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大西さん

2018年10月2日(火)「神原マガジン」より

先日、阪急関大前駅近くにカフェを開く事になった大西さんに電話をしようとして、携帯に登録してあった「大西」を選んだつもりで電話したら、違う「大西」さんの声がした。

「神原さん、どうしたん?」「あっ、え~っとね~、間違えました。すみません。」「あ、そうなん。元気にしてる?」「大西さんは最近どうしてるんですか?」「私ねえ、『すず屋』を一旦辞めたのよね、もう80歳超えたから。でもね、社長さんと奥さんがね、もう90歳超えてるから社長は引退してるんだけど、寂しいからね、話し相手がいないからってね、来てくれないかって言うんでね、土曜日だけ行く事にしたのね。」

『すず屋』とは、僕が学生時代にお世話になったアルバイト先の屋号で、大西さんはそこでお菓子の販売と「できたてピーナツの量り売り」をしていたおばさんで、明るくて楽しい人です。

僕はそこで、アルバイトとしてお菓子の袋詰めとシーリングを1年半もやっていました。『すず屋』は社長さんの持ちビルで、1階が店舗と作業場で、2階が倉庫、そして3階が住居になっていました。

家族経営なのでお昼には大西さんと社員の人と僕と高校中退の男の子と4人で、社長さんの食卓でお弁当を食べたり、畳敷きの部屋で昼寝したりと、家族同然の日々を送っていたので、大西さんのことは忘れ難く、カンテを辞めた後、最初に考えたのはもう一度『すず屋』で働けないかな、ということでした。60歳を越えた僕が考える事じゃないですけど。(笑)

そこで、北浜にある『すず屋』に大西さんを訪ねて行ったのが4年前。しかし、35年も前のバイト先に帰ろうとする僕もどうかしてるし、大西さんがいるだろうと考えるのもどうかしてる。でも、その時、大西さんはその場にはいなかったけど、「まだ働いていますよ。」と、お店で僕の相手してくれたのが、当時まだ幼稚園ぐらいだった『すず屋』の息子さんだった。

大西さんの電話番号を聞き、大西さんには今までの経緯を話して、社長さんにバイトの事を一度聞いてもらえないかお願いしたんですが、やっぱりダメでした。当たり前ですが。

「社長さんはもうね90歳を超えてるし、神原さんのことを覚えてなかったんよ。」そりゃそうだよね。その後、大西さんに直接会って話がしたかったけど、住んでるのが守口市なので「また電話します。」と言って電話を切ったのでした。

それから、3年、大西さんから電話が掛かって来て「バイトが辞めるっていうから神原さん、どうかなと思って」。電話してくれた時には、僕はもうマンションの管理員をやっていたので、「すみません。ありがたいんですけど、今の仕事続けてやれそうなので、今回はお断りさせてください。」「いいの、いいの。神原さんのこと心配してたけど、仕事があるんならそれでいいの。」

大西さんは、まるで親戚の子供に話しかけるように僕に接してくれる優しいおばさんです。今回の間違い電話も、大西さんの近況を知る事ができてよかった。

今週土曜日、「カンテ退社記念の食事会」を開いてくれる友人が3人。場所は北浜に決まったそうだ。『すず屋』からは5分ぐらいの場所だから、食事会の前にでも行ってみようかな。

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