祈りの概念の見方が変わった件
ども!タニ丸です!
祈り対しての見方がこの1年間で大きく自分の中で変わったので早速言語化して、認めたいと思います!
深い意味は特にないのですが、地元の神社には緑が多くあるので散歩の時によく通ります。
受験の時も就活の時も神社に願い事をするべく、お賽銭入れて〇〇大学行きたいんだ!受からせてくれ!なんて、その場では普段信じない神に祈ってました。
最近自分の人生を振り返り、この行為が矛盾していることに気付きました。
自己決定で、自分の後悔しない選択し続けてきた訳だから神に祈る必要なんてないんです。
自分の人生を決めるのも、生きていくのも神じゃないです。僕です。
この様に思うことになってから、僕は神社で参拝する時に自分のことで神に祈ることは一切合切やめました。
マーケティング界のレジェンド、株式会社刀の創業者の森岡毅と東進ハイスクールの林講師の対談をテレビかなんかで、観た気がします。
森岡氏は定数と変数の話をしていました。
定数ってのは変える事が出来ない。
変えられないものに対して労力を割くのではなく、変えられる変数に対して力を入れるんだ。
的な事を仰っていました。
そう。つまり、これを僕の日常生活に取り入れるとすると
定数は自分以外の他人、変数は自分、だなと。
他人を変えることなんて出来ません。
自分と違う人間ですもの。
他人の健康も変えられません。
自分だったら健康に意識して散歩したり、色々な事が実践してみる事ができます。
しかし、他人は定数なので健康の為に歩いた方がいいよって伝えても変わりません。
求めてなかったり、やりたくなかったり、その人の心境や状況がありますからね。
だから、僕はこの変えられない定数に対して祈る事にしました。
変える事が出来ない定数。
僕にとって大事で大切な定数。
家族や大切な人たちや恩師などなど。
そう考える様になってから、神社で参拝する時は定数に対して祈る事にしました。
もしかしたら、祈りという行為は自分の為じゃなくて他人のことや自分の力ではどうする事も出来ない災害が来ないように対して願いを込める事が、祈りの本質的なあり方なんじゃないのかなと考える様になりました。
だから、これからも僕は定数は神頼み!
変数は自分頼み!
そんな、人生を今後も全力で楽しんで生きていきたいと思います!
生命が宿ってるコンテンツことタニ丸の今後のアップデートに乞うご期待!