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『チャイの旅』ができるまで

第二章:カンテでの楽しかった日々
その14:カンテ資料館 <音楽雑誌(?)『オレモリ』>

平成10年(1998年)、僕が純一君との3回目のユニット展:Junichi 「I Like Drawing Act.3」 をやることは決めていたんだけど、何をテーマにするかは決めてなかった。

その頃彼はたくさんPEZの絵を描いていたので、それならもっと描いてもらって僕の持ってるPEZと合わせて『PEZ展』をすることを思いつきました。

ギャラリーに、彼の描いたPEZと本物のPEZをいっぱい並べるという妄想の実現のため、僕のPEZ友達:山田さんに200本借りて、僕のと合わせて400本、専用の棚を作ったり、箱にレイアウトしたり。
山田さんは、展覧会に合わせてアメリカのPEZ博物館に行って看板をもらって来たり、僕はポストカードを大量にプリントして壁に貼り出したり、Tシャツに彼の絵をアイロンプリントしたものを飾ったり、Junichi君の描いたPEZを拡大して段ボールに貼付けて立たせたり。

 そんな楽しい『PEZ展』を考えている時、松田くんから電話が来たんです。

 「今度、タイスケで『オレモリ』っていう雑誌を作ろうと思っているんですが、カンテさんに1ページ差し上げようと思いまして。内容は何でもかまいません。ご自由にお使いください。」
 「じゃあ、今僕がハマってる男の子の事を書くね。」
と原稿を送ったら、すんなりO.K.が出て、「オレモリ」第1号は、僕にとって記念すべき雑誌となったのです。

 さらに、純一君のおかあさんと悪のりして、『オレモリPEZ展』なんていうタイトルを作ったり、純一君に題字を描かせたり。DMをもらった人達は、タイトルを見て「???」だったはずです。あ〜、楽しかったなぁ。

 さらにさらに、『オレモリ』の2号目には、なんと『Junichi君、ではなくておかあさんのインタビュー』まで載りました。3ページにも渡って。あ〜、面白かったなぁ。

神原、この時、44歳。
何をやっても(身内に)受けてた、そんな黄金時代でした。

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