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どう思われるかよりどうなりたいか

20年前、独立したばかりの僕はどう建築を作れば良いのか全くといっていいほど、わからなかった。
アトリエに勤めている知り合いもいないし、師匠もいない。
ただ出来ることは、建築雑誌を買って穴が開くほど読むことだった。
雑誌に出ている建築全てが僕にとっては正解で、雑誌に出ている時点で尊敬しかなかった。
なにをどう理解すれば良いかもわからなかったから、何度も何度も雑誌を読み返し、住宅特集がバラバラになるまで読み返していた。(何度も読んでるとノリが剥がれてバラバラになるのです)
何月号のあの作品タイトル、担当者、施工会社、そんなクレジットまで覚えてしまうくらい、ぼくに出来ることはそれしかなかった。
いや、それしか知らなかった。
でも出来る事を精一杯やっていた。
精一杯やっていると不思議なもので、新しいご縁に辿り着く。
写真家の方を紹介して頂いて、出来たものを撮影して頂くことが出来、そして写真家の方から、編集者を紹介して頂き、ぼくは作った建築写真をもって新建築社に足を運んだ。
なにから話せばよいのかもわからず、そのころは新建築社が湯島にあって、男坂を登り湯島天神で賽銭をして、「どうか掲載されますように」と願い、早く着きすぎて隣の公園でソワソワしながら時間を潰し、緊張が高まっていたことを思い出す。
時間なって担当の方に会いに行って、何から話せばよいかもわからず、必死で考えたことを話せば、思いもよらない質問が飛んできて、しどろもどろになり、帰ってから質問された意味を噛みしめながら次にはそれを気をつけて設計するようにということを何度も繰り返した。
何度もお賽銭をして、公園で時間を潰す中で、少しづつわかってきたこともあり、どう考えながら設計するべきなのかが考えれるようになった。
ある意味、広島から東京に建築塾に通っているような気持ちだった。
そうやってなにもわからなかった僕が、少しづつ建築を部分的に理解出来るようになったのは、いま出来ることを精一杯やっていたからだと思う。
なにをやればよいのかを考えることよりも、今出来ることを精一杯やる、それに全てをかけていたように思う。
そうやって、出来ないから出来るが増えていく。

予め予定をたてて、こうなりたいからという目標があったわけではない。
わからないから、やれることを精一杯やる。
その継続が、やりたいことを考えれる自分を作り出したのかも知れない。

いまも同じく、わからないことや未知なるものの方が圧倒的に多い。
だこらこそ20年前と同じように、やれることを見つけ、ただひたすらそこに向けて行動してみる。
そうやって僕は生きていく。
その行動のエネルギーや行動したことで実感した感動を少しでも誰かに伝えたいし、だれかを応援することでエネルギーを貰えるということがわかったから、書籍や講演などで多くの人や遠くに届けていこうとしているのだと思う。

どう思われるかを気にして行動できなかった時期もある。でもそれを超えて、どうなりたいかは行動の先にあるんだよと、あのころの僕に言いたい。

公には出来ないけれど、ここだけで書くことが出来る情報も含めて、皆さんに共有出来ればと考えています。 建築業界の凝り固まった環境を見直しながら、新しい働き方や、経営方法、ブランディングについて綴っていきます。