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九鬼さんと僕

「チャイの旅」に「九鬼さんと僕」という小話がありますが、今回はそれの元になった文章を載せてみます。(『カンテ・マガジン』<いつかどこかで 2009>より)


1978年、印刷会社に就職して3ヶ月が過ぎた頃、朝礼でひとりの男の人が紹介されました。名前は九鬼一容(くきいちよう)さん。変わった名前だなあと思いました。その人は某生保会社を定年退職してこの会社に再就職されたのでした。ということは、つまり、僕たちの同期になったのです。前の仕事の関係かどうかは分かりませんが、笑顔が優しい人当たりのよさそうな、小柄な人でした。「面白いなあ。」とその時思いました。60歳の人と同期だなんて、なんか楽しい。

しばらくして僕が挨拶に行くと、笑顔で話しかけてくれました。ただ「同期である」ことは、勝手に僕がそう思っているだけなので話題にはしませんでしたが、僕の事を「神原さん」と「さん」づけで呼んでくれたのには驚きました。そのときは冗談かな?とも思ったものです。同期とはいえ、つき合うには歳が離れすぎていたので、何を話すでもなく、それとなく距離を置く感じで時は流れて行きました。

九鬼さんは、研修期間を終えると、営業(マン)が取って来た印刷の仕事を下請けの業者に手配する仕事に配属されました。営業から、納期のない仕事や儲けの少ない仕事を持ち込まれても嫌な顔ひとつせず、かといって下請けの人たちにできるだけ無理強いさせないように、営業と(笑顔で)戦うこともしばしば。僕も得意先から無茶苦茶納期の短い印刷を任された時に九鬼さんと激しく言い合いをした事もありましたが、仕事の後は、「神原さんも大変ですねえ。」って笑顔でフォローしてくれたりもしました。
翌年、仕事に余裕が出てきた頃、会社の同僚達と始めた社内報的なミニコミ誌を100円で手売りしていた時、九鬼さんにも買ってもらったんですが、「こういうのを作るなんて神原さんはすごいですねえ。」って褒めてくれたこともありました。どうやったらあんないい人になれるんだろう?歳を重ねても、僕みたいなひねくれ者には絶対九鬼さんのような真似はできない。
それにしても、上品でしたたかで不思議な人でした。

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人間関係が嫌でその会社を辞めたあとも、九鬼さんからもらった名刺だけは捨てずに持っていました。カンテで社員になって数年が経った頃、カンテの「ニュースレター」を担当していた僕は、出来上がった印刷物を九鬼さんに見てもらいたくて、印刷会社に電話した事があります。
「今、カンテ・グランデという紅茶専門店で働いているんですが、九鬼さんにこの店を紹介したいし、僕が作ったちらしも見て欲しいんです。」
九鬼さんは「喜んで行かせてもらいます。」といつもの穏やかな調子で答え、後日、泉の広場のカンテに来てくれました。

九鬼さんと一緒に紅茶を飲みながら僕の近況を報告したり、カンテの話をしたり。帰り際、「いいお店が見つかってよかったですね。これからもがんばってくださいね。」と言われ、
「ぜひ、また来てください。お待ちしてます。」と言って別れたのでした。

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実は、それっきり九鬼さんとは会っていません。あの時、九鬼さんに来てもらえたことで満足した僕は、その後九鬼さんに連絡する事もなく、カンテの仕事に没頭したのでした。
それから十数年後、同僚の小林君はまだ会社に残って仕事を続けていたので、久しぶりに彼に電話した時に九鬼さんの消息を訊いた事があります。
「何年か前にここを退職されたので連絡先も分からない。」と言われました。
僕は自分の冷たさに落胆しました。あんなに僕を応援してくれていたのに、僕は九鬼さんのことを忘れていたなんて。それに、僕は九鬼さんのことを何も知らないことに気づきました。どこに住んでいてどんな人生を歩んで来たのか、そんなこと一度も訊いた事がなかった。

ま、人生なんてそんなもんかも。自分中心にしか世界は回っていないのです。

九鬼さん、ごめんなさい。その節はありがとうございました。


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