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祖母と母、母と私、私と娘の台所。

「ママは、どうしてお料理ができるの?」

ここ最近、毎日のように娘が聞いてくる。料理、とは呼べないような簡単に支度した朝食やお昼ごはんでも。

どうして、と聞かれるとなかなか答えが難しい。そういえば昔、私も母に同ことを尋ねたことがあったっけ。

そのとき母はこう言った。
「そうね~。おばあちゃんは、お料理が上手だったのよ」

それを聞いて「そうか。母にも子ども時代があって、おばあちゃんの作るゴハンを毎日食べていたころがあるんだ」と不思議な気持ちになったのを思い出した。

***

祖母宅へ泊りに行くと、いつも母と祖母が台所に並んで立った。私は妹と遊びながらも台所の様子が気になって、たまに覗きに行った。

祖母と母が並んで夕飯の支度をしている。ときおり、母が祖母に「これは、こうするといいのよ」なんて言われ、「やっぱりお母さんのコレはおいし~」と味見をする母の声が聞こえてくる。

細長い台所のそこは、私が入り込めない母と祖母だけの空間だった。私の知らない時代の母がいた。

***

台所仕事のお手伝いをするのは楽しかった。

子どものころ、お米を研ぐのが楽しくて一度の米研ぎでは飽き足らず、ボウルにビー玉と水を入れてグルグルと「お米研ぎごっこ」をしていた記憶がうっすら。

小学生になり、卵料理が面白くて「食べたい < 作りたい」で頻繁に作ったオムレツ。「真ん中に寄せて、フライパンを回すの。卵液が流れなくなるまで繰り返すとフワフワになるのよ」と母に教わった。

***

3歳8か月の娘、お手伝いが楽しいらしい。

卵を割りたくてしょうがないし、餃子を包むのもやりたい。ホットケーキミックスを混ぜるのも、ポテトサラダのじゃがいもも潰したい。

踏み台に立つ娘と並ぶ台所は、なんだかうれしい。

10年後もその先も、頻度は落ちても20年後、30年後も、こんな風に台所に並びながらお喋りをしたいなって思う。

あぁ、そういえば私も、母の隣に立ってあれこれ話をしたなぁ。学校の出来事や友だちの悩み事、テレビの感想や好きなタレントの話。高校生になると、恋愛の話もしたような。

いまも実家に帰って、母と一番自然に話せるのは台所だ。

面と向かい合い改まって話すより、台所の方がすんなりと話ができる。変わらない実家の台所が、自然と私と母を昔と同じように配置してくれるから、あの頃みたいに話せてしまうのかな。

「卵をフライパンに入れま~す!熱くて危ないからここからはママがやるね。こうやって真ん中に寄せて、卵のトロトロが出てこなくなるまでやるの」

世代を超えて母から子へ受け継がれしもの、なんて大層に聞こえるものは、案外こういうことなのかもしれない。

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