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60年前の絵本をさがす。

たまたま仕事のかかわりで坂本直行という画家のことを知り、かれの絵より生き方に興味をひかれた。坂本はもともと北海道の原野を開拓して牧場をいとなんでいた農民だった。絵については独学で、きびしい労働のあいまに目の前の日高の山や花をえがいた。いってみれば、たんなる牛飼いのおやじの趣味だった。
それが、晩年には離農して画家として人気を博した。東京や北海道での個展は絵が飛ぶように売れたという。
(坂本の名前を聞いてもピンとこない人でも、帯広の六花亭の包み紙に描かれた草花はご存じではないだろうか。あの絵を描いたのが坂本だった。六花亭のあるじが坂本と交流があり、絵を依頼したようだ。私は行ったことはないのだが、六花亭のなかに庭園があり、そこに坂本の美術館もできていると聞く。)

開拓農家は生活はラクではない。肉体も極限まで酷使するし、のんびりと絵筆を握る時間などないはずだ。それでも生活のあいまに数百点もの作品をのこしたというのは、描くことが生きることだったのだと思われる。ふつうは疲れていれば絵などかかずに寝るものね。

かれが1960年前後に2冊の絵本も出していたことを知り、読みたいと思ったのだ。ヤフオクなどで探すとあるのだが、2,3000円から古書店では1万円とつけているところもある。読みたいとはいってもそこまではな。それで地元の図書館で検索したところ、2冊とも蔵書に入っていた。さっそく予約をいれた。
手に入ったらつづきを書く。

さきに届いたのは「あひるのガーコ」だった。

「こどものとも」福音館発行。1996年3月。

作者の坂本ツルは、じつは坂本直行の奥さんだ。彼女はゆいいつ、絵本のかたちで開拓時代の思い出をえがいている。
坂本直行が1960年前後に出した絵本は福音館からだった。それは「みゆきちゃん」を主役にした絵本なのだが、坂本が1982年に亡くなり、14年後の1996年に奥さんがこの絵本をおなじく福音館から上梓された。この絵本でもみゆきちゃんとあひるのガーコの交流がかたられる。
みゆきちゃんとは、坂本家の末娘、坂本美雪のことだ。
ちなみに、直行の最初の絵本は「かいたくちのみゆきちゃん」、そして2冊目は「みゆきちゃん まちへいく」である。
「あひるのガーコ」の絵はほりえみちを、という方が描いている。この方についても情報は少ない。坂本直行の山仲間だった、ということだが、ググっても見つかるのはこの絵本だけだ。とすれば本職の画家でなく、素人なのだろうか。絵をみるかぎり、とても達者で素人がとつぜん描いた作品とは思えないのだが。

資料として、福音館で坂本直行の絵本をつくった編集者(かつ、ものがたりの作者でもあったのだが)だった水口氏の思い出を以下に引用させていただく。


図書館から連絡があり、とりにいった。60年前の絵本にしてはけっこうコンディションがいいな、と思ったら、復刻版だった。なんだ。それぞれ1989年と1996年に再刊されている。
「かいたくちのみゆきちゃん」が出たのが1959年。坂本直行の年譜によれば、美雪が生まれたのは1945年だから、彼女が14歳のときに絵本になっている。中学2年生くらいか。本人はどんな気持ちだっただろう。じぶんとじぶんの生活のことが絵にかかれて日本中の子供たちに読まれるのである。誰もが経験できることではない。

「みゆきちゃん まちへいく」

小学校に上がる前に札幌にランドセルを買いに行く話が、「みゆきちゃん まちへいく」。1945年生まれで6歳だと1950年代はじめの札幌の風景だろう。
大きなフレームで町をとらえて、小さい人々の動きを丁寧にえがいている。この感じ、みたことあるな、と考えたら、安野光雅の「旅の絵本」だ。あれも福音館だった。でも坂本のほうが10年ほど早い出版になる。

安野の旅の絵本は1977年に1冊目が出ていた。てことは10年じゃないね。20年近く坂本が早い。

24年1月追記。 「あひるのガーコ」の絵を描いたほりえみちを氏だが、この方かもしれないという人物が浮上した。それは1970~90年代に北海道大学でドイツ語の教師をされていた堀江道雄というかたである。彼は山登りを愛好し、絵も達者な人であった。坂本の山仲間であった可能性もあるだろう。こちらのブログで知ったのだが、それにしても堀江道雄氏の資料も少ない。あまりでてこないのである。1990年代に北海道大学助教授だった人だが、そういう方についてもあまり記録がないのはどういうことだろうか。
恩師から頂いた絵 (2) 堀江道雄先生|Tokachi Hütte Project (十勝ヒュッテ) by Elmtree (mytokachi.jp)

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