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喫茶店てどんなところなんだろう?


猫のいる喫茶店

僕がカンテに入って最初に思ったことは、「他の店の真似をしてない」ということでした。本当はどこかのお店を真似していたのかもしれないけれど、「僕がカンテと出会う前に知っていたどんな喫茶店とも違っていた」ということです。

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僕が大学に入学するために大阪にやって来たのは1973年。「正門前に新しく喫茶店ができて、何かもらえるらしいから行こうぜ。」と先輩に誘われ、「ボニータス」という名の店に入ったのが僕の喫茶人生の始まりでした。そこでコーヒーを注文すると、カウンターの奥の店員が手鍋にコーヒーを入れて温め、それをカップに注いで出してくれた。僕はそれが正式な「珈琲のいれかた」だとずっと思っていたような、ウブな人間でした。(ちなみに、そこでもらったのは丸いクリスタルの灰皿で、卒業まで大事に使いました。)

サークルの同級生に誘われて、当時流行っていたロック喫茶にも行きました。そこは真っ暗な個室で、珈琲を飲むというよりは、ガンガンに鳴り響く音楽を聴くための部屋でした。ジャズ喫茶も、音はガンガン、客はひとりで珈琲を飲みながら椅子に座ってジャズを聴くだけ。どちらも僕の好みではなかった。

サラリーマンになると、毎朝、自動販売機の前で珈琲を飲みながら雑談し、お昼はカランコロンと音のする喫茶店で「レーコ(アイスコーヒーのこと)頂戴!」と注文するのが日課でした。

会社を辞めようと思った頃から街を出歩き始め、梅田、心斎橋、堂島、難波、日本橋、天王寺、西宮、芦屋・・・。ひとりで色んな喫茶店に入りました。アンティークな店、ガチで古い店、ライブステージのある店、紅茶専門店、クラシック音楽専門店、厚切りトーストを出す店、そして、最後に辿り着いたのが「カンテ・グランデ」でした。ここには、今まで行った喫茶店にない空気感がありました。それは、言葉にしにくいですが「アウトロー感」でした。お客さんに迎合しない存在感。「誰がやってるんだろう?」と思わせる空気感。こんなところで働いている人ってどんな人なんだろう?それがアルバイトを始めたきっかけでした。

働き出して、他の店と違うところがいくつもあるのに気がつきました。まず服装はどんなものでも可でした。ジーパンにTシャツ、汚い靴で、厨房とホールの仕事をするからお客さんもびっくり。あと、接客。お客さんが来ない時は椅子に座ってタバコを吹かし、お客さんが来てもいらっしゃいませも言わず、グラスに水を入れて持って行き、注文を聞いても繰り返さず、紅茶を出しても何の説明も無し。閉店寸前にお客さんが入って来たら、聞こえよがしに「今頃くんなよ。」的な上から発言。

メニューにはよく分からない詩集のようなページがあったり、食欲をそそらないケーキメニュー、お客さんはほったらかしで、灰皿には山のような吸い殻が、庭にはのら猫が勝手に入って来てくつろぎ、厨房のカウンターでは、湯煎に浸けておいたダージリンの入ったポットを出すのを忘れ「ダージリンが死んでる!」と大声を出し、お客さんは待たされっぱなし。

こんなひどい店に、だけど、こんなひどい店だからこそ却って面白がって来ていた人達もいたはずです。そういう時代ですね。僕は会社員経験があったから、そんな酷い接客は出来ず、そういう人達を横目で見ていましたが、「それもあり」と思っていた人間のひとりでした。

しかし、そんなカンテにも転機が訪れます。「これからは、もっと本格的なケーキを作って他の店に負けないようにする」と社長が決めたのです。唯我独尊のはずだったカンテが、他の店と張り合う店になろうとしたのです。世の中に馴染まない僕はショックでした。「アナーキーな魅力のカンテ」は「世間と競争しないから面白い」と思っていたのに。

ケーキチームは朝9時出勤で、スタッフはケーキだけ作って帰るのです。これもショックでした。分業は仲間を分断します。何でも同じようにやるから仲間なのに。その後、カンテは今までなかった「ケーキセット」をメニューに組み込みました。これはすごく嫌でした。安売りをしているようで。

「他店の真似をするカンテ」になった時、もう「僕のカンテ」は終わっていたのかもしれない。

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