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63日ぶりの保育園に、乾杯。

2020年6月9日。2か月ぶりに、娘を保育園へ登園させた。
ステイホーム週間と名付けられたゴールデンウィークは、4月から続く緊急事態宣言下。

在宅勤務と登園自粛の中で迎えた大型連休は、旅行や帰省に出ることもなく「在宅勤務」から「勤務」が取り除かれただけの延長で、わたしも娘も互いとしか交流しない毎日を繰り返した。

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登園も、娘と離れるのも久しぶりだ。

前夜、以前なら体が自動的に動いて支度していた毎日の持ち物を「そうだった、タオル2枚と…」と思い出しながら登園リュックに詰め込む。

たかだか2か月途切れただけなのに、かつての日常の断片を拾い集める自分に、人間の環境への適応能力は早いものなんだなと思った。

娘も、すっかり家で過ごすことに慣れきっている。マスクやソーシャルディスタンスよりも新しい日常がそこにあった。

わたしの隣にはずっと娘の気配があった。

うちは娘が1歳を過ぎたころから預けるようになったから、すっかり保育園生活の方が長いのだけど、もしかしたらこんなに一緒に過ごせるのはこの先もうないのかも、と思ったりもした。

少しだけ、娘と離れるのが寂しい。

娘をみながらの在宅勤務は大変なこともたくさんあったし、身一つで行動できる自由な時間もなかったけれど、それでもやっぱり貴重で愛おしい時間だったから。

娘には、6月に入ってから「もうすぐ保育園だよー」と声をかけていたけれど、夜寝る前に「明日は保育園だよ」と言うと「お家がいい!ママといる!」と泣いてしまった。

明日は、大丈夫だろうか。

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朝、到着し下駄箱に向かう。

下駄箱は、教室の大きな窓側にある。すると娘に気づいたクラスのお友だちが駆け寄ってきた。

「さや子ちゃんだ!せんせい!!さや子ちゃんがきたよー!」

6月も2週目を迎えていたこの日、クラスの子はほとんどが登園しているようで、2か月前と変わらない光景に何だか胸が熱くなる。

少し会わないうちにクラスの子たちは背が伸び、顔つきもお兄さんお姉さんになっていた。

毎日一緒にいたから気づかなかったけれど、きっと娘も同じように大きくなったのだと気付かされる。

娘は久しぶりの上履きをトントンと履きながら、窓越しに手を伸ばしてくれるお友だちに照れていた。

わたしにすり寄るように体を隠しながら、はにかむ娘の表情は嬉しそう。
娘は、そんなくすぐったいような気持ちをいつの間に覚えたのだろうか。

教室へ入ると、大好きな先生が大きな笑顔で迎えてくれる。
広げられた両手に、娘は一気に緊張がほどけたようだ。

クラスのお友だちが娘に気づいて、次々と声をかけてくれる。

「あー!さや子ちゃんだ!」
「さや子ちゃんが、きたーーーー!」

娘はどうやらマドンナ気分をご堪能中。満足気な顔で手をゆっくりと振り返す。

本当は嬉しくって堪らないのに冷静を装った表情で、悠長な動きでリュックからタオルを出したりするもんだから笑ってしまった。

支度が終わり、わたしは「じゃあ、行ってくるね」と声をかけた。

すると娘は、わたしの覚悟を180度裏切って「は~い、バイバイ!」と、抑えきれないワクワクを全身から発しながらお友だちの輪の中へ入っていった。

拍子抜けするくらいスムーズで、わたしの方が娘を目で追ってしまった。

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子どもはいつか巣立っていく。

それは、ハタチになるとか結婚するとかそういう儀式的な慣習よりもナチュラルにやってくるのだろう。

だからわたしも、暮らしの色彩を娘だけに見出していてはいけない。愛し方の手段と方法を間違えないように。

「いつか成人する」と思っていたけれどそうじゃない。
すでに娘は独立した存在で、社会で生きる一人の人間だった。

***

保育園の門を出て、自転車にまたがり駅へ向かう。

この2か月、昼休みに娘と散歩した川沿いの桜並木は、すっかり緑が生い茂っている。若い命が世の中にエネルギーを撒いているようで眩しい。

さっきの、わたしを振り返ることなく教室の奥へと駆けていった娘の後ろ姿がリフレインされる。

でも寂しいと思いきや、まったくそうじゃない。
胸の底になんともいえない充実が広がっていくような、にやけてしまうような喜びの感覚。

あぁ、こんな感情は人生で初めてだ。
わたしの母も、こんな気持ちを繰り返してきたのだろうか。

しばらくオンラインでしか会えていない父と母と、スーパーで買ってきたアルコールを不揃いなグラスに注いでカチンと鳴らしたい気分だ。

新緑を揺らす風を頬に感じながらペダルを一層に踏み込む。わたしもいつか大人になった娘と乾杯する日まで、娘がくれる感情のいろいろを味わいたい。

初夏のにおいが娘の笑顔と重なって、わたしの中に溶けていった。

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