街の外れの店はハズレではなかったの巻

その店は、街のはずれにある。
バス通りに面していて、人の通りもそこそこあるから、決して立地が悪いわけではなさそうだ。
だがその店には、赤提灯も看板もなく、窓ガラスに大書された店名は薄れかけていて、要するに「見つかってほしくない」と思っているようなのだ。そして店内は外からはまったくうかがい知れず、漏れてくる灯りも薄くて、まるで「中に入ってきて欲しくない」と主張しているようでもあるのである。

数日前に発見して気になっていたその店に、本日、息子を伴って二人で突入した。
引き戸を明ければ店内は案外に広い。客のひとりが驚いたようにこちらを振り返り、そしてなぜだかにこやかに「こんにちは」と挨拶してきた。
カウンターの中にいる大柄な男が店主のようである。
二人だけどいいですかと言い置いて、私は返事も待たず、息子と並んでカウンターに腰掛ける。清潔な店内だ。
えーとと私はカウンターの上に視線を走らせ、次いで壁をぐるっと見渡す。そんな私の姿に「ウチはメニューがないんだよ」と店主は答えるのであった。

えっ、メニューがないの。こりゃどうもまいったね。
えーと、とりあえずビールください。
「ビールなら、そこから出して」と店主は店の隅にある冷蔵庫を指さすのだった。えっ、そういうシステムなのか、この店は。
私は戸惑いながらも冷蔵庫を開け、そして、おっ、サッポロがあるじゃんとつぶやいて星のマークの瓶ビールを取り出した。外食ではサッポロビールが好きと示すと、だいたいこの客はわかってるじゃないかと見られる。姑息だ。
えーと、こっちはウーロン茶でと息子を指したら「それならそこから好きなの取ってきて。200円」と店主は段ボールに積まれたソフトドリンクの山を示すのだった。

手酌でサッポロビールをコップに注ぐ私を見ながら店主は「食べられないものある? ウチは魚しかないけど」と言う。
ない。何でも食う。
そう応えると店主はにやりと笑い、おもむろに包丁を取り出して調理を始めるのである。
そして出てきたのがなんと味噌汁。シジミとたらこの海鮮味噌汁だ。ちょっと待て、オレはビールを飲んでいるのだぞ。仕方なく私は味噌汁をつまみにビールを飲む羽目になったのだが、この味噌汁がうめえっ!
続けて、白子とあん肝のお通しが出てきた。白子はさっき取り出したばかりのピチピチだという。私は、新鮮な白子は白くなくて薄い紫色だと初めて知った。当然、これも美味いっ。
メニューがない店である。その後も店主が作りたいモノを作って出してくれるというスタイルで様々な海鮮が出てきた。
「イクラは今週が一番美味い。来週になると堅くなる」と言われて食べたイクラは確かにとろとろだった。ぷりぷりではない。とろとろだ。
私は驚いた。このクォリティ、ちょっとすげえな。

こうやって次から次へと出てくるものを食べるシステムなのかなと聞いたら、店主は「途中で十分になったら言ってくれ、止めるから」と答える。なるほど。行きつけの寿司屋のようなものだな。旬の海鮮が直で出てくる。
ビールが空になったのでチューハイをと言ったら、案の定「そこから取ってきて飲んで」という。わははは、こりゃ楽ちんなシステムだ。店主も一切接客しなくてすむ。
というか、一人で好き勝手に料理して出しているのだから、注文なんか聞く気がないのだろう。すみませーん、お代わりください、と言われても対応できないから、勝手に飲め、ということになる。

次第にわかってきたのは、この店主、本業が豊洲の仲買人で、朝買ってきた魚の中から適当なヤツを店で出しているということだ。つまり儲けなくていいから客に美味いものを食わせたいと考えて始めたのがこの店だったのである。
なるほど、それならいろいろ腑に落ちる。そんなに大勢の客には来てほしくないから目立たないようにしているし、注文に応える気がないからメニューもない。
なんと素晴らしい。斬新な店だ。

カウンターには他に3人の客。光が丘の大工と、光が丘のうどん店のオーナーと、「こんにちは」と挨拶してきたのは韓国人留学生のようであった。
この光が丘のうどん店のオーナーがトイレに立ち上がったと思ったら、帰ってくる途中で店のどこからからギターを引っ張り出し、そして突然「ファンキー・モンキー・ベイビー」を弾き語りで歌い始めたのである。
衝撃の光景だった。だが店では当たり前のことらしく、店主も客も何も言わない。私と息子は口を開けて呆然とするのみだった。うどん屋、ギターが上手い。

途中、店主が「ここまででこれだけ。もっと食べたければ言って」と伝票を走らせる。
6300円。このクオリティで2人だと思えば、驚くほどの安さだ。うーむと、唸る。
「いいウナギがあるけど3000円。食うか」と聞かれ、それは次にしようと考えて、断った。 実になんとも不思議な店で、これは再訪決定。誰かを連れていきたい。

「食べたいものがあれば、電話して。用意しておくから」と帰りがけに店主が言っていたので、どうやら私たちは合格だったようだ。問題はちょっと遠いことで、私の家からだと歩いて20分。駅からでも歩いて10分。
いやいや、それよりも問題は、電話番号がどこにも書いていないことである。いくら調べてもわからない。
「電話して」と言っておきながら。
これは直接聞くしかないだろうなあ。

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