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メーテルリンクの「青い鳥」はロールプレイングゲームだった。

ドラクエなどでおなじみですが、ロールプレイングゲームはチームで戦って長い旅をし、途中でアイテムなども獲得しながら、最後の目的を成就すればエンディング、という構造です。
日本の民話では、桃太郎がそうです。犬サル雉をチームに入れて、鬼ヶ島にむかい、鬼を退治するのがエンディングになります。きびだんごという重要なアイテムもありましたね。
「オズの魔法使い」もドロシーが案山子やライオン、ブリキのロボットを仲間にして、チームでオズの国に旅してそこの魔法使いと対決するという構造で、ロールプレイングゲームのポイントはおさえています。
メーテルリンクの「青い鳥」も「はじまり」ではチルチルとミチルという兄妹に妖精のベリリュンヌはこういいます。

「どうやらおまえたちに、ちゃんとした青い鳥を探しにいってもらわなきゃならないようだね。」

江國香織訳 講談社

目的の設定はわかりました。青い鳥です。しかしこのときにはまだ、きょうだい二人だけが旅人のようです。
チルチルはその鳥はどこにいるのか、と妖精にききます。妖精はじぶんも知らないと答えます。知らないのかよ。そして、原因不明の病気の娘がいて、幸せになりたがっている。彼女をなおすには青い鳥がどうしたって必要なのさ、と。
妖精は旅をするにあたって一つのアイテムをさずけます。ダイヤモンドがついた緑の帽子です。その帽子はものごとの本質がみえる力があります。
チルチルが帽子をかぶってダイヤモンドをまわすと、部屋中に変化がおきます。小人たちがとびだしてくるわ、パンやかまどの火や光や水や飼っている犬や猫たちがみんな擬人化して、ことばをしゃべりだしたのです。
ところがこの騒ぎをききつけたチルチルとミチルの両親がなにかあったのかと心配して部屋をノックします。チルチルはダイヤモンドのボタンをあわてて急いでもどしたために、擬人化したものごとの本質たちが元の世界に帰り切れなくなってしまいます。
一同が困惑しているとき、妖精はこう宣言します。

「もどりそびれてしまったものたちは、子供たちといっしょに青い鳥を探しにいきなさい。旅のおわるときが、ざんねんながらおまえたちの死ぬときだ。」

ここでチルチルとミチルは二人旅でなく、チームとしての旅の集団となりました。ロールプレイングゲームとしての青い鳥探索の構造が固まります。

子供たちはべつとして、ついていけといわれた擬人化したものたちは死刑宣告を受けたのです。おまいらは旅にいって目的を達成したら死ぬんだ、と。これは残酷ですよね。かれらは死にたくないですから、あがきます。旅が終われば死ぬってか。ならば、旅を終わらせないようにしよう。青い鳥がみつからなければじぶんたちは生き続けられる。
パートナーでありながら、かれらは旅の目的を阻害するものになる。青い鳥への旅は、チームのなかに暗雲をはらみながらはじまります。

ロールプレイングゲームのチームのなかに裏切り者がいる、というのはドラクエだと戦いのさなかに相手の術にかかって味方に切りつける、みたいなことでしょうか。
「宇宙家族ロビンソン」ではドクタースミスみたいなうさんくさい役回り。
しかし擬人化されたもののなかでも犬は人間に忠実でありたいという主張をし、猫は青い鳥を見つけなければ死ななくてすむと主張します。つまりここでも一枚岩ではなく、複雑な関係性をしめしています。
「青い鳥」は子供の文学ですが、そう単純な話でもないようです。

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