『劇場版シン・エヴァンゲリオン』を経て愛せた歌 ~「残酷な天使のテーゼ」へ想いをよせて  ※ネタバレ注意

劇場版「シン・エヴァ」を公開初日に鑑賞して思い、考えた気持ちがあり記事として残します。



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※内容の感想を含めての記事ですので、

※未鑑賞の方は読むことをお控えください。

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劇場版を見終わって、数日ずっと頭によぎっているのはTV版主題歌「残酷な天使のテーゼ」のことばかりです。

えっ!と思う方もいるかもしれませんが「残酷な天使のテーゼ」です。

新劇場版では流れず、別モノ扱いと捉えられても仕方がないアノ曲です。


なぜならば、劇場版シン・エヴァンゲリオンを通じて、失礼ながらあまり愛着のなかった歌であったこの曲が、愛着を持ち、触れ合えるようになったからです。

以下はその気持ちの変化を綴っていきます。

1.歌との出会い と 今さらながら気付いたあの日

エヴァンゲリオンTV版主題歌「残酷な天使のテーゼ」

放映当時1995年から人気が出て、アニソンカラオケランキングで今も上位となる誰もが知っているアニソンと言われるこの曲

学生だった私も放送当時からアニメを見て聞いて盛り上がり、だれかがカラオケで歌っても盛り上がる曲でした。

ですが、アニメ作品自体が謎が多く分かりづらいことから、

歌詞の意味もあまりピンと来ることはなく、

盛り上がる・楽しいけど、そこまでハマれない不思議な曲となりました。


時はそれから長く経過し、

2019年になにかのTVでのアニソン特集がきっかけで、ふとまた歌ってみようかなと歌詞を見つめてた日のことでした。

イントロからの歌詞

♪残酷な天使のテーゼ 少年よ神話になれ

これが複雑であり分かりづらいと思われるエヴァンゲリオンという作品を実は端的に表しているのではとの個人的解釈としての気付きを今さら得たのです。

私の解釈は以下です。

「天使」と例えられた人間ではない地球外からの来訪者が倫理を超えた途方もない「残酷なテーゼ」(残酷な課題または試練)を人類に突き付けて、それに人類が立ち向かい少年が神話になる話なのだ!と

これが頭に浮かんだ時に、作品のメインとなるストーリーであり骨格となることを歌で説明しているなら分かりやすくありがたいなと思い、

こんな意味が含まれていたのかもと、今さらながら歌の凄さを知りました。

(とはいえ、これでエヴァが単純明快に理解できるわけではなく、エヴァが持つ独特のワードや人間ドラマから生まれる複雑な部分は部分として目をむけないといけないのですが。)

2.スゴイけど、愛せなかった二つのこと

ただ、スゴいからと気づいたとはいえ、私はこの曲に愛着をもつことはできませんでした。

それには大きな2つの理由がありました。

1つは、♪少年よ神話になれ とあるけれど

話が途中で、主人公であるシンジ君が神話と言えるほどの奇跡を起こして見せきれていないこと。

そのことによりまだピンと来ずに腑に落ちない自分がいました。


2つ目は、この曲の作詞家である及川眠子さんが発言されていた

母から息子(もしくは年上の女から少年)に対する気持ちを書いた

というテーマに自分がピンと来ていなかったこと。

【参考ツイート】https://twitter.com/oikawaneko/status/865816518642155520?s=19

エヴァ初号機に取り込まれ消失したと思われるシンジ君のお母さんユイさん。

彼女自身のことや息子への思いを歌詞から連想するには、あまりにも作中での情報が少な過ぎたのです。

上記の2つから、まだよく歌詞のイメージがつかめない、アニメとリンクしづらい曲という気持ちがぬぐえませんでした。

3.劇場版を見ての心情の変化

そんな気持ちをもって、私は最後の劇場版の公開日2021年3月8日をむかえ鑑賞したのです。

「劇場版シン・エヴァンゲリオン」

そこには今までのTV版、旧劇場版、新劇場版、漫画版含めての要素が包括され、多くの謎への答えが提示されていました。

鑑賞によって作品にもっていた「もどかしさ」や「分かりづらさ」は解けていきました。


主人公シンジ君は確かな奇跡を起こし神話を視聴者に見せてくれました!

シーンは少ないものの母親であるユイさんのこと、息子を思う気持ちが受け取れました!

加えて、特に私にとって大きかった

保護者役であったミサトさんに息子がいることで、母性的な面が見られ、もう1つの母から息子へというエピソードが生まれました!

さらにこのことで、

主人公シンジ君とミサトさんの関係に新たなストーリーが生まれました!


そう、『劇場版シン・エヴァンゲリオン』によって

「残酷な天使のテーゼ」は意味ある歌として完成し、

私に降りそそいだのです。


以上が、劇場版を見終わり、TV版主題歌「残酷な天使のテーゼ」に愛着をもてた私の経緯のお話です。

4.愛し そして 歌詞を見つめ直そう

繰り返しますが、劇場版を見終わって、数日ずっと頭によぎっているのはTV版主題歌「残酷な天使のテーゼ」のことばかりです。

劇場版を経て思いに至った

いくつかの歌詞に触れての個人的解釈を紹介いたします。

歌詞順にならずに思いついたまま書くことをご了承ください。

(1)♪残酷な天使のテーゼ 少年よ神話になれ

地球外からの来訪者(?)が提示した使徒と戦い人類が滅びるか、それに打ち勝ち儀式によりさらなる進化を得るかの選択がテーゼ(課題または試練)であり、それに人類は立ち向かい、少年は奇跡を起こし神話となりました。

「少年よ神話になれ」は、新たに生み出した「人類の希望の槍」を託したミサトさんの強いメッセージにも受け取れます。


(2)♪もしもふたり会えたことに 意味があるなら

   ♪私はそう自由を知るためのバイブル

TV版放映終了当時から今までは、「ふたり」とはシンジ君とカヲル君とのことだと思っていました。

カヲル君と知り合って自由を得たんだと

劇場版を見終わると、「ふたり」とはシンジ君とミサトさんとのことであり

1話でのミサトさんが車でむかえに来たあの瞬間からのことであり、

そしてミサトさんが自由を知る指針(バイブル)になってのだなと。

(3)♪人は愛をつむぎながら歴史をつくる

   ♪女神なんてなれないまま私は生きる

人類もそれ以外の動物も植物も子孫を残し次に繋げることで歴史をつくるとした空中戦艦ヴンダー

艦長であるミサトさんはその使命をこなしつつも、母親である生き方を放棄した覚悟の一面がうかがえる歌詞だなと。


(4)♪ほとばしる熱いパトスで 思い出を裏切るなら

  ♪この宇宙を抱いて輝け少年よ神話になれ

この部分はやや無理やりな部分もありますが、

パトスとは「情熱」

今まで感情で動き失敗して、よかった過去の思い出を傷つけた

ミサトさんが自身のことを悔やみ贖罪し、

少年シンジ君へ希望を託したとも受け取れるのかと思いました。


もっと歌詞を読めば色々な解釈が出来たり、意味を見出したり、ダブルミーニングに気付けるかとは思いますが、

そこまで自分は広く深く考えられそうにないので、この記事を読んだ方に委ねます。

人によっても色々な解釈はできるかと思いますので。


5.最後に

25年かけ紆余曲折色々あったかもしれませんが、丁寧に作られた作品に出会えたことに感謝いたします。

また25年かけて歌詞の意味を知ることになった稀有なアニソンに出会えたことに感謝いたします。

TV版主題歌「残酷な天使のテーゼ」や旧劇場版「魂のルフラン」が

意味を持ちながら挿入歌として新劇場版に採用されなかったことは

版権の問題なのか、制作者側の考えなのかは、我々受け手には分からないことですが、これはこれで趣のあることではないかと思っています。

「魂のルフラン」も母から息子(もしくは年上の女から少年)に対する気持ちを書いたテーマですのでまた歌詞に触れることで気付くこともあるかと思います。

(♪奇跡は起こるよ何度でも 魂のルフラン

 実際に最終作で「奇跡」というキーワードもありましたので)

まだまだ色々な考えや思いが溢れてはいますが、

ただただ感謝の気持ちでいっぱいです、本当にありがとうございました!


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