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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(52)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第8章 自己への思いやりの目覚め:自分を支え、支えられる人になる
【マインドフルな祈り:「この苦しみが思いやりを呼び起こしますように」

私たち人間は信仰に関係なく、切羽詰まると何かに助けをもとめようとする傾向があります。まるで「宇宙」に助けを求める囁きを口にするように…。孤独に怯えるときは、自分より偉大でパワフルな何かに属することで安心感と心の平穏を見出したいと切望するのです。

博士は、祈りを「神様」ではなく、「担当者各位」へ宛てると表現されるユニテリアン(三位一体を信じないキリスト教徒)として育ちます。
祈りは二元性を示しているかのように見えて、「自分と他人」という隔たれた感覚を超える経験への道にもなり得るのです。

祈りと献身は仏教の中で生き続ける伝統…慈愛と思いやりの練習中に表現されるひたむきな願いも祈りの一環。献身的な祈りをマインドフルに誠実な気持ちで行うことで、祈りは己の心と魂を目覚めさせる一筋の道となり得るのです。

苦しみの渦中で祈りに頼るとき、あなたも体験あるかもしれませんが、表面上の理由はなんであれ、基本的な原因は、ひとりぼっちで孤独感を感じているという事実です。ケルト詩人で学者のジョン・オドノヒュウはそのことを自身の著書「永遠のこだま」に記しており、博士はそれを「マインドフルな祈り」と呼び、単に外界に救いを求めるだけでなく、祈りの原因となった自分の苦しみにもしっかりと耳を傾けることが重要であると説きます。

博士も自身の体験を通して(遠恋愛恋愛)、優しく思いやりに満ちた存在の目覚めへと導かれたのです。

博士の瞑想の部屋には、癒やしと慈悲の化身である観音菩薩を描いた、タンカと呼ばれるチベットの掛け軸がかかっています。博士は挫折感に苦しんでいるとき、観音菩薩に優しく包まれたいと思うのです。
時には行き詰まり、祈り、泣き、自分の苦しみを憎むというバターンは癒やしとは繋がることがなくとも、その心の拠り所があることで、痛みという空っぽの穴から抜け出すきっかけになるのです。

「どうぞこの痛みが思いやりを呼び起こしますように。」と菩薩の志を思い出し、自分の中で静かに唱えることを繰り返すうちに、自分の内なる声がより正直に、次第に落ち着きはじめるのです。

14世紀のペルシャ詩人ハーフェズが神を必要としたように、博士も愛そのものとの交わりを切望し、それに身を任せるにつれて優しい思いやりの感覚が生れてくるのでした。

観音菩薩に身を任せると、自分の体が光で満たされて、呼吸、鳥の囀り、涙の湿り気、そして限りない空。この生きとし生ける存在のすべてを包みこむ愛の波長とともに振動に出会い、博士は、自身が探し求めていた思いやりに満ちた「愛する人」が目覚めた自分と重なるのでした。

マインドフルネスの祈りは劇的に私たちの日常を変化させます。
心が自分の苦しみをマインドフルに感じ、思いやりを呼び起こすことで自然にリラックスし、開いてゆくのです。私たちの苦しみは内なる自由への道のりとなっていき、練習を重ねていくことでパワフルでエネルギーに満ちたものとなり、思いやりは自身が優しいいたわりを持ちたいと願っていることをそして、その望みを完全に認めることで自然に目覚めるのです。

ハーフェズはいいます。
「友人に会いを求めよ そしてもう一度
 すべての心は 一番に 祈るものを授かると 私は習ったから」
ルーミーもまた、
傷を負い包帯を巻いた場所に視線を向け続けることでそこから光が入るのだといいいます。

偉大な光と結ばれ、身をゆだねたいという強い思いを認めながら息を吐き、まばゆい愛へ身を委ねるのです。呼吸とともに自分の痛みを支え、その痛みを無限なる慈悲の心で支えてもらうのです。


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