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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(56)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第9章 思いやりの輪を広げる:菩薩の道
【架空の「他人」というトランス

自己中心的なメロドラマに浸りきっていると、他の人が自分とは違う架空の「他人」となってしまい、おきる事は自分が特別に経験していることの背景、その中のある人は敵、ある人は味方、そしてそれ以外の人は自分には無関係な助演者となるのです。

極端であろうがなかろうが、他人を型にはめてしまえばその人の人間性は見えなくなり、私たちの心は閉ざされてしまうのです。これは、私たちの中に他者を分類する複雑で独自のシステムを持っているから。

「川の石ころ(Stone from the River)」というナチスドイツの時代を背景にした本の中で、著者ウルスラ・ヘギは「他人」の苦しみをハッとさせるような表現で描写しています。この物語を読んだ博士は、自身もまた毎日一体どれだけの人たちを無意識に「他人」と振り分け、無視しているのだろうと疑問に思いはじめます。

他人の苦しみと現実に背を向ける傾向は悲劇的な結果をもたらすこともあります。ナチスドイツによるユダヤ人の窮状、エイズで亡くなっていく人、中東・アフガニスタンに住む人たちの恐怖、戦争に破壊され絶望的な貧困に苦しんでいるひとたち…そうした人たちの現実に、目を背けていることはないでしょうか。

博士は、1991年の夏に国を縦断するフライトの中で隣に座った女性の放った「うちの兵士」という言葉に沈みます。他人が非現実的な存在になることで私たちは痛みを感じることができなくなります。

戦争と暴力によって生み出される計り知れない苦しみは、他人も基本的には自分と同じ人間だという現実から目を放すことから始まるのです。

関心や嫌悪感、興味や無関心という反応は、私たちの生き残りに必要な生物学的に必要なプログラミングの一つ。ただこの生物学的な見解だけに囚われていると、他人の行動や感覚は敵か味方かを見分けるサインとしてしか捉えられなくなります。

私たちにはこの鎧をリラックスや仲間意識を広げる能力も備わっていて、これが菩薩の道の核心にあるラディカル・アクセプタンス。

私たちは、人間としてのもろさを分かち合い、生きとし生けるものとの繋がりに気づくことができるのです。






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