度における男女差に関してジェンダーギャップ指数を根拠にしているなら、まずはジェンダーギャップ指数が何を示した指標なのか、算出方法はどのようなものなのかを正しく理解できているかどうかを問う。
また、確かにフェミニズムの歴史を振り返れば少なくとも第2波フェミニズム(=女性の社会的な抑圧に対して抗議運動を起こしたフェミニズム。女性解放運動など)の時期までは女性が政治的・社会的・家庭的に制限のある世の中を生きていたことは否めない。つまり、優遇度における男女差が明確に存在していた。しかし、第3波フェミニズムは政治的・社会的・家庭的な制限に焦点を当てたものではなく「女らしさを社会から求められること」に対する反発であり、本当に女性だけが不遇な扱いを受けていたのか解釈が分かれるところであろう。男も男で男らしさを求められていた傾向がある。
次に、だからの後を見てみる。「何でも」とあるが、少なくとも出産の能力が男性にはないことを考えれば「何でも」ではないことは容易に分かる。まあこれは屁理屈なので「何でも」を「多くの点において」に置き換えて考えてみよう。たとえば学力や知能、コミュニケーション能力、身体能力、家事能力、お金を稼ぐ能力を考えてみる。学力や知能に関しては男女別の正規分布がデータとして既に出ており、全体的に見れば同等の能力があるとは言い難い(部分的に見れば同等の能力があると言うこともできる)。男性と女性とでは分布が違う。身体能力も男性と女性とでは異なるだろう。そもそも人間の雄と雌は性的に二型である(=体の大きさや筋肉の付き方が異なる)。コミュニケーション能力と家事能力、お金を稼ぐ能力については個人的な主観の域を出ないのであえて言及を避けておく。このように見ていくと、だからの後も偏った見解に過ぎないことが分かる。
・「私が服用している薬には治療効果があるはずだ。だから実際に治療効果がある」
→これはルールバイアスに近いものである。一般的には効果・効能があるとされているから、自分にも治療効果があると思い込んでいる例である。しかし、医薬品はすべての人に対して有効なわけではない。効果がない人もいる。効果・効能というのは「統計的にp%の人に対して有効である」ということを示しているに過ぎない。
⑮自然主義の誤謬
自然主義の誤謬は道徳主義の誤謬とは対照的に、「~である」から「~であるべき」を導く誤謬である。つまり、「AであるからBであるべきだ」を導いている。
たとえば、「私達はこれまでずっとこの土地で協力し合って暮らしてきた。だからこれからもそうするべきだ」という主張は「人類は多くの戦争と殺戮を繰り返してきた。だからこれからもそうするべきだ」という主張と論理構造が等しいし、「Aさんはホットケーキが好きだ。だからホットケーキを食べさせてあげるべきだ」という主張はAさんが普段はホットケーキが好きでも今はホットケーキを食べたくない気分である可能性を見落としている。
このように事実文から規範文を導いていて誤謬になっていることを自然主義の誤謬(あるいは自然主義的誤謬)と呼ぶが、社会生活上でもよく見られるし情報リテラシーを身につける上でも避けては通れないものである。以下に自然主義の誤謬に陥っている例文を載せておくので読んでもらいたい。また、事実文から希望的観測(=こうであるではなくこうであって欲しいという思い)を導くのも自然主義の誤謬に類似しており、これも非常に多く見られるので下記の例文に含めておく。
・「人を殺すと刑罰の対象となる。だから人を殺すべきではない」
→法律に抵触することは一見すると悪い事のように思えるが、これは「法律に抵触することは悪である」という無意識のバイアスに引っかかっているため、だからの前後で飛躍が生じている。つまり論理的には正しくない。しかし、論理的に正しいことと道徳的に正しいこと(正しいというよりは他の人に認められやすいこと)は分けて考える必要がある。論理的に正しくないからといって殺人をして良い理由にはならない。罰則を与えられることや周囲の人からの信用が落ちることを恐れたり他者の命を大事にしたいと思う人がほとんどだろうから(自分もそうである)、道徳的な振る舞いを心がけたいものである。
・「植物は痛みを感じないが動物は痛みを感じる。だから人間は動物の肉を食べてはならない」
→これは典型的なヴィーガン(=ベジタリアンとは違い、肉・魚のほか、卵や乳製品・蜂蜜も含む動物性食品を一切口にしない完全菜食主義者)の主張であり、動物愛護の思想が隠れている。
しかし、これは短絡的な見解だと言わざるを得ないだろう。動物に痛みを感じる能力があることは真だろうが、「痛みを感じるから」というのが理由であれば、動物同士で殺し合って肉を食べてる現実を考慮して、動物を殺す動物も批判の対象に入らないとこの主張は通らない。
さらに、動物の肉を食べなかったら世界がどのように変化するかを意思決定要因として組み込んで総合的に判断する必要があるだろう。たとえば、食料自給率や農業生産の負担、環境への影響、生態系、各国の貿易、GDP、国民の健康状態等がどのように変化し、それに伴って国や世界全体にどのような変化が想定されるかである。
ヴィーガンは国家的・世界的な問題に発展するものである以上、「かわいそうだから」という倫理的観点のみで結論を導いて良いものではない。
・「貨幣が存在することによって多くの貧困者が苦しめられている。だから貨幣は諸悪の根源だ」
→これは至って単純な話で、物事の一側面だけを見て局所的な善悪を導いた例と言える。つまりこの主張をする人は合成の誤謬に陥っていると言える。学者にもこのような主張をする人がいて辟易とする。
法律の抵触もそうだが、基本的に善悪というのは立場によって異なる。貧困層にとっては諸悪の根源かもしれないが、富裕層にとっては存在することが善なのである。法律を破ることも同様である。たとえば殺人を誰かに依頼した人間からすれば、依頼した相手が自分の言うことを聞いて殺人をしてくれることを好ましく思うだろう。つまり、依頼者からすれば依頼した相手が法律を破ることは善となる。逆に、法律を気にして殺人を犯してくれないことは悪となる。
善悪は性質上普遍化できない概念であるから、立場によって場合分けしないと合成の誤謬に陥るのである。
ではどのようにして善悪を決定すれば良いのか?多数派の善悪が全体の善悪になるのか?それとも権力者の善悪が全体の善悪になるのか?しかし、いずれも反論ポイントが存在するためやはり特定の立場の人間の善悪を全体化することはできないだろう。そもそも善悪を全体化・普遍化しようとする試み自体が誤りなのかもしれない。
・「好きな人は自分のことを褒めてくれる。だから好きな人は自分のことを好きなのだろう」
→これはただの希望的観測である。自分のことを褒めてくれたからといって、お世辞で言ってくれた可能性を排除できないし、褒めることが習慣となっていて普段から他の人のことも褒めている可能性も排除できないし、仮に自分だけに本心で言ったとしても恋愛感情があるとは限らず友達としての好意かもしれない。早合点は禁物である。
道徳主義の誤謬も自然主義の誤謬も、「この構造にしたがっている推論は全て誤りである」というわけではないのでそこは自分でよく考えて判断すること。
⑯数理バイアス
数理バイアスは自分が命名したものなので一般的に流布している用語ではない。これは数理モデルや統計が正しいと信じてしまうバイアスである。数理モデルや統計と聞くと一見正しそうに思ってしまうがそれはバイアスである。
先程挙げた米大統領選挙の結果を予測した統計学者にしてもそうだし、「2020年の米大統領選挙を政治学者が予測!独自モデルで92%の確率でトランプが勝つと予測!」といった日経新聞の記事が目につくこと、LTCM(ロングターム・キャピタル・マネジメント:ノーベル経済学賞受賞者たちを集めて組織したヘッジファンド)がブラック・ショールズ方程式(ブラック・ショールズ方程式についてはこちらの記事を参照)などの経済・金融モデルを用いて大胆に破綻したこと、そしてコロナを巡った数理モデルがさほど役に立たないことを顧みれば、数理モデルや統計が正しい判断をする上で「常に」有効であるという保証はない。確かに有効な側面もあって数理モデルや統計に基づけば高い確率で当てることはできるが、常に正しい予測をできるほど万能ではない。その数理モデルや統計が間違っている可能性もあるし、仮に正しかったとしても番狂わせが起こることもあるので数理モデルや統計に頼りっきりになってはいけない。数理モデルや統計に基づいた予測は天気予報のようなものだと捉えれば良い。
ところで、2021年に行われた夏季東京オリンピックで卓球で日本人が史上初の金メダルを獲得したそうだ。これも、過去のデータに基づいて考えれば日本人が卓球で金メダルを獲得することは予測できなかっただろう。予測を当てるのはそれほどまでに難しい知的な営為だ。
⑰楽観バイアス
これは「まあこれで大丈夫だろう」と考えるバイアスである。特に、「自分は頭が良いから正しい判断ができるだろう」と考えるバイアスだ。頭が良い人ほど自分の判断に自信を持っているため、案外短絡的に結論を導く。しかし、情報の真偽判断や分析・予測の正解率を上げたいなら懐疑的精神を働かせてもう一歩踏み込もう。あえて「自分の判断は正しくないかもしれない」と思い込むことも重要である。
健康・医療情報のリサーチに際しては、自分で調べて結論を出した後にうっかり自分が正しいと思い込んでしまうバイアスがかかりやすい。特に、コロナ禍では怪しい都市伝説のような陰謀論に取り憑かれて「医師よりも自分の方が詳しい」と思い込んでいる人が散見される。そういったバイアスを取り除いて本当に正しいのかどうか確認するために、専門家である医療関係者、特に該当する分野に詳しい人に聞くのが賢明だろう。医療関係者以外の人から見れば医療関係者は専門家という大雑把な括り方をされてしまうのだろうが、専門家の間でもそれぞれ詳しい分野が異なる。同じ内科医でも感染症に特に詳しい人、消化器系に特に詳しい人、睡眠に特に詳しい人など異なるので、相談相手がどの分野に特に詳しいかは事前に調べて知っておいた方が良いだろう。
以上でバイアスの説明を終わりとするが、バイアスを0にしなければならないというわけではない。というのも、人間は何かしらの判断を下す時にパラダイムを設定するので原理的にバイアスを0にすることはできない。下の本のように「バイアスを0にして考えろ」といった過激なコピーで釣っている本もあるが気にしなくて良い。
また、バイアスを減らさなければならないという考え方は「バイアスを減らすと正しい判断ができる」というバイアスに引っかかっているとも言える。しかし必ずしもそうとは言えない。当て推量や勘でも正しい判断ができることはあるだろう。それと同じだ。
最後に、抜群の推理力を持つことで有名なシャーロック・ホームズを例に出して終わりにしよう。
シャーロック・ホームズと言えばワトソンがアフガニスタンから帰還した軍医だということを即座に見抜いたというエピソードが有名であるが、ホームズとワトソンの思考システムの違いが「シャーロック・ホームズの思考術」という本に書かれているのでそれを引用したい。
ホームズ・システムとワトソン・システムの決定的な違いは、バイアスに対して自覚的になり、それを取り除こうとしているかどうかだろう。ホームズの方がより慎重に判断していると言える。
フィクションの天才には及ばないが、我々凡人も彼に倣って慎重に判断を下したいところだ。
探す
これまでの内容は分野に限らず使える汎用的な考え方だったが、これから先の内容は健康・医療情報に特化したものになる(軸となる考え方、すなわち絞り込みは他の分野でも応用可能)。
情報収集に当たって重要なことの一つは、読まなくても良い情報を選り分けることだ。少し考えれば分かるが、集中力や睡眠、食事に関する本を本屋で探そうとすると数冊~数十冊見つかるはずだが、ある1つの分野に関して何十冊も本を読んでいたらキリがない。情報収集者としてはなるべく少ない情報収集時間で正しい判断を導きたいわけだから、情報収集に時間をかけすぎるのは本末転倒である。
それに、情報の信頼性という面から考えても信頼性に乏しい情報にまで目を通しているほどの時間はないだろう。
以上のことを考慮し、「探す」の段階ではいかにして不要な情報源を避けて信頼性の高い情報源にアクセスするかを学んでいく。
「探す」の段階において核となる考え方は絞り込みである。絞り込みとは、選択肢が多すぎる時に考える対象とする範囲を狭めることである。
たとえば、「Amazonで睡眠の本に関して検索をかけると大量の本がヒットする。でも全て読んでいる時間はないから読む本を絞り込んで明後日までに見解をまとめられるようにしておこう」といったものである。こうすることによって作業時間を大幅に短縮することができる。
安宅和人さんが書いた本に「イシューからはじめよ」という本があるが、その本で述べられていることの要点は絞り込みという考え方である。下の画像を見てみよう。
この画像について説明を加える。横軸はイシュー度であり、縦軸は解の質である。問題と解決策の2つの要素で考えた時、イシュー度とはその問題がどの程度解く価値があるのかということである。要するに、その問題を解いたところでただの自己満足にしかならない場合や利益向上に貢献しない場合はイシュー度が低いと言える。解くことで大きな改善効果が見込めるような問題はイシュー度が高い問題と言える。一方で、解の質とは問題に対するアプローチがどの程度優れているかを示すものである。優れているかどうかの指標としては金銭的・時間的・労力的・人員的なリソースの負担や、実行した場合の改善効果などが挙げられる。少ないリソースで最大の成果を出力でき、さらに他の問題も一網打尽にして波及的に解決できるような解が理想的な解である。
解く価値のある問題を見極めてそれに対して効果的な解決策を与えることが理想的ではあるものの、多くの人は画像で言うところの犬の道を走ってしまっている。つまり、イシュー度の見極めをせずに解決策を出して実行することばかりに奔走してしまい、その後にイシュー度の見極めをしているということだ。これを犬の道と表現している。これだと膨大なリソースを消費する上にさほど効果が得られないといった状況に陥ってしまい、「正直言って効率悪すぎだよね」と言われてしまう。100個の問題を一つ一つ解決しようとするより、改善効果が最も大きい問題を1つか2つに絞ってから解決策を出す方が、つまりイシュー度を上げてから解の質を上げる方がよほど生産的であるというのがこの本での主張だ。
このnoteでは情弱にならないための絞り込みのコツを提示していくが、このnoteで書かれていることがあらゆる状況における絞り込みのコツとなるわけではないことは留意してもらいたい。あくまで健康関係の情報を絞り込む場合に有効な基準であって、ビジネスリサーチでも常に有効とは言えない。
ちなみに、数学でもしばしば絞り込みの考え方が使われる。読み飛ばしてもいいが、下の問題の(2)を見てみよう。この問題は1995年に京都大学文系後期入試で出題された問題である。
この問題の(2)が絞り込みの考え方を用いて解く問題である。慣れている人なら問題文を見てすぐに絞り込みの考え方を使うと気付いただろう。というのも、問題文に「あなたの好きな自然数nを一つ決めて」と書いてあるからだ。問題を解く側の人間は「好きな自然数nを自分で決める?うーん、1でも2でも99でも300でも何でも入れて良さそうだけど、範囲が広すぎてどれにすれば良いか分からないな。しかも一つ一つ試してる時間はないし。どうすれば良いんだろう」と悩んでしまうだろうが、「考える範囲が広い時は絞り込む」という考えが頭に入っていれば、この問題文を読んで即座に「入試問題である以上は正解があるだろうから何かしらの手続きを踏めばこの問題はnが一つに定まるように作られてる。それに、制限時間があることも考慮すれば出題者側は制限時間内に解けるように作ってるはず。つまり試験時間では収まらないような膨大な試行錯誤をして解くタイプの問題ではないな。あーそっか。nを不等式で絞り込んでその範囲で試行錯誤すれば良いんだ」という着想を得るだろう。
話を元に戻そう。繰り返しにはなるが、上記を通して伝えたかったことは「範囲が広いときは絞り込む」ということである。では、どのようにして絞り込めば良いのだろうか。
答えは至って単純である。絞り込む際には基準を設定するだけで良い。簡単な例を出すと、インターネットでアルバイトに応募しようとすると大量に検索結果が表示されるだろうが、エリアや収入、履歴書ありかどうか、賄いありかどうかなどのチェックボックスにマークを入れて再検索すると表示件数がかなり減って探しやすくなるだろう。これが絞り込みの基準である。要するに、基準を設定して基準を満たすかどうかで消去していけば良いのである。
同じように考えて、健康関係の情報を探す時も絞り込みの基準を設定すれば良い。では、どのような基準を設定すれば良いだろうか?それを下記に列挙する。下に示す基準は、厚生労働省が運営している「『統合医療』情報発信サイト」と、健康・医療情報を読み解く力「ヘルスリテラシー」の浸透に取り組む中山和弘聖路加国際大教授(看護情報学)が情報に接した際に確認すべき5点を頭文字から「かちもない」の合言葉で示したものの2つを統一したものである。
書いたのは誰か
☑情報発信者について知る
・氏名
・経歴
・連絡先(電話番号やメールアドレス)
・住所
・所属
・専門的な資格を持っているかどうか
・最近専門分野の論文(査読のある学術雑誌に)を書いているか
・書いたものが複数以上の第3者の目を通して評価されていることが明記されているか、採用している査読の種類は何か
・論文の被引用数
・他の研究内容は何か
・方針、ライセンス、著作権
・(ウェブサイトであれば)About Us、Contact us、沿革、財源、理念
を確認する。可能であれば、所属内での検索や名簿で確認する。病院や診療所にかかる場合でも確認できる範囲で上記項目を確認しておくと良いだろう(後述するが医者だとしても専門分野や第3者にチェックされているかどうかによって発信する情報の精度が異なるため信頼性を確認する上でも上記項目のチェックはしておいた方が良い)
☑組織による情報発信の場合は、非営利の公的機関であるか、組織の目的や運営方法は明確かを確認する。信頼できる出版元は、学術出版社、大学、研究組織、専門機関、または研究を行なっている政府機関であるのが一般的。何らかの営利団体、政党、特定の意図を持った組織の一部になっている場合は、ウェブサイトの情報にバイアスがかかっている可能性に注意する
☑医師、教授、医学博士、権威のある人や団体といった肩書だけでは判断できない。専門性があってもお金儲け目的で反ワクチンや水素水などのエセ医療を推奨することもあるし、政府資料や著名な医学誌の論文でも常に正しい情報が書いてあるとは限らない。なので全面的な信用はしない
違う情報と比較したか
☑因果関係を見定める
・「Aの結果Bになった」という構文の場合は本当にAが原因であるかどうか疑わしいことがあるので、他の実験データと比較したりメタアナリシスやランダム化比較実験などのサンプル数が多い資料にも目を通すなどして、他の情報と違う点はないか確認する
・対照実験になっているかどうか。比較対象がないと本当にその実験が原因なのか分からない
・分母を確認する(5人に効果あり!と宣伝されていても分母が1000人であれば0.5%の人にしか効果がないし、10人であれば50%の人に効果があると言える。しかし、10人だとサンプルが少なすぎるのでそれはそれで信憑性に乏しい)
☑物事の両面を見る:効果・効能だけでなく危険性についても確認しておく。危険性が明記されていない場合は他の資料にも目を通す
☑問題解決のための選択肢が十分にそろっているか、各選択肢に必ずある長所と短所の両方が提示されているか。選択肢が1つしか与えられていない場合や長所のみしか記載されていない場合は疑いの目を持って他の資料にも目を通す
元ネタ(根拠)は何か
☑結論の根拠を確認する
・元ネタとなる根拠が明記されているか
・動物実験だけでなく臨床研究で効果が確認されているか
・出典や引用などで科学的な根拠として専門分野の論文(査読のある学術雑誌)や具体的なデータが示されているか
・アンケートを根拠とする場合、世間体を気にしたり効果があるという思い込みによって「効果がある」と回答する場合も考えられるので、即座に信用することはできない
・あえて反対派の立場に立ってみてその主張が正当なものと仮定した場合、どのような根拠が考えられるか。自説の根拠と比較してどちらが整合性が取れているか
・都合の良い結果だけが強調されていないか
何のための情報か
☑商業目的かどうかを確認する。判断材料は、
・サイト運営の目的
・リンク先:特に、Webサイトで医療情報を調べる場合はアフィリエイトリンクが貼られているかどうか。アフィリエイトリンクかどうかの見分け方はリンクアイコンにマウスカーソルを合わせるとブラウザ上のどこかにそのリンクのアドレスが表示されるので、そのアドレスにasp、valuecommerce、a8.net、afi-bなどの文字列が含まれているかどうかを確認する。これらの文字列が含まれていればアフィリエイトリンクである。ただし、最近では短縮用URLを使うなどしてアフィリエイトかどうか分かりにくくしていることもあるので注意が必要。追記事項として、アフィリエイトリンクが貼られているからと言って悪質とは限らない。優良な商品を紹介していることもある。アフィリエイトリンクが貼られているかどうかではなく、他の要素(発信者は誰か、サイト運営の目的は何か、いつの情報か、根拠は何かなど)も勘案して判断しよう
・本のまえがき
・広告(記事や画像の中に「広告」「PR」「i」という広告の表示があるかどうか)
・資金の出どころ
・スポンサー
・「絶対に」「必ず」「日本一」「あの人もやっている」「みんながやっている」「驚異の」「究極の」「最強の」「話題沸騰」などの強調表現や感情を煽るような表現を使っているかどうか。使っていたら怪しんだ方が良い
・「特定商取引法に基づく表記」があるか。個人情報の入力が必要な場合、「個人情報保護方針」は記載されているか
・問い合わせ窓口はどうなっているか(信頼できる情報源であればFAQがあるし問い合わせにきちんと対応する)
☑商業目的以外に、誹謗中傷が目的となっていないか
いつの情報か
☑最新の情報であることを確認する。健康や医学に関する情報は日進月歩なため、古い情報では、現在は否定されていることかもしれない。
・サイトの作成日や更新日、更新の履歴、本の出版年など、最新の情報であることを示す日時などの情報があるか
・更新の方針や予定について記してあるか。更新がしばらくされていない場合は、更新して最新の情報を提供しようとする体制ができていない可能性がある
絞り込みの基準は以上である。
基本的には以上であるが、絞り込みをする際の注意点を2つ明記しておく。
(1)基準を全て満たす情報が見つからなかった場合:健康・医療情報に限らず絞り込みをする際に設定した基準を全て満たす情報が見つからないこともあるだろう。その場合は基準を緩和すると良い。基準に優先順位をつけて、優先順位が高いものはそのままにして優先順位が低い基準から順に外していけば良い。それで事足りる
(2)基準の個数について:絞り込みの基準を設定する際には基準の個数が過不足なく揃えられてる必要がある。多すぎると検索に引っかからないし、少なすぎると抜け漏れが発生して誤った結論を導いてしまう。ちなみに、このことは何かしらの結論を導く上でも重要な考え方である。たとえば、誰かが「結論はこうだ。なぜならAだからだ」と言ったとしよう。しかし、それに対しては「本当にAが理由なの?他に原因は?」と問うことができる。より効果的な懐疑をしたいなら、「その結論を導くための十分条件はA,B,C,Dの4つだ。Aだけからその結論を導くには根拠が不足しているし飛躍している。A,B,C,Dの4点が真であることを確認できてようやくその結論が正しいと言える」と反論することもできる。十分性があるかどうかの確認は正しい判断をする上で避けては通れない。
ちなみに、以上の基準はインターネットで検索する以外にも書籍を購入する際にも有効だ。パラパラっとフォトリーディングするようにめくって、信頼性のあるデータに基づいているかどうか、個人的な成功体験や思い込みじゃないか、などを確認すれば十分だろう。信頼性に乏しい書籍は購入しなくて良い。こうやって基準を設けて読む情報を絞るだけでも、相当な時間とお金が浮くものである。
しかし、何か情報に出くわすたびに毎回毎回これらに照らし合わせるのは大変だろうし、上記の基準を全て満たす情報源を探すこともまた大変だろう。そこで、2つの解決策を提示する。
①効率化を図るためにこれらの基準を満たしている情報源をあらかじめ決めておき、何か調べる時はそこで調べる(以下に上記の基準を満たす健康・医療サイトや施設を載せておく)
②信頼性の高い情報源にアクセスするための検索のコツを知っておく
では、2つに分けて書いていく。
ただし、何かしらの健康・医療情報に出くわすたびに上記の基準と照らし合わせる癖をつけおいて損はない。慣れたら瞬間的にできる。
①上記の基準を満たすサイトや施設
(1)病院:言うまでもないが、自分で調べて判断するより病院で医者に聞く方がよほど時間の節約になるし正確である。気になる点をメモしておいて迷惑にならない範囲で聞けばいいだろう(他の患者さんの診療もあるので節度を持つ必要がある)。他に、自分で調べて見解を出した上で「調べたらこういう根拠でこういう結論になったんですがこれで合ってますか?」といったように仮説を検証するために利用することも可能だ(そこまでする人は滅多にいないのだが)。ただし、注意点が3つある。
・個人経営の医院だとヤブ医者や悪意のある医者も存在するため、設備や評判が充実している規模の大きな病院を選ぶこと。そして第3者からのチェックがされている病院を選ぶこと。これを心掛けるだけで情報の正確性が上がる。ただし、個人経営の医院だからと言って避ける対象になるわけではない。個人経営の医院に行ってから必要に応じて大学病院を紹介されることもあるので、個人経営の医院に行く時は評判を確認しよう
・医者だからと言って必ずしも正しい知見を持っているわけではないことだ。医者の言うことはほぼほぼ正しいが、それぞれ専門分野が異なるのでそれに応じて提供される情報の正確性が異なる。特にSNSの世界では、専門外の分野に言及して誤情報を発信している人もいる(コロナなど)。質問をしたり診療をしてもらう場合はその医者の専門分野や第3者からチェックされているかどうかを調べておこう。調べるのはネット検索でも電話やメールによる問い合わせでも良い。また、医者から「治りません」と言われたのに治った事例があることから考えれば、治療法が医学的に明らかではない場合でも必ずしも諦める必要はない
・素人が独力で調べて情報の精査をするのは難しい。したがって、自分で調べた後でも専門家に質問をして自分が調べた情報や自説が正しいかどうか確認してもらう。こういうことを言うと「なら最初から聞いた方が速いのでは?」と思う人もいるだろう。時間がない場合はそれでも良い。「歯が痛いから歯医者に行ってくるか」といったフットワークの軽さで診療してもらうのは、独力で調べて怪しい情報に引っかかるよりはよほど常識的な判断と言えるだろう。しかし、相手側の負担を軽減できることや自分で調べてから聞く方が疑問点の解消に役立つことを考えれば、やはり時間がある場合は少しでも良いから自分で調べる方が納得感を得やすい
(2)医療安全支援センターや国民生活センター:近所に病院がないせいで病院で相談できない場合もあるだろう。その場合は全国に設置されている医療安全支援センターや国民生活センターで相談する
(3)著名な文献データベース:The New England Journal of MedicineやThe Lancet、The British Medical Journal、JAMA、Cochrane、PubMed、WHO、CDC、ハーバード公衆衛生大学院、アメリカを代表する名門病院であるメイヨークリニック(このサイトのHealth Informationから検索可能)などの著名な文献データベースで検索を行う。ただし、海外サイトなので日本人とは体質が異なった人をサンプルにしている。体質の違いから日本人には効果がない可能性も考慮しておきたい。とは言え、やはり海外の方が文献の数が多いし信頼性が高いものが多い。英語で検索をすることは今の時代には必須と言えるだろう(自分は医学の英単語を知らないのでGoogleの翻訳機能を使って読んでいる)。日本の著名な文献データベースだと、Mindsガイドラインライブラリや国立健康・栄養研究所、国立感染症研究所、国立がん研究センター、厚生労働省、厚生労働省eJIM、MSDマニュアル家庭版がある。健康・医療情報をリサーチするためのフォルダをブラウザ上に作成してブックマークしてそのフォルダに入れてすぐにアクセスできるようにしておくと効率的だろう。上述したサイトは食事、運動、睡眠、瞑想などに関して調べることが可能だし、病気について調べることも可能である。ただし、一つのサイトだけの情報から判断するのではなく複数のサイトを見比べて判断することが肝要である。もし上述のサイトで望んだ情報が見つからなかった場合は「○○ エビデンス」などとGoogle検索をして手当たり次第に調べてみよう。
下記におすすめのサイトをまとめておく。
●海外文献
Harvard School of Public Health
Cochrane
PubMed
NEJM
THE LANCET
The BMJ
JAMA
WHO
CDC
The Nutrition Source
Mayo Clinic
IDSA
Nature
Science
Annals of Internal Medicine
Cell Press
GISAID
Pfizer
Moderna
●国内文献
厚生労働省
MIndsガイドラインライブラリ
国立健康・栄養研究所
MSDマニュアル家庭版
国民生活センター
厚生労働省
国立感染症研究所
首相官邸ホームページ
ファクトチェックイニシアチブ
以上となるが、上記のサイトや施設はとりわけ信頼性が高い情報源であるものの鵜呑みにするのは禁物である。政府や研究機関の資料と言えど間違った情報が書かれていることはあるし、医師と言えど常に正しい知見を持っているとは限らない(専門性にも左右されるので)。WHOにしてもポジショントークをしていることもある。反対者の立場など様々な立場に立って調べて複数の情報を総合して判断するのが定石であるから、いくら信頼できる情報源であるとは言え、ある程度は懐疑的な態度を持って情報収集に臨むようにしたい。
②信頼性の高い情報源にアクセスするための検索のコツ
コツは大きく分けて2つある。
(1)エビデンスレベルで検索をかける
(2)学術的理論に立ち返る
の2つだ。
言うなれば、(1)は帰納で(2)は演繹と言えるだろう。帰納とは、具体的な事実から抽象的な理論を導くことである。演繹とは、抽象的な理論から具体的な事実を導くことである。たとえば、「3日前に太陽が東から昇って西に沈んだ。2日前も同様だ。昨日も今日も同様だ。だから、太陽は東から昇って西に沈む」というのは帰納である。一方で、「すべての犬はワンと鳴く。だから、あそこにいる犬もワンと鳴くはずだ」というのは演繹である。
これが本来の定義であるが、このnoteでは「具体的な事実を積み上げていって結論を導くこと」を帰納と定義し、「学術的理論に立ち返ってそこから具体的なやり方を導くこと」を演繹と定義する。
帰納と演繹の注意点は、推論の材料が正しいことが前提となるということだ。たとえば、帰納であれば推論の材料となる具体的事実が正しいものである必要がある。誤情報や一部の人にしか当てはらない事実(グルテンフリーダイエットを実践したら痩せたなど)から出発して推論したら出てくる結論も誤りになるだろう。したがって、信頼性が高い情報源から情報を集める必要がある。(1)では信頼性が高い情報源にアクセスする方法を書いていく。また、演繹も同様に立ち返る学術的理論が正しいことが前提である。「学術的理論が間違ってることなんてあるの?」と思うかもしれないが割とある。このことは、大恐慌が起こった時代に当時の主流の経済学が大恐慌解決に役立たなかったことを思い出せば容易に理解できるだろう。この大恐慌はケインズの「雇用・利子及び貨幣の一般理論」に書かれた目新しい経済学によって解決された。誤った学術的理論から出発したら誤った結論が出てくるのは無理がない。
(1)エビデンスレベルで検索をかける
エビデンスとは「医学的な根拠」のこと。エビデンスレベルとは「根拠となる論文がどの程度信頼性が高いかを表す、オックスフォード大学が提唱した指標」である。メタアナリシスや系統的レビュー(システマティックレビュー)、ランダム化比較実験、非ランダム化比較実験、コホート研究などがあり、それぞれ信頼度が異なる。エビデンスレベルが高いほど信頼度が高くなり、低いほど信頼度が低くなる。信頼度が高い情報にアクセスしたければエビデンスレベルが高い論文を検索すれば良いことになるが、各エビデンスレベルがどのような調査・研究のされ方なのか、つまりどのような研究デザインなのかを知らないと有効活用できないだろう。
本noteではエビデンスレベルの説明を別のリンクに譲ることにする。詳しくはオックスフォード大学のサイト(下記リンク)を見てもらえれば良い。英語が苦手な人は翻訳機能を使えば読めるだろう。ただ、このリンクは分かりにくいので分かりやすく解説されたサイトをもう1つ下に貼っておく。
ブログや市販の書籍だと専門家の意見や個人の体験談が多いため、エビデンスレベルが低いと言うことができる。例外はあるものの基本的に読む価値はない。同様に、動物実験の結果を根拠にしている情報や新聞、ネットニュース、テレビも読む価値に乏しい。健康・医療情報に限らず、新聞、ネットニュース、テレビは営利企業である以上はお金を儲ける必要があるため、お金儲けに都合の良いように発信者の意図が反映される。新聞、ネットニュース、テレビで報道される情報は大きく4種類に分けることができて、
(a)ファクトであることが確認でき、かつ印象操作を招くものではない情報
(b)書いてあることに嘘はないが、印象操作を招くように恣意的に切り取られてる情報
(c)書いてあることはフェイクであるが、印象操作を招くことを目的としているというよりは単に記者が知識不足なだけの情報
(d)フェイクかつ印象操作を招くもの
である。
スポーツの報道、たとえばオリンピックのメダル獲得や野球の戦績に関する報道だと(a)が他の分野での報道と比較して相対的に多く見られるが(それでも日本人の勝利を中心に報道してるので(b)が多い)、スポーツの報道以外の分野だと(b)~(d)がほとんどである。
実際に各自調べてもらえると良いが、新型コロナだけでなく、ロシア-ウクライナ戦争、企業の会計処理、年金問題、消費税増税、老後2000万問題、異次元金融緩和、アベノミクス、財テク(株式投資や積立投資、投資信託など)、日本学術会議、政治家の賄賂や献金、桜を見る会、靖国神社、選挙、森友学園問題、尖閣諸島、北方領土問題、竹島問題、集団的自衛権や安保法制、人工知能、健康・医療情報、地球温暖化、環境破壊、SDGs、グローバリゼーションなどの話題でもフェイクや偏向報道が散見される。(a)を見つける方が難しいくらいだ。上記には載せていないが他にもフェイクや偏向報道はいくつもあるので各自調べて見つけてみると良いだろう。
ちなみに、上述の「エビデンスレベルが低いから読む価値がない」に対して、「エビデンスレベルが低くても自分に効果がある情報が書かれてるかもしれないじゃん」と反論することもできる。確かにそれは一理ある。しかし、ある問題に対する解決策、たとえば痩せるのに効果的な食事法などは既にエビデンスレベルが高い論文に掲載されている可能性が高く、わざわざあえてエビデンスレベルが低いブログや本を読む価値があるとは思えない。要するに、同じ時間をかけるならエビデンスレベルが低い情報より高い情報の方が正確な情報を得られると期待できるわけだから、確率が高い方にbetしようという話だ。有限な時間的資源をどちらに振るかという話である。
また、リサーチにおいては、
「○○ メタアナリシス」
「○○ ランダム化比較実験」
「○○ RCT(randomized controlled trial:ランダム化比較実験)」
「○○ コホート研究」
「○○ filetype:PDF」
「○○ go.jp」「○○ .gov」(.govは米国政府機関)
「○○ ac.jp」「○○ .edu」(.eduは米国教育機関)
「〇〇 or.jp」「○○ .org」(.orgは米国の非営利組織)
「○○ 研究所」
「○○ 作用機序」
などと検索をかければ大丈夫だ。他にも検索キーワードの候補はあるが、まずはこれを覚えておこう。
メタアナリシス、ランダム化比較実験(RCT)、コホート研究などのエビデンスレベルに関しては上記リンクに目を通して定義や研究方法を確認してもらえれば大丈夫だ(ランダム化比較実験とRCTを分けている理由はRCTの方が覚えやすいから)。
filetype:pdfはpdfファイルを検索するための小技である。pdfファイルで検索をかけると論文にヒットしやすくなるので、それだけ信頼性が高い情報に繋がりやすくなる(Googleスカラーで検索しても良い)。go.jpや.govは政府資料を検索するための小技だ。goやgovはgovernmentの略である。ac.jpは大学や学校法人で検索をかける小技だ。「○○ ac.jp 学校名(Harvardなど)」で検索をかければハーバードやオックスフォード、東京大学などの情報を検索しやすくなる。acはacademicの略である。or.jpは法人や団体、非営利組織を検索するための小技だ。財団法人や社団法人、医療法人、監査法人、宗教法人、特定非営利活動法人、特殊法人、農業協同組合、生活協同組合などを検索することができる。orはorganizationの略である。また、「○○ 研究所」と検索することで国立の研究所の資料を閲覧することができる。
機序などのテクニカルターム(専門用語)を知っておくことも検索を有利に進める上で重要なことだろう。機序とは仕組みを意味する用語であるが、自分は薬剤やワクチンがどのような仕組みで体に作用するか、そして病気がどのような仕組みで発症するかを調べたい時に「○○(mRNAワクチンなど) 機序」「コロナ 機序」などと検索して調べることがある。この時に英語で検索して海外サイトを読むこともまた重要である。
エビデンスレベルで検索をかける時のポイントは基本的には以上である。
ただし、注意点が3つある。
(a)エビデンスレベルが高ければ高いほど良いというものではないこと。重要なことは健康法が自分に効果があるかどうかであるから、自分の体質をよく知った上で判断することだ。特に、海外サイトから得られた情報だと自分の体質に合っていないことがあるため注意が必要である。それに、個人的な体験談でも自分に適していれば状況は改善する。エビデンスレベルが低いから役に立たないというわけでもない。
(b)最もエビデンスレベルが高いメタアナリシスの結果でも必ずしも鵜呑みにして良いわけではないこと。たとえば、Journal of National Cancer Institute誌に掲載されたあるメタアナリシスの研究だと、一般的な常識とは異なりガンの死亡率や再発率や予防と食生活の関連性はないと結論づけられている。しかし、このメタアナリシス研究は「試験の質が低い」とされたので、ガンと食生活の関連性についてはこの論文のみで判断することはできない。
このように、メタアナリシスと言えどすぐに鵜呑みにはせずに他の角度からも調べてみるのが賢明だろう。たとえば、「さっき見たメタアナリシスだと関連性がないと結論づけられていたけど、関連性があると結論づけているメタアナリシス研究はないかな?」と考えて再調査を試みる。つまり、反対者の立場に立って調べ直して整合性が取れている方をより正確な資料として見なすということである。
(c)検索しても出てこない可能性があること。たとえば、コロナが感染拡大し始めたばかりの時期(日本だと2020年の3月頃)なら調査や研究が十分になされていないため論文がヒットしづらい。今はある程度資料が揃ってきているが、このように検索しても見つからないこともある。その場合は信頼性に乏しい情報から何とか推測して仮説を構築するか、信頼性が高い情報が出てくるまで待つか、類似事例からの類推をするかのいずれかだ(他にもパターンはあるが)。コロナの場合は信頼に足る資料が少なくても天然痘やスペイン風、ペストなど過去に大流行した感染症を調べることで手がかりを得られるかもしれない。
このように、「情報が少なくても何とか仮説を構築する」という姿勢を持つことが極めて重要である。何でもかんでも調べれば答えが出てくるわけではない。答えを出すためには数少ない資料から何とか推測して確率的判断をしなければならないこともあるし、様々な立場の情報を総合的に勘案して最も整合性が取れた結論を出さなければならないこともある。
さらに言えば、世の中には一般には公開されない非公開情報もある。機密文書や高度なセキュリティで守られた秘匿性が高い情報だ。一般の人はこういった非公開情報にアクセスすることはできないので公開情報からの推測で何とか答えを出すしかない。いくら高度情報化社会と言えどインターネットで調べれば答えが出てくるような世の中ではないので、やはり必要なのは信頼性の高い情報にアクセスする能力のみならず公開情報からの推測力ということになるだろう。
「(1)エビデンスレベルで検索をかける」の内容のまとめとして、下に健康・医療情報リサーチをする時のフローチャートを載せておく。参考にすると良い。
(2)学術的理論に立ち返る
先程も説明したとおり、これは演繹的なアプローチである。健康情報の場合は病理学や疫学、栄養学、生物学の知見に立ち返ることになるだろう。
たとえば、「筋トレをして体を大きくしたいけどどういう食事を取れば良いんだろう?」という疑問が発生したとする。
この場合、体が大きくなるメカニズムに立ち返れば良いことになり、検索するとタンパク質が体の大きさの成長に寄与しており、タンパク質は20種類のアミノ酸から構成されていることが分かる。そのうち、バリン、ロイシン、イソロイシン、スレオニン、メチオニン、リジン、フェニルアラニン、トリプトファン、ヒスチジンの9種類(これを必須アミノ酸と呼ぶ)は体内で必要量を合成できないため、食事から摂取する必要があることが分かる。これが一般的な理論である。
次に、「どのような食事からどれくらいタンパク質を摂取すれば良いのか?」「食事から得たタンパク質はどのように体に吸収されるのか?」といった疑問が湧いてくるはずだ。どのような食事がタンパク質を豊富に含んでいるか、どのように摂取すれば良いのか、どのように吸収されるのかについてはいずれも栄養学の立場から分かっていることであり、それに立ち返れば済む話だろう。
さらに、厚生労働省が定めたガイドライン(日本人の食事摂取基準)で「成人が一日あたりに摂取すべきタンパク質の量」が記載されている。とは言え、これは非常に量が多い上に読みにくいので分かりやすく解説されたサイトを貼っておく。もちろん日々の運動量や体重によって必要な摂取量は異なるので、そういった要素も考慮して意思決定してもらいたい。
厚生労働省に限らずガイドラインはエビデンスレベルが高い情報を総合して定めた行動規準であるから、その行動規準もまた信頼性が高いものとなる。本屋に置いてある大量の怪しい健康本や誰が書いたのかもわからないブログよりはよほど有益だ。ただし、ガイドラインですら時間が立てば内容が覆る可能性があることや誤情報・ポジショントークが含まれていることは視野に入れておきたい。
ではどのようにして学術的理論に立ち返れば良いのか?それは、図書館や本屋で教科書(わかりやすく噛み砕かれた入門書でも可)を探してきて該当箇所を読んだり、インターネットで文献検索して調べるのが良い。後者の場合だと、MSDマニュアル家庭版で検索することができる。それか「○○ 仕組み」「○○ メカニズム」などとGoogleで検索をかける。
リサーチスピードを上げるには
リサーチスピードを上げる方法も書いておこう。
これまでの内容を読んで、「こんなに丁寧に調べてたら日が暮れてしまう、忙しい中で結論を出すことができない」と思った人もいるだろう。それは至極当然の疑問である。
このような問題に対する処方箋は、調べてから考えるのではなく考えてから調べることだ。どういうことか。これは、結論を出すためにはどういう手順を踏めば良いのか全体的な方針を立ててから調べたり、調べる前に「最終的にはこういう結論になるのではないか?そしてもしその結論が正しいとしたら根拠はこうではないか?」と予測を立ててから調べるということだ。
このやり方の弱点は確証バイアスに陥るリスクが上がることだが、それでもやはり闇雲に手当たり次第に調べて十分な情報が集まってからようやく結論を出すよりはよほど速い。
以上だ。
最後に参考文献を載せてこのnoteを終了とする。noteの冒頭に書いた巷の健康法についての検証や、エビデンスレベルが高い論文や学術的知見から導かれるおすすめの食事、運動、睡眠、瞑想のやり方は、お医者さんに監修してもらった上で後日更新して掲載する。
参考文献
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