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独身のわたしにできること。

ベビーラッシュ到来中。サークル仲間たちのお子が3人も同級生である。
どの子もぷっくぷくの薄毛のブサイクでめちゃくちゃ可愛い。(褒めてる)

私は24歳までには当然結婚しているものと思い込んで生きてきた為、25歳を迎えた瞬間、今まで感じたことのない「もう終わった、すべてどうでもいい…」という虚無感を味わった過去がある。

でも、「まあいいや、逆にどうでもいい」になるまでは早くて、そこからあっという間に30歳目前を迎えた。24歳の時にメンタルをやられまくった"年齢の壁"の追撃が痛くもかゆくもない。いや、カユイくらいには感じてる。

だから私は周りが結婚しようが出産しようが、心から「おめでとう!」と言えるのですが、物事に対してどういう感情を抱くかは、どういう環境でどういう人生を歩んできてどういう対処をして何を経験してきたかによって全然違う。出産に対する友人たちの反応を見ていると女の裏側には非常に複雑でセンシティブな問題が潜んでいることに気付いた。意外と多い不妊治療である。

たとえば、自分が不妊治療を受けるもなかなか授からず落ち込んでいる時に親友が妊娠したら、心からおめでとうと言えるだろうか?妊娠出産育児の悩みが聞けるだろうか?逆の立場だったら、どう伝える?

私だったら、「おめでとう!」っていう気持ちはあるんだけど、どこか気持ちが沈んでしまう心の狭い自分に嫌気がさして落ち込むと思う。「自分は自分、他人は他人!」と割り切って生きていけたらいいんだろうけど、理想は理想。現実はそうもいかない。

だからこそ、ここは、女の顔を持たず、遠く離れた土地で生活する私の出番なのである。妻・嫁・母…さまざまな役割を持った友人たちの深刻な話をただただ聞く。同じ立場だからこそできる話があるように、別の立場にいるから話せるし、聞ける相談もある。「妊娠は授かりものでお祝い事。でも単純に祝えないタイミングもあるよね!いいよいいよ、人間だもの!」と受け入れられる余裕があるのは、私が"子どもが欲しい"という土俵にいないから。

不妊治療は命がけ。もう本当に生理の比じゃないくらいツラそう…!話を聞くだけで苦しくなる。ああどうして女ばっかり。みんなどうか笑っててくれ。神様どうか身を削って戦う彼女たちの元に命を授けてください…。

…と、しっかり有名な神社や寺を調べ、戌の日にコソコソと妊婦に紛れて友人の安産祈願に行く、結婚の予定もない独身女であった。


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