泣きながらご飯は食べない。
今年の始めに『カルテット』というドラマが放送されていて、わたしはそれを熱心に観ていた。
とにかく会話劇が素晴らしく、自然で、爽快。作中のメインキャラたちは熱くも冷たくもないぬるま湯につかりつづけているような、そんなドラマだったと思う。
その作中で印象に残っている台詞がある。
泣きながらご飯を食べたことがある人は、生きていけます。
確か、もう少しで命がつきそうな、会いたがっている家族がいるけど、自身はその家族のせいでひどい仕打ちを受けて嫌っている。会いたくない。けど、会わなきゃダメかな? と、感情を吐き出したキャラに、会わなくていいと言って、その後寄り添うようにかけられた言葉だった。細かい記憶違いはあるかもしれないが、だいたいそんな感じだ。
わたしは、その姿がとても輝いて見えた。
我が家ではご飯は家族全員同じ机に座って食べるものだ。その場で素直な感情を吐き出すなんて、わたしにはできないことだった。
泣いているのはいつだって部屋にひとりでいるとき。泣いているうちは家族と顔を合わせられず、ご飯を食べることどころか、水をのむことさえできない。
生きようという意思のが負けてしまう。
そういうときはいつだってベッドに寝転がって、このままなにも考えられなくなるのではないかと思いながら、壁をながめるだけだ。
たとえこのまま眠りについて、目覚めることがなくてもいいと思っている。
わたしはあのキャラがうらやましかった。家を出るだけの行動力と体力があり、また家族に捕まりそうになっても、逃げ切ることができた。その行動を、認めてくれる人に出会えた。
それだけの環境が整って、ようやく泣きながらご飯が食べることができるのだ。
今日もまた泣きながらご飯をたべることはできなかった。
わたしが泣きながらできるのは、こうして言葉を書き出すことだけのようだ。
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