笙野頼子を読んでみることにした。

講談社の「群像」新人賞で文壇に登場し、その後、芥川賞をはじめ純文学の三冠王の受賞者となった作家だという。
ところが最新作のコメントによれば、講談社から本の出版を拒絶され、いまや作家生命もがけっぷちにあるそうなのだ。
いったい何があったのだろう。たしかにこの最新の本も、鳥影社というまったく聞いたこともない出版社からでている。

読んでみるかとなったが、とりあえずアマゾンの読者レビューをざっとみた。すると、反戦とか反自民とか反原発とかをふだんいっておられるらしいことがわかった。となると基本左巻きの本は買わないので、地元の図書館をあたった。現在貸し出し中だったが、次に借りられるとのことなので予約した。まだ手元にはない。
どんなことを書かれている作家なのか、タイトルはかなりおもしろいので期待はしている。

たとえば河出書房の本だけみても、このタイトルだ。

ウラミズモ奴隷選挙  なにそれ。
ひょうすべの国    なにそれ。
猫キャンパス荒神   なにそれ。
人の道御三神といろはにブロガーズ  なにそれ。
猫トイレット荒神   なにそれ。

全部なにそれじゃん。まったく見当がつかない。何を書いてるんだこの人は。


講談社が「そういう主張をされる本はうちは出さない」といったらしいのだが、いやいや。麻原彰晃の娘の本や、いんちき盲目作曲家の自伝をへーきで出す出版社がよくいうよ。そこは笙野頼子の肩をもちたい。

ちなみに講談社が否定したという「そういう主張」だが、どうやらトランス女性にかんすることらしい。笙野さんはおちんちんを持っていても「私は女性」と自認すれば女性である、というトランス側の主張にノーといっておられる。それにたいして、トランス側から集中砲火のような批判をうけており、講談社もトランス側に立つ、ということのようだ。まちがっていればごめんだが、いまのところの理解はそうなる。(河出書房の「文藝」も水上文?とかいうトランス側の評論家の笙野批判を掲載したので、河出、講談社といった笙野頼子の本を出していた主要な出版元はのきなみ敵陣となっている。たしかに孤立無援だ。)

本が手に入り次第、続きを書いていくことにする。

本が来た。
前書きから掴みはオッケー状態だ。
講談社が出版を断った理由も、トランス女性の件でまちがいない。

・・・「このようなご主張のある」作品を含んだ刊行はしない、とメールで通告された。
 出版部長、群像編集長、単行本チーフの合議の上である。その後一応、・・・。
「それでは主張なしの企画や今後の無難な作品についてはいかがでしょうか」と確認的に尋ねたところ、もう返事は来なかった。・・・

なんとまあ、過去に純文学の三冠王になった作家にたいして、メールの返事をよこさないのだ、講談社は。腐っても鯛みたいな作家でしょう。芥川賞、三島由紀夫賞、野間文芸賞(! これ講談社の文学系では最高峰の栄誉だよな)ですよ。くださいといってももらえないのを総なめにしている作家にたいして、失礼極まりないですよね。断るなら断るで礼をつくすこともできたはずだ。

で、読み始めたが、はっきりいうが、悪文ですね。
私にとってはこれは文学の文体ではない。たとえば文体をもつ作家というと、開高健や小川国夫が好きなのだが、それはとりもなおさず一行一行を読むことに喜びがあるという意味でもある。なんなら、文体こそ文学のすべてかもしれない。
そういう意味では、私にとっては笙野頼子は文学ではない。この方の文章は読むのが苦役だ。これがまず最初によぎった思いだった。
てことは図書館で借りて正解だった。金を払って読むほどの文体ではないからだ。あくまで私にとってだから、もちろんファンの方は好きでかまわない。

「返信を、待っていた」
川上亜紀という詩人で作家の方が闘病のすえに亡くなられた。知らない方だったが、ググったら50歳くらいで亡くなっておられた。彼女との生前のつきあいなどを書いているうちに、話が東京にある政治料亭?のことになる。
そこを拠点にした女性差別反対の団体が、じつは差別をたれながしているのだという。名前が書いていないので気になって調べたら、新宿ルミネにある「ベルク」という小さいカフェのことらしい。カフェか。料亭じゃないな。
たしかに店長の先祖をたどると戦前戦後の政治家で大臣をつとめた戦犯だった人だ。
この店をめぐってツイッターを舞台にフェミ同士のバトルがあったらしいが、めんどくさいのでそれは掘らない。ただ、その一派が「アホフェミ」という言葉でののしったのを笙野氏は許せなかったようだ。もとはといえば「イカフェミ(いかさまフェミ)」という言葉を生んだのは笙野氏で、この件ではそれを下敷きにしてアホフェミが生まれたらしいからだ。

「引きこもりてコロナ書く」
最初これは何を書いているのか? とかんがえた。

・・・その一方でセーフは、というより阿鼻は、阿鼻は、阿鼻は旅行キャンペーンまで始めているが、お盆の帰省もしない世間で、旅行になど行けるのか。
 まあ阿鼻のする事が目茶苦茶なのはもう判っている。その正体を示すためにこれを書いている。

セーフは政府。阿鼻は安倍か。O川A太郎と同じく、ぼかしているのだかなんなんだかよくわからないね。少なくともこれ安倍さんのことじゃありません、匿名ですから、とはいえない。
最近は共産党とも距離をとっているらしいが、この作品(群像2020年10月号)の時点では政治的な主張はまま共産党シンパですね。TPP反対、種苗法改悪反対、なぜならじぶんのつきあっている農民が反対しているから(「私と今共闘している農民が反対していて、それは全国組織の農民団体で農民連というところ。」)。その農民連(農民運動全国連合会)、ようは共産党系の農民団体である。
それと。ネットに自民党から金をもらって政府擁護のツイートをするバイトがある、みたいなデマが流れていたが、笙野氏はまんまそれを信じておられた。

ネットには内閣府八百円仕事と呼ばれる単価八百円で請け負われる匿名投降が氾濫する事になった。

これ何か根拠があるのですかね。中国にはたしかに五毛党というその手の賃仕事がある。日本では「あればやりたい」という声はあるが、じっさいには聞いたことがないw

 利権に塗れたこのぼったくりマスクはアベノマスクと呼ばれ、それは血税どぶ棄て、開けると異物、虫、髪の毛、カビ付き、恩賜ならぬ怨死之魔巣苦だった。

当時ツイッターなどで反アベノマスク派はよってたかってマスクの欠陥をあげつらっていたが、チラシの裏に書くのがふさわしい落書きみたいなものだった。それがまさか純文学三冠王の著書で出会えるとは。
昔、平野謙という文芸評論家がいて、「最近の若手作家の寝言のような小説は読めない」という発言が話題になった。時代はちがうが、また笙野氏は60代で若手とはいえないが、この本を読みながら思い出されるのはその言葉であった。
ついでに書くと、205pの「私の難病は悪化して肺は繊維化」というのは、「肺は線維化」の誤植でしょう。これは群像掲載の作品だから講談社の校閲の見落とし。

「難病貧乏裁判糾弾/プラチナを売る」
2021年春の作品だが、ここで笙野氏は共産党と訣別している。トランス女性が申告するだけで性別が女になれるという法律の制定をおもに野党(とくに福島瑞穂)が中心となってすすめており、共産党もそれに同調しているということで、笙野氏はあいいれなくなったわけだ。経緯はよくわかる。

「質屋七回ワクチン二回」

各種料金はスケジュールをこしらえて少しずつ遅らせてカードで回転させ、それで詰まってくると貴金属を売る。

私も過去にクレジットカードのキャッシュを期日のたびにやりくりしていた苦い時代があるので、この境遇はわかる。かなりやばい状況だ。しかも浪費でなく、税金や生活費で消えているのだから、もうムダを削りようがない。ただ笙野氏はじぶんのためにはあまり金は使わないが、愛猫の病気の治療や食べ物には惜しまない。これも猫好きには理解できる話である。
この作品が2021年12月号の群像掲載。講談社との最後の仕事ということになるのだろう。
ところで「春先は裁判の練習で忙しくなっていた」という記述があった。10年ほど前にある作家と名誉棄損で裁判うんぬん、というのがあったのは知っていたが、これはなんだ。まだ続いているのか。と思ったら、別件だった。

記事によれば、早稲田の渡部という文芸評論家で教授が教え子に愛人になれと強要した事件があって、その弟子たち(市川と北原)が学生に渡部批判をやめさせようとパワハラをした。その経緯を笙野氏がボランティアで書いたところ、弟子たちから訴えられたということらしい。
高裁ではほぼ笙野氏が勝訴という結果だが、それでも22万円の支払いが生じたという。これは少額かもしれないが、いまの笙野氏にはそれなりに大きな金ではないだろうか。裁判は最高裁にもちこまれたとのことで、クラウドファンディングでもやったらどうかと思う。私もいくらかなら支援します。
と書いたら、最後におかれた新作「ハイパーカレンダー1984」で裁判についても書ける範囲で詳しく書いておられた。ようは一審、二審ともに笙野氏の勝ち。最高裁までいくのは原告側のめんつでしょうが、まず負けないだろう。


「ベルク」をめぐるフェミ同士のいさかいについては、この方のノートに詳しい。また私の雑駁な感想文にくらべて百倍は知的な解析をされているので、ほんとうはこれだけ読めばすむ話でもある。

さらに。「文藝」での水上文による笙野批判だが、栗原裕一郎氏のツイートで裏側の事情もよくわかった。これはトランス側のまとめだが、事情を知るのにちょうどいい。それにしても笙野氏の反論の掲載を編集長が拒否したというのはおどろきだ。それでは一方的なタコ殴りではないか。議論ではなく、制裁である。



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