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僕が「服屋の兄ちゃん」をしていた頃

もみあげがテクノカットです。

1987年、僕は33歳で、紅茶専門店「カンテ」の服屋「ヌーディスト・ピーチ(以下NP)」の中津店店長として(とはいってもここで働いていたのは僕ひとり)、茶葉の販売・卸を兼務していました。刺繍テープを貼付けたシャツに立体裁断のタックパンツ。ブカブカのシャツをパンツにインしてブラウジング。もみあげがテクノカット。話下手な僕が「接客における適当な話術」を習得したのはこの仕事場でした。(笑)

さて、この写真は、プロに撮ってもらったものです。その経緯は・・・ある日、NPにお客さんとしてやって来たのがサカガミさん。彼女はフリー・ライターのお仕事をされていた方なのですが、当時「QTai」という正社員情報誌の一コーナーを担当していたんですね。

サカガミさんは、カンテが大好きでNPの服も大好きで、そこで働いている僕にも興味を持ってくれて、「正社員から、正社員を目指す人への一言」的なページに、カンテと僕を登場させようと考えたんですね。
この時、僕はもうカンテの社員になってから7年も経っていて、適当に受け答えできる立場になっていたので、サカガミさんからインタビューの依頼を引き受けたというわけです。

インタビュー当日は、ライターのサカガミさんとプロの若いカメラマンの兄ちゃんの二人がやって来て、まずはカンテの中2階で、僕がカンテに入ったきっかけや僕の仕事の内容などを話し、その後、隣のNPへ行って、仕事をしているところをパチリということでテーブルの商品を触っているのが上の写真なのです。

よく見ないとわかりませんが、右手の指にタバコが挟まってます。この頃、ヘビースモーカーだった僕は一日40本は軽く吸っていたので、この時も吸いっぱなしでした。
この仕事場は、倉庫として使っていた一軒家を改造したので、換気扇がなく(その後小さな換気扇はつけたけど)、部屋中タバコの煙だらけでした。

この頃僕は自分ではチャイを作っておらず、隣のカンテに「チャイください。」と電話し、出来たら取りに行くというシステムでした。仕事として紅茶の卸業務はやってましたから、味見を兼ねてということも考慮してチャイを飲んでいました。

さて、ここのNP中津店は特殊な店で、何が特殊なのかというと、
1)近所の人はほとんど入ってこない。
2)カンテに来られたお客さんが帰りに立ち寄るぐらいなので、ほとんど接客しない。接客しても話し込むだけなので、全然売上に貢献しない。
3)他県のお店の人が時々(卸で)買いにくるので、その人達がメインでした。
4)紅茶の作業(お茶詰め等)をする時は、別の場所なので必ず閉めて出ていた。
5)2階の倉庫で仕事をしている時は、1階のお店は開店休業状態だった。
6)お客さんの気配がすると下に降りて行って、「気にいったのがあったら試着してくださいね。」とだけ言って、奥の机で仕事のふりをしていた。
7)何人かアルバイトを採用したことあるけど、ふたりになるとなぜか僕がしゃべり倒すので、全然仕事にならなかったのでひとりに戻った。

サカガミさんは今では「ピースリーピース」という会社を経営され、毎日放送のマスコットキャラクター「らいよんチャン」を作った人としても知られています。谷町九丁目にあった「加奈泥庵」に連れて行ってくれたのも彼女です。

なにかにつけ助言をしてくれる心強い人で、2年前(2020年)「今まで使っていたチャイ用の茶葉が入手できなくなった。」と愚痴をこぼした時、「こんな広い世の中だし、求めている茶葉は絶対見つかるはずですよ。」と励ましてくれたことがありました。その言葉を信じていたら、ホントにその茶葉が見つかり現在の「神原チャイ」になっています。持つべきものは友ですね。

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