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ラディカル・アクセプタンス(ネガティブ感情から抜け出す「受け入れる技術」で人生が変わる(78)

こちらの本を、読書会で読んでおります。
Clubhouseで17時30分から15分間。

第12章 真の姿の悟り
【自らの仏性を疑う】

博士は生徒として参加していた1週間の瞑想リトリートの中盤、講師にシンプルかつ深刻な質問を受けます。「あなたは自分が本当にブッダだと信じていますか?」。私の内なる答えは「もちろん……時々」でした。

博士は心と精神が目覚め解放される感覚を幾度となく体験していまし、そんなときは自分の本質は純粋な気づきの意識であるという確信が全身を通して湧き上がってくるのですが、その反面、一日の大半を不十分で小さい存在なのだから完全になるためには違う人間にならなければと信じていたのです。

小さな存在…博士は日常生活において親しい(親子関係)の中にあると、たとえ瞑想中であっても、現実を感じてしまうのでした。

ゴーダマ・ブッダは目覚めの頂点で疑惑の巨大なエネルギーと直面します。彼は貪欲と憎悪、欺きの神であるマーラからのあらゆる挑戦にマインドフルネスと思いやりで応えながら菩提樹の下で一晩を過ごします。

マーラはシッダールタに「お前は何様のつもりだ?」と、どうせ進歩できるわけがないのだから、今のうちに自分自身に背を向け、精神鍛錬の道を諦めよと私達を説得する声を投げかけます。

すると、ゴーダマは、この挑戦に対する答えとして地面に指先で触れ、彼が幾度も生まれ代わり、その人生を思いやりで生きてきたことへの証人として、地球自体を呼び起こします…

マーラの最後の挑戦にブッダが地面を触れて応えたように、自分が疑いの声に悩まされているときはすぐさま、その瞬間に、意識を戻すことが、地面に触れるのと同行動であり、地球と、身体に宿る生命と、呼吸と、まるで天候のように自分の内面で刻々と移り変わる感情や感覚、そして思考と直接繋がり、私たちの生命の源でせある気づきの意識を直接見つめることで地面に触れるのです。私たちは自分の目の前で起きていることと繋がることで、自分の真の広大さを知るのです。



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