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おもちゃのチャチャチャとトイ・ストーリーの間に

深夜2:30。そっと帰宅すると、むすめが遊んだおもちゃがそのままリビングに散乱していた。
なるべく寝る前にはきれいにリセットしてほしいのだけど、まあ、ごはん食べさせたり遊んだり抱っこしたり寝かしつけしたりして力尽きたんでしょうな、とさして気にもせず、ストウブから夫が残したふかし芋を取る。

塩をふりかけたジャガイモを手にぼーっとしていると、ふと、床に倒れているクマのぬいぐるみや積み木に気配を感じた。いままで動いてたような、いまにも動き出しそうな。まるで人格があるような、こちらを伺ってるような。

・・・・と、そんなふうに感じる人は毎月、毎日、毎秒ごまんといるんだろうなー、と思った。ググってみると、おもちゃが箱を飛び出す「おもちゃのチャチャチャ」は1959年の曲らしい。

でも、こういうときに、「凡庸なアイデアだな」で終わらせるのはたぶんもったいない。なにがもったいないって、そういう凡庸なアイデアこそが未来の「トイ・ストーリー」かもしれないよなあ、と思うのだ。逆に言えば、「トイ・ストーリー」のアイデアを聞いたとき「おもちゃのチャチャチャやん」と思った人もいただろう(日本の歌だけど)。でも、その間には無限のクリエイティブがある。

アイデアがぽんっと思い浮かぶことは誰にでもある。でも、その空想を具体的に膨らませ、転がし、はじめからおわりまでをまとめきれるのは、ほんの一握りのひとだ。最初の1歩を踏み出す人はいても、フルマラソンを走りきる人は多くない、というか。それは「お話」でも企画でも同じだと思う。

「トイ・ストーリー」だって、古今東西のひとびと(とくにお母さんや子ども)が一度は考えたことがあるであろうアイデアから、魅力的なキャラクターやセリフ、ストーリーを妥協なく積み重ねることで、めちゃめちゃおもしろいコンテンツになっている。とくに「3」の名作感よ! 

まったくあたらしい、「その発想はなかった」的アイデアはワクワクする。でもそれだけがクリエイティブじゃなくて。「いままで100万人は考えたかも」から、どれだけ転がして詰めて乗せるかの粘りだって、ものすごいクリエイティブだ。

「うわー、あたらしい!」と感じるアイデアも、ディテールが雑であれば設定倒れというか「出落ち」みたいな感じになっちゃうし。そういうコンテンツ、ときどきあるし。

以前インタビューした小説家の羽田圭介さんが、「アイデアを閃くことより、それを論理的に破綻しないようにつくりきることが大変なんだ」というようなことをおっしゃっていたことを思い出した深夜なのでした。

手にしたミスター・ポテトヘッドは、ほくほくとおいしかった。

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