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クリスマスだからクリスマスの思い出を書いてみる

今年のクリスマスが終わってしまった。
クリスマスだからといって特に何かするワケではない。
子供がいるわけでもないので、妻と二人で、ただただ過ごす。
まぁ、自分だけが思っているのかもしれないが、そんな妻とは今でも恋人気分でいられているのかもしれない。

昨日までは、世の中クリスマス。どこもかしこもクリスマス。
ここ東北、岩手盛岡では、24日のイブの夕方から雪が降り、ホワイト・クリスマスになった。
今年、ニューヨーク・タイムズの特集で、「2023年に行くべき世界の52都市」の第2位に盛岡が選ばれたこともあり、クリスマス・イブは、盛岡が全体的にはしゃいでいる、浮足立っているような感じになっていたと思う。
まぁね、こうして明るく2023年を送るのも悪くない。

50年近く生きていると、クリスマスにもいろんな思い出がある。
今回は、そんな思い出をいくつか書いてみようと思う。

35年くらい前の中学1年のとき、クラスでクリスマス会をやろうということになった。
田舎の中学なので、同級生は50人くらいいて、40人学級制度だったので、1クラス25人前後である。

授業を受けるだけの場所であるはずの学校の中で、みんなで飲み食いしながら、いろんなことを語り合いたいと、言い出しっぺの女子は思ったのだろう。
だいたいは、女子のほうが人数が多いので、多勢に無勢でクリスマス会をやる方向に向かうと思われた。

そんな中、一人の男子、背が高く発言力のあるやつが、このクリスマス会の開催に異を唱えた。
「俺、仏教だから、クリスマス会なんてやらねぇよ」
クラスのみんなが、そいつを除いてポカンとなった。担任の先生も口をあんぐりしていたのを忘れられない。

結局、こいつのこの一言で、クリスマス会はやらないことになった。
この男子は、クリスマスが嫌いだったのか、それとも、ただめんどくさかっただけだったのか、いまだに理由はわからない。
ただ、クリスマスになり、道を歩いている中学生を見ると、このことを思い出す。

余談だが、このあと、「じゃぁ、新年会なら仏教もなにも関係ないからいいか?」と担任が言ったので、クリスマス会は無くなったが、形を変え、翌年にクラスで新年会ができたことを加筆しておく。

もう一つの思い出は、25年位前になるだろうか。不思議な思い出である。
当時、まだ学生であった。
正直に言えば、就職するのがめんどくさかったので、進学しただけのなんちゃってマスター(大学院生)である。
学生時代は彼女はおらず、女性と付き合ったことも無かった。
かわいいコや好きなコはいっぱいいたが、付き合うまでには至らなかった。
おれは忍ぶ恋なんだとか言って、ただ単にフラれるのが怖いだけで、告白すらできなかった。(いま思えば、いまの自分からは考えられない…)

そんなわけで、この年のクリスマスには、同じような男子数人で、クリパでもしようということになった。(単にキズを舐め合うだけの悲しいもの)
ひとしきり飲んだあと、夜中の12時も過ぎた頃、そろそろ帰ろうかとなった。

あ~あ、今年も一人だったな。
女性と過ごせなかった悲しさをガマンし、一人暮らすアパートへ、暗い夜道を男が一人、歩いていた。

外は少し寒かったが、雪は降ってなかった。
いつの間にか、濃い霧があたりを覆っていた。
すると、前から何かがヒタヒタとやってくるのが見えた。
「あれは何だ? 犬か?」
さらに近づいてくると、やっぱり犬だった。
芝系の雑種だろう。

近づいてきて、わたしの横をそのまま通り過ぎるかと思ったら、その犬は、わたしの横で立ち止まり、わたしの顔をジッと見て、またすぐ前を向き歩いて行ってしまった。
わたしの横に一瞬立ち止まったときに、よく見ると、数年前に死んだ、実家で飼っていた犬によく似ているなと思った。
「〇〇(実家で飼っていた犬の名)じゃないか? なんだぁ、おまえも一人なのかぁ」
と話しかけ、自分もそのまま前を向いて歩いていった。

ほんの数歩歩いたところで、やっぱり気になったので、後ろを振り返った。
でも振り返った先には、誰も、何もいなかった。
「あれ、さっきの犬はどこいった?」
ほんの一瞬目を逸らしただけなのに、すぐいなくなるか?
霧の奥に行ってしまったのかなと思った。
酔っ払ってんのかな~。犬も幻だったのかもしれないな~。
そんなことを思いながら、自宅アパートへと帰っていった。

そしていま。
クリスマスの時期になると、毎年、実家の犬を、この出来事を思い出す。
いまでも、たまに夢に出てくることがある。

めざましテレビのきょうのわんこを観ても、芝系の犬が出てくると、たまに泣いてしまうこともある。

窓の外の降り積もる雪を見ながら、そんなクリスマスの思い出を、noteに書いてみたくなった。

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