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新文芸坐シネマテークvol.45 エルマンノ・オルミ監督『就職』(1961)

この映画には、奇跡のようにキラキラした瞬間がいくつも捉えられている。

一般的な映画のように「決め決めのカット」でもない(でも、そういう要素もある)。
かと言って、ヌーヴェルヴァーグなどのように、手持ちでドキュメント的というわけでもない(でも、そういう要素もある)。

その「あわい」にあるような。
意図なのか、ミスに近いのか、ピントが甘いところもたくさんある。
でも、なにか、それらすべてがグルーヴを作っている。

そうだ、「カメラと世界」「カメラと俳優たち」が釣り合っているんだ
(<主催・講義の>大寺眞輔さんの言葉を使えば「等身大の」「距離のない」「親密な」カメラ)。

それを証明するように、目線の演技がすさまじい。
これほど目線だけで多くを語る映画があるだろうか。
キリがないほど、たくさんの場面でそれは見られるのだけれど、
特に衝撃的なのは、
カフェにおける若い男女の視線の交錯。
なんてことはないカットバックなのに。
あんなに美しいシーンがあるだろうか。
(※【追記】:「なんてことはない」と書いたけれど、一般的なカットバックがカメラ目線による切り返しが多いのに対して、フレームの外への目線で切り返しているのは確かに独特。このシーンの本質が、そういう技巧的な部分にあるとは思えないけれど、そういう技巧もその魔術に影響しているとは思う。というか、そういう技巧と本質が別たれず釣り合っているのが、この映画のすばらしさだと思う。)

同じ高さの視線でないと、人間の眼は捉えられないということだろう。
それは、「人間のこころは捉えられない」と同義でもあり。

それは人間だけに向けられた眼差しではない。
冒頭のMedaという郊外都市の場景。
眩しいくらいに、そこにひとが息づいている。生きている。

(※【追記】:イルミ監督は、非職業俳優(素人)を多く出演させるそうだ。今作の主人公2人も、そうらしい。この映画の他の俳優もかな?詳しくはわからないけれど、そういう要素も影響していると思う。)

「作られたフレーム」では撮りえない。
「ドキュメント」を演出した視線でも撮りえない。
カメラはただただ目線を合わせるだけの。

会ったばかりで手をにぎって道を渡り、街を駆ける若い男女の息遣い。
思い出すだけでクラクラする。

と、こんな男女の出会いの物語で終わるのかと思うと、
途中から全然違う話になる。
意図的に切断(中断)された恋愛譚。

説明もなく挿入された(脱線にも似た)意味不明なシーンに戸惑う。
(字幕を追って見ているから、主人公以外の登場人物を把握しきっていない状態で別の話になるから、付いていけない部分もあるのだろう。)

のちのち、「あれはこういうことだったんだろうな」と想像すればなんとなくわかるけれど、はっきりとは明示されることはない。

会社というか、社会というか、そういうものの中にある暗闇。
まさにブラックホールのような。
それが、映画の物語のブラックホールにもなっているという、大胆すぎる構成。

物語は元の道に戻るものの、そこに再び恋愛物語としての「女の子」が戻ってくることはない。いや、一度再会するも、また会う約束をして、その場所に彼女は来ない。成就することはない恋愛物語。完全に逸れてしまった路線。
(「路線」と書いたのは、映画の中でも電車などが度々描かれるから。
 ※大寺さんの解説によると、この映画はオルミ監督の自伝的要素が多分にあり、監督のお父さんは鉄道関係の仕事だったようだ。)


「アヴァンギャルド」とか、そういう奇抜さでもないのだけれど、何かがフツウじゃない。撮り方から、物語構成まで。

大寺さんの説明で合点がいったけれど、オルミ監督は、独学なのだそうだ。
誰にも習っていないので、自分で見つけるしかない。
だから、誰とも似ていない文法・文体。
(自分もそうだから、とてもとても励まされる。)

不思議なことに、観終わった直後は、
ぽっかり空いた空洞に、「もの足りなさ」さえ感じていたのに
(あの若い男女の煌めきをもっと見たかった、、、と)、
時間が経てば経つほど、その空洞こそが、いかに映画を豊かにしているかに気づく。

人生とは、等身大の人生とは、これくらいうまく行かないことの連続だから。
恋愛は、うまく行きかけても、そうそうそううまく行くものじゃないし、
仕事や社会だって、絵に描いたようにうまくは行かない。

また、反対側から、「こんなに社会はヒドイ」というのも別の「物語化」であり、、、実像は、とってもとっても「空虚」なもので。

「等身大の視線」というのは、目の前の俳優(主人公の若いふたりや、登場人物それぞれ)に向けられたもの、引いては町(都市)に向けられたものというだけではなく、
人生や社会全体にも向けられているのだろう。

小さな物語を小さな視点から描くというだけでは終わらず、
大きな物語さえも小さな視点から見つめつづける凄み。

とんでもない映画を観てしまったんじゃないかと、後から更にジワジワと、ジワジワと。




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