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非日常でも日常をくれる娘に変わらないものをあげたい

人の心は、案外もろくて案外強い。

小池都知事が緊急会見をするという。国単位で語られるそれより、近い距離で直接響いてくる会見を、一般市民としての漠然とした不安と共に待った。

部屋には、私と娘の2人。夕飯の片づけをしながら、アニメの録画を見たいという娘をなだめつつTOKYO MXにチャンネルを合わる。

専門家が予測はできても、これから実際どうなるのかは誰も分からない。自然災害とはまた別の緊張感。

指揮を執る人も、民間企業も働く人たちも。新年度を迎える学生も生徒も。日本中が手探りな非日常を過ごしている。

徐々に、そして突然いつもの景色が霞む。ほんの数日後、一週間後のことがみえない不安。

気が滅入ってしまいそうなニュースが溢れ返り、どんな気持ちで会見に耳を傾ければいいのかよく分からない中、すぐ隣で普段通りの笑顔をみせる娘がいた。

社会と断絶されてるわけでもない。ライフラインも整っている。家族と他愛のない話をすることも、友人とLINEでふざけたスタンプを送りあって笑うこともできているけれど。

でも、やっぱり触れられる距離に誰かがいてくれる安心感は大きい。
それがまだ幼い我が子でも。

我が子だからこそ、頭を冷静に気持ちを強く、地に足をつけて過ごさなくてはという活力がわいてくる気もする。

朝起きて眠るまで、いつもと変わらない娘の存在は、非日常の中にある唯一の日常。天真爛漫なお喋りは、いつでも空気を明るくしてくれる。

今日はね、アナみたいに三つ編みがいいな、あ、やっぱりプリキュアみたいなカワイイ髪の毛にするの。
ごはんいっぱい食べて、たまごのふわふわ~なスープも飲んでね、ヨーグルにバナナも、もりもり食べちゃったんだよ。あ~おいしかった!
え~。折り紙やりたいから、まだお風呂入らないも~んだ。

何のてらいもなく発せられる言葉に、思わず顔がほころぶ。そのたびに、心は救われ強くなる。

私もいつか、娘にとって絶対的な安心になれるだろうか。

どんなときも、ただ一緒にいるだけで、なぜか安心できてしまうような存在に。



会見を見終えて娘とお風呂からあがると、妹からLINEが届いていた。今日は祖母の93歳の誕生日。送られてきた写真には、祖母と、祖母の肩と背に手をあて、バースデーケーキの火を吹き消す真似をさせようと介助する母の姿があった。

母は、祖母を自分のことよりも大事にしている。身体的にも精神的にも。
きっとそれは、母にとっては祖母が、揺るぎない安心の場所だったから。
もしかしたら今だって、そう感じられる瞬間があるのかもしれない。

私にとって母が、子どもの頃からずっとそうであるように。

私も娘のそんな存在になれるよう、また明日を重ねよう。
非日常でも日常をくれる娘に、日常よりも当たり前な安心を分けてあげられるように。

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