<アッサムCTC紅茶のおはなし>
今回は「アッサム茶」のお話。
今から200年ほど前まで、お茶(主に緑茶)の製造と販売を中国が独占していた時代がありました。中国では紀元前から作り続けて来たお茶の製法を門外不出にしていましたから、中国以外の国々は、そこから買うしかなかったのです。(例外的に日本には茶葉を蒸して作る製法だけは伝わりましたが、鎖国を続けていたため貿易量は少なかったですし、ヨーロッパの人たちは中国緑茶や烏龍茶のような釜で炒る商品に魅力を感じていたようです。)
その頃、イギリスではお茶が国民的飲料として普及していたことと、インドのアッサム州を併合してイギリス領としたことで、茶の供給を中国への依存から、植民地における栽培へと転換を図るべく計画を練ることになります。アッサム州は、中国やミャンマーに近く、そこを探せば中国で栽培されている茶樹に近いものがあるのではないかと考えたからでした。
長年の探検の末、ついに1823年、アッサムの奥地で野生のチャ(の樹)を発見したのです。それがブルース兄弟(の兄)でした。ただ、その茶葉は、中国茶葉とは品種の違うもの(アッサム種)だったので、兄のロバートの死後、弟のチャールズが試行錯誤の末にその茶樹を育て上げ「アッサムティー」を生み出したのでした。その後は、中国種との交配によって少しずつ品質を上げ、尚かつ機械化を推し進め、大量生産が可能となり、それとともに、自分たちの好みが緑茶ではなく、もう少し発酵を進めた烏龍茶であることがわかり、研究の末、完全発酵の紅茶の生産へと移行したのでした。
僕がカンテに入った頃「茶の世界史」という本でその事を知り、当時アッサム紅茶を独自に輸入していた人から、アッサム茶の茶葉の原寸大のイラストを見せてもらったことがあります。ですが、そのイラストは15cmほどもある1枚の茶葉が描かれていて、同時に中国茶との比較をしていましたが、あまりにも簡単なイラストだったので「ふ~ん」ぐらいの感想しかありませんでした。その後、大阪駅前第一ビルの古本屋で見つけた西洋人が書いたお茶の本を買ったら、そこに上の写真が載っていたのです。
キャプションには、「アッサムのオーガニック茶園での茶摘み風景」とありました。
見てください、この茶葉の大きさを。20cmはありそうですよね。インド・ダージリン地方やスリランカの茶園(高地)では、中国種の茶樹が高さを揃え整然と植えられていて、1芯2葉(芯芽と一番上の葉と次の葉)摘みをするんですが、この写真では、茶摘みがしにくそうです。実際どうやるんだろう?
ちなみに、アッサム紅茶の効率的な生産方法として考え出されたCTC製法は、1930年代に考え出されました。アッサム茶が発見されてから100年後のことです。
それまで行われていた伝統的製法は、中国人の手によってなされていたことを機械に置き換えた製法で、「伝習を基礎として、とりわけ経験と技量、それに嗅覚などに負うところが多いこと」でした。それに対して、CTC製法は「大規模なプランテーション農法による、紅茶の大量生産を前提としていた」ので、機械の自動化を進め「時間、スペース、および労力の節約と、効率よく、スピーディーに、より濃厚な紅茶液を抽出」することに成功したのです。(「紅茶の世界」荒木安正 著より)
ただし、その生産過程で、あまりにも過酷に茶葉を加工するため、香りの成分が茶葉に閉じ込められず揮発してしまい、香りの希薄な茶葉が出来上がるという欠点がCTC製法にはあります。
僕がチャイに香りを求めるのは、カンテでの紅茶体験が元になっています。紅茶には微小ではありますが、独特の良い香りがあります。ダージリン紅茶の香りを筆頭に、セイロン紅茶(ウバ茶等の高地産)の香り、アッサム紅茶(伝統的製法)の香り、チャイに向いているセイロンの低地産紅茶の香りなど、精神をリラックスさせる効果が香りにはあります。「神原チャイ」がCTC製法だけの茶葉ではなく、オーソドックス製法のセイロン紅茶(低地産)とのブレンドなのはそのためです。
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