オープンレター資料として 5

オープンレター勢が最近いいだしているのは、「われわれは呉座氏の解雇を求めたことはない」というものです。呉座氏の日文研のテニュア解雇は、日文研の判断であり、オープンレターにはいっさいの責任はない、としています。

しかし、それは事実でしょうか。
オープンレターの文面にはこうあります。

私たちは、研究・教育・言論・メディアにかかわる者として、同じ営みにかかわるすべての人に向け、中傷や差別的言動を生み出す文化から距離を取ることを呼びかけます。

 「距離を取る」ということで実際に何ができるかは、人によって異なってよいと考えます。中傷や差別的言動を「遊び」としておこなうことに参加しない、というのはそのミニマムです。そうした発言を見かけたら「傍観者にならない」というのは少し積極的な選択になるでしょう。中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうるかもしれません。何らかの形で「距離を取る」ことを多くの人が表明し実践することで、公的空間において個人を中傷したり差別的言動をおこなったりすれば強い非難の対象となり社会的責任を問われるという、当たり前のことを思い出さなければなりません。

ここで注目してほしいのは、このフレーズです。

中傷や差別を楽しむ者と同じ場では仕事をしない、というさらに積極的な選択もありうるかもしれません。

日文研の幹部がこの発言を読んだとしたら、どうでしょう。呉座氏のような「女性差別をおこなう研究者」を「同じ場」で雇っているのを辞めたらどうよ、という解雇のすすめになってると私には感じられます。

日文研にたいする働きかけは、さらに2つの方向からあったと思われます。1つは、フェミニスト准教授の代理人から。
甲南大学の非常勤講師に送った内容証明から、日文研にも同様の行為をしたのではないかとの推測がされています。

もう1つは、組合の報告からわかったことですが、「殺す」という脅迫をふくんだメールが届けられたということです。これは差し出したのが誰かはわかりません。脅迫ですから犯人が律儀に正しい住所氏名を書いてあるとは考えられません。匿名ないしは仮名による脅しでしょう。
この殺意をあらわにした脅迫のメールは何がきっかけで送られたのか、と考える必要があります。

ネットでオープンレターを知った何者かが呉座氏を痛めつけるために送ったと考えるのが自然ではないでしょうか。

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