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黒川の手帳

僕はどんな性格の人物なのか?想像している人は多いと思います。ネットに出ている僕の情報なんてあてにならないし、今の世の中「いいことしかしゃべらない」のが常なので、実態がつかめない。僕の「ひととなり」を昔、友達に語ってもらったことがあります。それがこれです。

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「カンテ・マガジン」編集後記(2009)「黒川の手帳」より

僕の学生時代のサークルの後輩に黒川という女子がいます。裏表がなくあっけらかんとした性格で、珍しく卒業後、今でもよく会ってるし、何でも気軽に話せる数少ない友人のひとりです。

ただ、よく覚えてないんだけど、僕は何回も彼女と絶交したらしいのです。僕は今までたくさんの人と絶交してきましたが、黒川とは絶交したつもりは全くなかったのですが、彼女にその絶交話をリクエストしてみました。そしたら「了解です!一杯あるよ!\(^o^)/」だって。え~?どんな話だろう?

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<絶交その1>

学生の頃は、神原さんと私が二人で待ち合わせる事なんて有得ない付き合いでしたが、何故か神原さんと梅田の紀伊国屋前で待ち合わせていた事があって、なんで待ち合わせていたのかどうしても思い出せなく、待ち合わせていた事自体不思議なのですが、私が少し遅れて焦って走って行ったのに、到着するや否や、公衆のど真ん中で、いきなり神原さんが宙に舞い、私は跳び蹴りをくらったのでした。

「自分なあ!今何時やと思ってるねん!!待ち合わせの時間に遅れるなんて非常識にも程がある!!!!自分とはもう話したくない!絶交やっ!!!!」神原さんは怒髪天を抜く勢いで本気で怒っていました。
神原さんが宙に舞う姿があまりにも強烈で、その後待ち合わせていた用事を済ませたのかどうかそこもあまり憶えていないのですが、とにかく神原さんは真面目な人なので、待ち合わせ時間に遅れるというような事は許せない行為だったのだと思います。

その頃の私は1時に待ち合わせていたとすると、1時に家を出るような人間で(自宅から梅田まで1時間以上かかるのに)神原さんとの待ち合わせに1時間半遅刻して行ったのでした。携帯も無い時代です。神原さんは1時間半どんな思いで、大勢の人が行き交う紀伊国屋前で、立っていたのでしょうか?几帳面だけではなく、何か事故でもあったのではと心配もしてくれてたと思います。

<絶交その2>

大学卒業後も、中谷君達とはしょっちゅう呑みに行っていて、ある時神原さんも、と気軽に飲み会に誘ったところ、すごく真剣に、「何か創造的な話ができるような集まりならいいが、単なる同窓会的な集まりなら行く必要がないし、またその様な同窓会的な付き合いはしたくない。そんな付き合いしかしない自分達とはもう絶交や!二度と誘わないでくれ!!カンテにも来るな!!!」

私は何も考えずに気軽に言っただけなのに・・・、神原さんは真面目に生きている人なんだなあ、と思いました。

<絶交その3>

私がバンドを作って初めて『ヤンタ鹿鳴館』というところでライブをすることになった時、資金集めに、しばらく音信不通だった神原さんにも買ってもらおうと、五百円のライブチケットを十枚郵送したところ、すごいご立腹の電話がかかって来て、「自分!これは一体どういうつもりなんや!!なんで僕が一度も聞いた事が無い、しかも全く興味のわかないバンドのライブチケットに五千円も払わないといけないのか!!!何考えてるねん!!!!いきなりチケット送って来ても行くつもりはないから送り返す!!!!!自分とはもう絶交や!!!!!!カンテにも二度と来るな!!!!!!!」

きちんと十枚のライブチケットは返送されて来ました。

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