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カンテ宛に届いた2000年のメールから

これを読めば、あなたも「そんな時代もあったっけ」と思うはず。

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「拝啓、こんばんはでございます。
初めてメールいたします。西宮の友人がHP「カンテ・マガジン」の<昔々カンテで・・>を紹介してくれました。懐しくて、涙が出る程の感激でした。1985年~1988年頃まで、中津のお店に通いつめてたのを思い出します。

1986年~1988年が一番通ったと思います。(忘れもしない大阪北予備へ通っていた浪人時代です。)通ったと言うより、半ば「住んでるのか?」状態に入り浸っては、話し倒してた気がします。後半の受験前は自習と言う名の元、抜け出しては朝&昼&晩の3食を中津のカンテで食べていたのを思い出します。

カンテがあの頃の私のダッコ枕的場所で、「毎日の始まりで終わり」でした。馬鹿みたいに、熱心に夢の事を話たり、生意気に哲学や世界や宗教や将来なんかを、喋り倒していました。当時の私の口癖は「カンテは東京やねん。ココ来たら頑張ろうって思うねん。」でした。(「頭が狂ったんちゃうか?」とよく言われてましたけど~。)

丁度その頃、トータスさんがバイトされていました。カッコ良くてカッコ良くて、スゴイ憧れでした。(通いつめてた理由の1つだった気がします)
厨房から聞こえるクシャミにも感動してた程でした。当時の予備校時代の友人はあのトータスさんとカンテのお兄さんが一緒だと、私が言う迄気付かなかったんですけど……全く何処をみてるんだか!?あの頃からバンドされてましたもんね。ホント、カッコ良かったです。チャノムノンスキーも忘れられない愛しいキャラです。あの頃しょっちゅう私は真似をして 落書きしてましたので。

カンテ・デ・チャノムノンスキー

私は88年に大学になんとか受かり上京し、今も東京で仕事をしています。仕事を始めて、帰省する機会がめっきり減り、全然お店に行けず、随分昔の、使えなかったままの割引券もなんとなく棄てられず・・・。当時の茶新聞も多分、開かずの段ボールに入って、押し入れに入ってると思います。今度帰省したら、絶対行きたいと思います。随分お店も変わったと友人が言ってました。楽しみです。

ズルズル長くなりました、申し訳アリマセン。あまりの嬉しさに、ついつい・・・。
10代の後半のブッチギリに夢を抱いてた頃1人で1日中本を読んだり、友達と果てしなく話をしたり、中津のカンテは私の「初めの一歩」の場所です。これからも、色々な人にとって、素晴らしい「何かの始まりの場所」であって欲しいです。

また、(今度は短い)メール致します。(神原注:長くてもかまいません。面白いから。)
是非HP続けて下さいね。もう、嬉しくて!!宝物を掘り当てた気分です。
では、失礼致します。(ATOM)  

追伸:カンテのブランド「NP」の服も結構持っています。「もしかしたら首が入らないのがあるかもしれません。作りがアバウトでどう考えても入らないっ!ってのもアリマスので、よく見て下さい。」と、よくお店の方に言われました。(神原注:それは僕です。)
(私の頭が見るからにデカイのかしら??並だと思うんですが・・ね・・)」

神原注:そうじゃなくて、本当に頭の小さな人でも入らない丸首のシャツがあって、全部をチェックするのがめんどくさかったので、声かけをしてたんですよ。すみません、気にしないでね。と言っても遅いか。)

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