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御朱印でめぐる 学問の神・菅原道真を祀る天満宮

菅原道真(すがわらのみちざね)と言えば学問の神様で有名ですよね。

菅原道真はわずか5歳で和歌を詠んだり漢詩を作るなど、神童と称され、後年、宇多天皇から厚い信任を受け、政治の中心で活躍した人物です。

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全国の天満宮

菅原道真は天神さんとして親しまれ、全国の天満宮で学問の神様として祀られていて、毎年多くの受験生が合格祈願に参拝に訪れることでも有名です。

各天満宮では御朱印を授与しているので、合格祈願や学問成就の守り神として頂いてみてはいかがでしょうか。

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素敵な御朱印帳を頒布している天満宮もあります。

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「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ」

道真が京の都を去る時に、庭の梅の木に呼びかけるように詠んだ和歌にちなんで梅をモチーフにした御朱印帳が特徴的ですね。

全国の天満宮の一部

西向天神社(新宿区)
成子天神社(新宿区)
蛍雪天神(新宿区)
雷電稲荷神社(新宿区
平河天満宮(千代田区)
牛天神北野神社(文京区)
湯島天満宮(文京区) 
五條天神社(台東区)
亀戸天神社(江東区)
菅原神社(世田谷区)
大泉天神北野神社(練馬区)
梅島天満宮(足立区)
布多天神社(調布市)
菅原神社 (町田市)
町田天満宮(町田市)
谷保天満宮(国立市)
穴澤天神社(稲城市)
天神社(西東京市)
天神社(八王子市)

道真の生涯

菅原家は代々学問をもって朝廷に仕える家柄で、道真の祖父、清公(きよきみ)は私塾を設け、朝廷の要職に数々の官人を輩出し、菅原家は一大学閥を作っていました。

後年、宇多天皇から厚い信任を受け、政治の中心で活躍しますが、左大臣 藤原時平の讒言により大宰府に左遷され、(※時平との関係は良好で、他の貴族の中で道真の出世をねたむものの謀略との説あり)極めて厳しい衣食住の環境の中、失意のうちに生涯を閉じました。

道真が亡くなった後、平安京で起こった事件

清涼殿に落雷 

落雷・火災により大納言、藤原清貫など道真の左遷に関わったとされる者たちが相次いで亡くなったのは道真の怨霊のしわざと考えられ、それを恐れた朝廷は火雷神が祀られていた京都北野寺の寺内社北野神社に道真を祀って鎮めようとしました。

太宰府では、醍醐天皇の勅命によって藤原仲平が建立した安楽寺の廟を安楽寺天満宮として改修して道真の祟りを鎮めようとしました。

正暦4年(994年)疫病が流行

道真の祟りとしてして疫病の流行を恐れた朝廷は、道真に正二位・左大臣を贈り怒りを鎮めようとしました。

醍醐天皇の皇子保明親王が21歳で生涯を閉じる

後醍醐天皇の皇子・保明親王は即位することなく21歳でその生涯を閉じ、その息子もわずか5歳の生涯を閉じました。

その他、台風、水害、火事など厄災はとどまりませんでした。

そして、天皇への讒言の張本人とされる時平の長男、保忠の死で道真の怨霊説は決定的なものとなりました。

まとめ

人の讒言、恨みはいつの世も恐れるべきものですね。そして往々にして人はその讒言を信じてしまうことがあるというのも人間の悲しい性ですね。

学問の神様となった道真公は、そんな人々の悪い思いからも守ってくれるに違いありません。

お近くの天満宮詣でに出かけてみてはいかがでしょうか。

その際には御朱印帳もお忘れなく(^▽^)/

























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