「推し疲れ」
新しく覚えた言葉って無理やりでも会話の流れで使いたくなりますよね。
一時期、なんかかっけー、という理由で、「○○ないし○○」を連呼している時期が私にはありました。
今回は、私が昨日知った「推し疲れ」という言葉を掘り下げていきたいと思います。
造語なので、明確な定義というものは存在しないのですが、
≪アイドルグループなどをファンとして応援しているうちに、なんらかの原因により、応援することに疲れてしまうこと。≫
こんな意味合い。
「好きで応援していて疲れる、ってどういうこと…?」
この言葉に限らずとも、実際に経験してみないとピンとこない、
ということは往々にしてあるので、実際に「推し疲れ」を感じている方々の声の一例をご紹介します。
・地方に住んでいるが、推しのイベントはいつも都内だから遠征が多くて疲れる。
・古参ファンの中でのルールが厳しく、新規が推したいように推せない。
・好きでファングッズを精力的に制作しているけど、応援するためのグッズなのか、グッズを作るために応援しているのかわからなくなった。
etc...
SNS上でも、「#推し疲れ」というものが存在していて、
上記のような例も含めて、
「応援したい!…だけど体(心)が追い付かない。」
というような意見を述べている方を散見し、
現にこういった経験をされている方は少なからずいらっしゃるようでした。
もしかすると、「推し疲れ」という言葉を知らないだけで、
似たような状態に陥っている方が、このnoteを読んでいる方の中にいらっしゃるかもしれませんね。
対策
単に原因がわかっていれば、簡単な話、疲れの元になっている部分を一つ一つ改善しくことが近道です。
例えば、先ほど挙げた例に照らして、
・地方に住んでいるが、推しのイベントはいつも都内だから遠征が多くて疲れる。⇒都内に引っ越せばいい!!!!
・古参ファンの中でのルールが厳しく、新規が推したいように推せない。
⇒周りのよくない声なんか関係ない!自分の好きな推し方を貫けばいい!!!!
・好きでファングッズを精力的に制作しているけど、応援するためのグッズなのか、グッズを作るために応援しているのかわからなくなった。
⇒いやそれは考えすぎ。草
~終~
まあこんなマリーアントワネットよろしくの解決策では、
「それができたら苦労しねーよ」という罵声が飛び交い、私が半べそになるところまで想像できます。
ですので、模索中ではありますが、私なりの対策をいくつか考えました。
①寝ろ
ふざけてるかと思われるかもしれませんが、大事です。
人は、夜寝て日中活動するようにできています。
推し事に夢中になるあまり夜更かしが続いていませんか?
推しへの愛を形(行動)にするというのは素晴らしいことですが、
体にも精神衛生上にも、寝不足は「推し疲れ」の一因になりやすいです。
寝不足で体や心が弱っているときに、普段では動じないちょっとした要因が
発生するだけで、自分の推しへの愛に不信感を抱くこと請け合いです。
ただ、日中学校であったり仕事をしていて、帰ってからしか推し事ができない方も多くいらっしゃるかと思いますので、定期的に、自分の中で決めましょう。
推し事の怖いところは、純真無垢に「好き」という感情を抱いているうちは際限なくできてしまうところです。
②食べろ
①に続いて、人間としての生き方TIPSみたいになっていますが、
一日三食食べることで得られる満腹感や、美味しいものを食べたときに感じる多幸感は、人によって程度の差こそあれど、抱いてしまった不安などを紛らわしたい時などに、その恩恵を感じることでしょう。
疲れがたまってモヤモヤした感情を持ち続けていると、不安は右肩上がりに増大します。一時的であっても忘れることは必要です。
ちなみに不安感を紛らわしたいからといってお酒に頼っていると、
良質な睡眠がとれないので、程ほどに。
ソースは私です。
③一度、推しから離れろ
これ、難しいですよね。
応援したいのに応援できないですからね。
でもこれも、長く応援していきたいなら、大事。
②にも上げた通り、不安感は抱き続けると膨れ上がります。
どこかで忘れなければいけない。
となると、一度シャットアウトしたほうが早いです。
可能であれば、関連する情報も入れない。
しばらく、応援できないこと・関われないことにイライラを覚えたり、
悶々とした日々を過ごすことになるかもしれませんが、
徐々に、徐々に、負の感情は薄れていきます。
そうすることで一度「好き」という感情をリセットする。
前と同じように、まっすぐ、推しに向き合って応援できるように。
…真顔でポエムを書いていますが、おそらく明日の私が見たら黒歴史だと感じることでしょう。
ごめんな。明日の私。この十字架背負って生きてくれ。
〆
日常生活を送るうえで、推しへの応援の優先順位が高くなってしまうのはしょうがないと思います。
それ故の「推し」ですから。
ただ、モヤモヤした感情を持っていると、推すことが義務感に変わり焦燥感などに変わってしまう。
そこから自分の愛を疑うようになる。
最悪、応援することをやめてしまっては元も子もありません。
たまには一歩下がって俯瞰してみないと、視野が狭くなってしまうかもしれませんね。
余談
こんな余ることある?てくらい余談多くて草です。
隙自語になりますが、
実を言うと、私もこの1週間似たような状態に陥っていました。
私の場合、熱しやすく冷めやすいところがあるので、一時的に熱が高まりすぎると、ふとした拍子に反動が来てしまうということを今回改めて認知しました。
「推し事>日常生活>お仕事」 から、一時的に
「推し事<<<<<<<お仕事<<<日常生活」くらいの1週間を送りました。
お仕事の順位が少し下がってるのはお盆明けにパワー使いたくなかったからです。眠いでしょ?
この生活リズムで、徐々にですが、熱は戻ってきています。
私が応援しているのはネットでの活動をメインにしたアイドルなので、
ファン同士もTwitterでの交流が多いです。
気軽に共通した「好き」で繋がれるのは、なんか…すごいですね。
文明の利器を今さら感じています。
ただSNSだと、相手の顔が見えない以上、対面での会話に比べてコミュニケーションが取りづらいという難点があります。
文字ですからね。感情が乗りづらいんですよ。
これが私がSNSを苦手とする理由。
例えば一例。
「○○○君、笑える」
こんな一文でも、
ユーモアがある人ととらえられているのか、皮肉がこもった言い方なのか、悪口なのか。
受け手次第、読んだタイミング次第で、プラスにもマイナスにも取れてしまいます。
また、このプラスとマイナスは対面に比べて、より極端な形であらわされます。
簡単に言えば、対面だと表情や声のトーンなどからも読み取れるので、プラス70マイナス30といった曖昧表現(解釈)が可能ですが、文字はこちらの想像で補うことしかできないので、プラス100であったりマイナス100であったりと極端に解釈されてしまう。
それ故に、感情が伝播しやすい。
そもそも「好き」が共通している者同士で繋がっているから伝播しやすいというのもありますが。
感情がのせづらいから感情が伝わりやすい、とは皮肉が利いていて面白いですね。
どんな界隈であっても、それが宗教であっても、目的を共にしているはいえ、そこに至るきっかけも動機も違うわけですし、誰もが同じ感情をもって行っているわけではないので、軋轢は産まれます。
それは仕方のないこと。
ただ、誰だって受け入れてもらえたらうれしいし、批判されたら悲しいです。
その様子を見た人も近い感情になります。
イライラしたり、抱え込んで落ち込んで、応援する気力もなくなってしまっては本末転倒。
私は、推しで脳みそ溶かして、みんな「かわいい」しか言えなくなる瞬間が好きなんです。
支離滅裂ですが、この1週間仕事ほったらかしで考えてた愚文です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?